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スウィートカース(Ⅴ):カラミティハニーズ  作者: 湯上 日澄(ゆがみ ひずみ)
第一話「歩行」
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「歩行」(2)

 日本、赤務市……


 夜の九時過ぎ。


 通学カバンを片手に歩く制服姿の女子高生は、目についた公園のベンチにへとへとと座り込んだ。疲れがちに背を丸め、メガネの奥で瞳をつむって嘆息する。


「はあ、きょうもバイト疲れた……くたくただよ。ちょっと休憩」


 スカートの両膝に顔をうなだれながら、染夜名琴しみやなことはだれにともなく愚痴った。


「すこしは手伝ってくれたらどう? テフ?」


 公園にほかに人影はない。


 だが、答えはなんと、ナコトのカバンの中から返ってきた。


「〝這い寄る混沌〟にバイトの手伝いをしろだと?」


 日頃から慣れているため、ナコトには動揺のかけらもない。


「そうよ。わたしが大変なの、知ってるでしょ? 学校に家事、アルバイト」


 通学カバンのジッパーは、おぞましい響きを残してひとりでに開いた。中からちいさな鼻先をのぞかせたのは、毛のツンツンしたなにか丸い生物だ。


 イノシシの子どもではないか。ナコトがテフと呼んだ存在らしい。


 ああ、その愛くるしい子イノシシは、かんだかい声で人語を放った。


「いいかぁ、ナコトさんよォ。俺が運ぶのは、時間指定の郵便物なんかじゃねえ。暗黒神が運ぶのは、狂気と悪夢と絶望だ。俺がかかわった現世の仕事は、すべて星界の恐怖にかわる。それはすなわち、千年前の呪われた預言書の解読や、核兵器の製造等だ」


 テフの湿った鼻をつついて嫌がらせしながら、ナコトは言い返した。


「同級生のみんなを見てよ。放課後は、クラブにカフェやショッピング……それからデート。それにくらべて、わたしはどうなの。食べざかりの弟と飲んだくれの邪神さんのせいで、娯楽らしい娯楽はありません」


「デート、って言ったか? もうとっくに俺と付き合ってるじゃねえかよ。脳も心臓も魂も、俺とおまえは死ぬまで一心同体だ」


「悪魔がわたしに寄生してることを、デートって言うとは詩人ね。でも申し訳ないけどわたし、ホストみたいにチャラっぽい人には興味がないの」


「だ~れが繁華街のキャッチだ。あの姿のときの俺が色黒なのは、この星に人間が生まれる前からの話だよ。外人はイヤか?」


「外人……青や茶色い瞳の高身長で優しい彼氏なんて、わたしには夢のまた夢ね」


 肩をすくめたナコトのとなり、ベンチに人が腰掛けるのはいきなりだった。


 暗色の背広をしっかりと着込み、サングラスをかけた若者だ。長い足を組んで、若者は大胆にもナコトの背中側へ片腕を回している。身長はずいぶん高い。髪の色、肌の色からして日本人離れしている。


 驚いてずれたメガネを正しながら、ナコトは馴れ馴れしい若者へたずねた。


「あの……どうされました?」


 サングラスをずらしてやはり黒色ではない瞳を見せつけながら、若者は答えた。


「俺はジョニー・イングラム」


「は、はあ。外国の方ですか」


「染夜名琴さんだね?」


「え、ええ。日本語がとてもご堪能なんですね。どうしてわたしの名前を?」


 ベンチの横の自販機を親指で示し、イングラムは問うた。


「なにか飲む?」


「いえ、そんな。お気遣いは結構です」


 自販機から戻した指で、イングラムは頬をかいた。


「おかしいな。これをやれば相手を口説き落とせると、先生は太鼓判を押してたんだが」


「く、口説く? あの、イングラムさん。あたしにどういったご用件で?」


「いっしょに来てもらいたいんだ」


(そらきた……)


 とナコトは胸の中で嘆いた。繁華街を歩いていると、昼夜に関係なくこんな誘いは日常茶飯事だ。ちいさく首を振って、ナコトは作り笑いをこしらえた。


「すいませんがわたし、もう別のところで働いてまして。ほかを当たってください。失礼します……」


 そそくさとナコトはベンチを立った。逃げるように立ち去りかけるナコトの背中を追ったのは、イングラムのささやきだ。


久灯瑠璃絵くとうるりえ……彼女の対処はナコト、きみの得意分野だろ?」


 その単語は、ナコトの足を止めるのに十分な効力を発揮した。


 肩越しにイングラムを横目にし、軽く手招きしたのはナコトだ。


 数秒後、人目につかない木立ちの中で、イングラムを悲劇は襲った。


 ナコトの片腕一本で宙吊りにされたイングラムは、おもいきり樹の幹に叩きつけられている。およそ人間離れした腕力だ。衝撃に、多くの木の葉が舞い落ちる。酸欠の金魚よろしくあえぐイングラムを、にらみつけるナコトの視線は別人のように鋭い。


 声のボリュームや言葉遣いまで別人になって、ナコトは聞いた。


「久灯瑠璃絵が、またなにか仕出かしたのか?」


「ナ、ナコト……二重人格なのかい?」


「さて、どっちが本来のわたしだろうな。それより質問に答えろ。このまま頭を引きちぎられたいか?」


 苦しげにイングラムは答えた。


「ルリエ……彼女は、幻夢境げんむきょうを滅ぼそうとしている」


「幻夢境? どこのキャバクラだ?」


 補足したのは、カバンから飛び出した子イノシシだった。


「幻夢境? カダスのあるあの幻夢境か?」


 強く首を絞められながら、イングラムはうなずいた。


「話が早いね、しゃべるイノシシくん……ではきみが〝星々のもの〟の正体か?」


「ああ。ナイアルラソテフだ」


「な……ではあなたこそ〝千なる無貌の神〟」


「おう。カダスの縞瑪瑙アゲートの別荘を留守にして、けっこう経つ」


 ナイアルラソテフことテフを見下ろして、ナコトは毒づいた。


「おまえ、別荘なんて持ってるのか? もしや金持ちか? 聞いてないぞ?」


「ナコト。その小僧をはなしてやれ」


「こんど必ず、わたしを招待しろよ? 忘れんからな?」


 無造作に手放され、イングラムは地面に落ちた。樹の根もとにへこたれたまま、ネクタイをゆるめて息苦しさをまぎらわす。


「おっと、助かったと思ったら大間違いだぞ。わたしは疑り深い性格でな」


 刹那、イングラムの眉間に触れたのは、硬く冷たい銃口だった。ナコトの手に握られるのは、女子高生に似つかわしくない大型の拳銃だ。いったいどこから、いつの間に?


 子イノシシの姿から、テフが呪力の拳銃へ変身したのだ。


 低い声で、ナコトはイングラムへ詰問した。


「おまえは何者だ?」


「セレファイスの召喚士さ。厳密には〝星々のもの〟の反応に、俺自身が磁石のように吸い寄せられて転移する〝案内スカウト〟という呪力だよ。属性は水。俺自身が能力で異世界に滞在できる制限時間は、およそ三十分間といったところだ」


「三十分……」


 ちらりと腕時計に目をやり、ナコトはつぶやいた。


「あまり時間はないな。テフ、こいつの言うことの翻訳をたのむ」


 回答は、こんどはナコトの手の拳銃がもたらした。


「この小僧の言ってることは、たぶんホントだ。セレファイスっていう都も、現に幻夢境に存在する。おい小僧、ルリエを幻夢境に呼び出しちまったのもおまえか?」


「とんでもない。転移に関しては、彼女自身の力か、または彼女に力を貸した黒幕がいる」


 銃口の狙いはイングラムから外さないまま、ナコトはあごで指図した。


「いいだろう。幻夢境とやらにわたしを案内するがいい。ただし、もしかけらでも怪しいそぶりをしたら……」


 手のひらの中で素早く回転させた拳銃を、ナコトはよく見えるように顔の横にかざした。


「おまえを仕留めるぞ?」

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