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スウィートカース(Ⅴ):カラミティハニーズ  作者: 湯上 日澄(ゆがみ ひずみ)
第二話「助走」
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「助走」(1)

 宮殿通りにある庭園の芝生へ腰をおろすと、ホシカは満足げにお腹をさすった。


「いや~、ごちそうさん。メシのうまい旅行は大好きだ」


 くつろぐホシカのとなりへ、イングラムもしかたなく座り込んだ。つまようじで恥ずかしげもなく歯の手入れをするホシカへ、呆れた顔でつぶやく。


「満足いただいて光栄だよ。ところで、宮殿はもう目と鼻の先なんだが?」


「ちったあ休ませろ。無理に動いて、吐いちまったらもったいねえじゃん?」


「きみの胃袋にかぎっては、いちど飲み込んだものを戻す機能はまずないと思うね」


「喧嘩売ってんのか。おい、ちょっと立て」


「おっと、怒らせてしまったかな。上等だ」


 ホシカに指で空を示され、イングラムは居丈高に立ち上がった。


 突然のことに、イングラムは電流でも流れたようにのけぞっている。まるで犯罪者の身体検査のように、ホシカがその体を無作為にまさぐったのだ。


「ばか、やめ、ベタベタさわるな! なんのつもりだ!?」


「持ってんだろ、○バコ?」


 ホシカの手を払いのけると、イングラムは憤然とその場に座った。


「俺は吸わない。未成年であるきみも当然吸わないし、吸っちゃいけない。わかったな?」


「けっ、お堅いこって。うちのおやじを思い出すぜ」


 不満そうな顔つきで、ホシカは両肘で太ももに頬杖をついた。現実世界ではまだ見たことのない様々なものが、その視界に映っては消える。


 濁流のように人々の色でうねる市場。両手や頭のうえにまで商品をかかえて行き来する行商人。絶え間なくこだまする鍛冶屋のハンマーの音。テンポのよい蹄の響きを残し、人や荷物を一生懸命に運ぶ馬車。青鼻をたらして全速力で追いかけっこする悪ガキたち。虹の橋をかける汚れのない噴水のまわりで、無警戒にエサをつつく色とりどりの小鳥。長大な十字架を思わせる剣を意味ありげに帯刀し、どこかへ向かう旅人。乱れひとつなく整列して巡回する武装した衛兵隊。


 そして、薔薇色の水晶でできた荘厳な〝七十の歓喜の宮殿〟……


 ホシカはぼんやりと吐息を漏らした。


「ケータイもパソコンも、パトカーも信号機もねえ。ザ・ファンタジーって感じ?」


「ここが故郷である俺からすれば、きみのいる地球のほうがよほど危険で不自然さ」


「だれも言ってないよ、ここがイヤだなんて」


 イングラムの顔から表情は消えた。


 よこのホシカが、またなんの断りもなく彼の肩に頭をもたせかけてきたのだ。たっぷり食事をとったおかげで、睡魔が襲ってきたらしい。


 眉間にしわを寄せて、イングラムは狼狽した。


「どこまでお子様なんだ、もう……」


 真面目ぶりながらも、イングラムはこんどはホシカを払い落とすことをしない。


 じぶんの顎の真下にあるホシカの髪から、なにか嗅いだことのないいい匂いがする。香水? 洗髪料の残り? 誘惑の呪力? 胸にわきたつ不思議な気持ちが理解できず、イングラムはただ生唾を飲むしかできなかった。


 このまま、彼女の肩に手でも回してしまおうか……どうしたものか二の足を踏むイングラムの耳に、ホシカの眠たげな声は忍び込んだ。


「機械がゴチャゴチャしてるのは嫌いなんだ、あたし。幻夢境、だっけ。思いのほか、あたしの性にはあってるかもしんない」


「未練はないのかい、自分自身の故郷に? 地球に大切なものを残してきたとか?」


「ない。なんもない。ぜ~んぶ殺され、消されてどっかに飛んでいっちまった。残ってるのは、あたしというさなぎの抜け殻だけ。そこから飛び立ったあいつなら、きっともうひとりでなんでもできる。あたしはもう、すっからかんさ」


 となりどうしで仲良く同じ方角を眺めながら、イングラムは頭を下げた。


「その、すまない。俺はきみに、してはいけない質問をしてしまったようだ。その、きみさえよければ、ずっとこの世界に……」


「あやまることなんてないさ。どの道、あたしはいずれ赤務市へ帰らなきゃいけない。あっちにも襲ってくるんだろ、例のジュズってやつは?」


 なぜか視線に寂しげなものを混じらせて、イングラムはうなずいた。こじゃれた懐中時計を確認しながら、硬い声で告げる。


「このあと宮殿で、メネス先生がルリエ戦にそなえての対策会議をおこなう。出席してくれるね?」


 恋人どうしのような姿勢からもとへ戻ると、ホシカは大あくびした。涙のういた目尻をこすりながら、うなる。


「ヤだよ。異世界に来てまで先生の授業か?」


「大事な話なんだ。頼むよ。チームのみんなとも顔合わせがまだだし」


「わぁったよ、めんどくせえ。何時からだ?」


「およそ一時間後だ」


「一時間な。わかった、よっと」


 もちまえの運動神経を生かし、ホシカは背筋の反動だけで立ち上がった。青春の色と香りを残して散った芝生のはざまから、イングラムへたずねる。


「それまでは自由行動でいい? いろいろ都を見て回りたいし?」


「それはまた日を改めて、俺と同伴で願いしていいかな。俺がいまセレファイスから受けている仕事はみっつ。きみの案内と護衛、そしていちおう監視だ。都は広い。好き勝手に動き回って、迷子にでもなられたら困る」


「あ、そういえば、お礼がまだだったな。メシをおごってもらったお礼が」


 気づいたときには、イングラムの唇はホシカのそれに盗人のように奪われていた。


「これ以上がいるってんなら、いつでも言いな?」


 じぶんの唇に触れて時間の止まったイングラムの横から、かん高い飛行音とともになにかが飛び立った。


 ふと見回したときには、ホシカの姿はどこにもない。


 真紅から蒼白へいそがしく顔色を塗り変え、イングラムは空に吠えた。


「なんてこった、く、食い逃げ……!?」

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