3-38 怒りをぶつけよう!
「記憶世界の輝夜が見ていたのは、ボクじゃない。キミの【最愛の人】の姿に――お姫様の約束を信じて【中庭のエデンの樹の前】に居続けた〝王子様〟の姿に。ボクは見えていたことだろう」
神秘的で。なおかつ不気味にも思える蒼白い光が満ちる夜の屋上で。
あたしはクラノスの言葉の意味を噛み締めながら。
ゆっくりと。ゆっくりと。
振り返った。
「ミカ、ルド……?」
眼の焦点がうまくあわない。視界がぐるぐると揺れる。
心臓が血流を強く押し出しているのに末端までには届かず、気を抜けばふらりと倒れてしまいそうな心地がした。
それでも。倒れてなるものですか。あたしはぐっ、と足に力を入れた。
「………………」
ミカルドはなにも答えない。
表情に微かに動きはあるが、それが星の光のゆらめきによるものなのか区別がつかない。
無言でいる彼の代わりに。
「そうさ――カグヤは【ミカルド】が好きだったんだ」
クラノスが夜に秘密を打ち明けるように告げた。
カグヤはミカルドが好きだった。あたしはもう一度その言葉の意味を頭の中で確かめる。
「ま……鈍感なお姫様は気づかなかったかもしれないけどね」
続けてクラノスは頭の後ろに手をやりながら、あたしの方にちらりと目線をやった。
(え? 鈍感ってあたしのこと……?)
確かに……記憶世界で〝空から見てるだけ〟じゃ、昔の輝夜は〝ミカルドが好き〟っていう本当の気持ちは分からなかったけど……。
あたしはふるふると首を振って、あらためて事実を整理する。
『輝夜はクラノスじゃなくて――本当はミカルドのことを愛していて。そして輝夜はその気持ちに従って、ミカルドを選んだつもりだった』
さっきから感情が、思考が追いつかない。
頭の中がじっとりと熱をもっている。普段使わない回路がフル回転していて煙でも出てしまいそうなくらいだ。
……それに、さっきから〝ミカルドが好き〟〝最愛の人〟だとか。
こっちの世界のあたしは、ただでさえ色恋沙汰には慣れていないのだ。
急激な恋愛成分の摂取で、きっとあたしの顔は紅くなっているだろうし、心もどうにかなってしまいそうだった。
そんなあたしと対照的に。
クラノスは冷静な声で言う。
「それからはキミたちが知るとおりさ。カグヤだけは首飾りをかけているボクのことを【最愛の人】だと思いこんでいる。まわりとのやり取りの中で食い違いがあるといけないから、ボクはカグヤを隔離してみんなと会わせないようにした。カグヤと接触するにはまずボクを通さなきゃいけないようにことを運んだ。そして――あの〝世界が壊れた夜〟がやってきた」
彼は笑っていない瞳で続ける。
「これが御伽噺の顛末。悪い魔女は――ボクだった」
まさしく悲劇の終わりを告げるように、彼は皮肉めいた仕草で両手を空に向けた。
その拍子に掌から例の首飾りが途中の空まで滑り、がちゃりと音を立てた。
彼はそれに目を向けて続ける。
「時間はかかったけど……こっちの世界でもようやく完成したんだ。もう、間に合わなかったみたいだけどね」
「……間に合わなかった?」
「べつに。もし今回の待ち合わせ場所が【お互いの部屋】じゃなかったら、また前みたいに使ってやろうと思っただけさ――カグヤの【愛する人】のふりをして、どんなことがあってもボクが選ばれるようにね」
クラノスはもはや自分の〝いびつな考え〟を隠そうともしていない。
――どっちのボクで答えてほしい?
そんなふうに〝いつもの笑顔〟で言ってきたクラノスのことが思い浮かぶ。
それじゃあ、いつもみたいに笑っていない今のクラノスこそが――ずっと隠してきた、本心の彼ってこと……?
一体なにを信じていいのか分からなくなってきた。
腹黒王子と言ってはいたものの、ここまでだったなんて。
「……どうして、そんなことしようと思ったのよ!」
あたしは周囲のぶあつい沈黙を振り払うかのように大きめの声を出した。
魔法だかなんだか知らない。クラノスがそこまでする理由があたしには分からなかった。
嘘を重ねてつかみ取った偽りの幸せなんて、本当の幸せとは言えないじゃない。
「……え?」
するとクラノスは口をぽかんと開いて、溜息を吐いて、
「はあ。ここまでして分からないの? ……本当に鈍感なお姫様だね」
呆れたように、言うのだった。
「――カグヤのことを〝愛してる〟からに決まってるじゃないか!!!!」
「……っ!」
「ボクがここまでしたのは、カグヤを愛していたからだ。カグヤに振り向いてほしかったからだ。カグヤを――どうしても手に入れたかったからだ。例えどんなことをしたって……だから、ボクは悪い魔女になったんだ」
クラノスが息を荒げていると、ふと周囲が明るくなった。
空に浮かぶ地球の前を通っていた雲がつかの間去ったようだ。
「クラノス――」
その時の星明りで見えたクラノスの表情は――どこか寂し気で、後悔を押し殺しているようにも見えた。
もちろんそれは〝自分をそう見せるため〟の演技だったのかもしれないけれど。
本心はもう、分からない。
「………………」
同時にミカルドにかかっていた影も薄まった。彼は今、どんなことを考えているのだろうか?
何しろ、クラノスの魔法によって【愛する人】――つまりは自分自身を偽られ、本来であれば自分が選ばれていたはずの【運命】を奪われてしまったのだ。
どれほど激しい怒りを抱えているのかと思ったら……意外にも、彼の表情にも〝寂しさ〟のようなものがさしていた。
「っ! なんだよ、その表情……!」
物申したのはクラノスだった。
「さっきから当事者のくせに黙りこくっちゃってさ! お前は被害者で、ボクに運命をぐちゃぐちゃにされたんだぞ! お前の大切な人を傷つけたんだぞ!!!!!」
クラノスの絶叫は止まらず、ますます烈しさを増していく。
「もっと怒れよ!! もっと喚き散らせよ!!! ボクのことを怒鳴って、掴みかかって、そのまま気の済むまで殴ればいいだろうが!!!!!」
はあ、はあ、というクラノスの乱れた息遣いは。
それだけでも誰かを傷つけてしまいそうなほど鋭利な雰囲気をまとっていた。
「くそっ!!!!」
思い切り地面を蹴飛ばす。がらん、という何かが欠ける乾いた音が夜に響いた。
その音は夜空に虚しく吸い込まれていく。そうしてまた彼のひどく不規則で荒げた呼吸音だけが残った。
「……はあ、はあっ……うぅっ」
クラノスの表情は、最早まともに見ていられないほどに悲痛さが滲んでいた。
あたしはなにも言えない。ふたりの間に口を挟むことができない。
クラノスの視線は徹底的に――好敵手であるミカルドのことを見ぬいていたから。
あたしは、黙るしかなかった。
「くそっ……ミカルド! なにか、言えよ……! 余計にボクが、みじめになるじゃんか……」
ふうううう、と。
ようやくそこでミカルドが大きく息を吐いた。
幸せは逃げていきそうにない、ただただ自らの心に溜まったものを吐き出すような溜息だった。
「それで言いたいことは全部か?」
ミカルドはずいとに腕を組み、仁王立ちをしたまま。
いつもの上からな口調で。
「ふん。くだらん」
と。
行き場を失くしたクラノスの激しい想いを一蹴したのだった。
「はあっ!?」
たまらずクラノスが叫んだ。
思わず飛びかかりそうになるのを、ミカルドは続く言葉で制す。
「くだらんと言っているのだ! 過去に何があったとしても、その事実はもう変えられん。たらればを言って後悔しても無駄だ。〝もしも〟という運命は未来の中にしか存在せんからな」
「っ……! またごちゃごちゃ気に障ること言っちゃってさ……ボクのことが憎くないのかよッ! ボクは魔法で……ミカルドを。カグヤを! 騙してたんだぞ……!」
「ああ、そのことなら」ミカルドは顎に手をやって言う。「憎いというよりは〝自分の不甲斐なさ〟が先に立つな」
「ふがい、なさ……?」
「ああ。我のカグヤに対する想いは本物で、だれにも負けない心づもりがあった。それなのに……貴様程度がかける魔法を打ち破れぬとは、我の想いもまだまだだったということだ」
「っ!」
思わずあたしは息を呑んだ。
夜空もそれに呼応して震えたかのようだった。
――想いで魔法を打ち破る。
言っていることは理解できる。
だけど内容はどこまでも無茶苦茶で。
それこそおとぎ話の世界の理論だ。
「我の想いが魔法に打ち勝てなかった……しかしこれは朗報でもある。カグヤに対する我が想いに、まだ〝果て〟があるということでもあるからな」
それでもミカルドは。
やっぱりどこまでも気障な言葉を。
「魔法ならいくらでもかければいい。貴様の気が済むまでな」
青白い星明りに照らされて、その秀麗さを引き立たせながら――
吐くのだった。
「それでも次こそ我は。我のカグヤへの気持ちは――絶対にそんなものには負けん」




