3-26 想い出す、記憶。【輝夜篇】
『これで良かったのでしょうか、我が姫殿下』
時間と場所はまた記憶世界へと遡る。
世界を崩壊させ、世界を再生させたあの激動の夜から数か月が経った夜に、月神を名乗る声が言った。
『うん。ありがとう、セレネー。わがままに付き合ってくれて』
真ん丸に浮かぶ蒼と白の星――地球を空に見ながら、輝夜が答える。
『我が力は貴女様あってこそです』セレネーと呼ばれた声はうやうやしく続ける。『貴女がそう願ったのなら、月は引き留めません』
輝夜は周囲を見渡す。
荒廃した大地。凸凹としたクレーター。
見渡す限りに何もなく、緩やかに曲がった地平線が遥か遠くまで見通せる。
ここは〝月の上〟だ。
あの新月だった夜。
輝夜の力に呼応して空に満点の月を浮かび上がらせた宵。
――あたしのいない世界をもう一度創造って。
そんな願いを月の神は叶えて。
要望通りに、天に浮かぶ青い星――みんなが住む地球はもとに戻った。
ただひとつ違うのは、そこに輝夜がいないこと。
今ある地球の中では〝輝夜がいなかった〟ことになっていること。
当の本人は――今こうして〝月の上〟にいる。
たったひとりで。ただひとりで。
背後には石造りの〝塔〟だけがそびえ立っている。
輝夜はそこで暮らしてどれだけの時間が経ったか分からない。
たったひとりで。ただひとりで。
永遠にも感じる間。
空に浮かぶ〝地球〟を見上げながら。
何を祈ることもなく。
これで良かったんだと自分に言い聞かせながら。
けれど――
『……もう、限界よ……』
自分では罰のつもりだった。
いくら自らの死を世界中から願われていたとしても。
凶刃が自らの首に突き付けられていたとしても。
その世界そのものを一度は滅ぼしてしまったのだ。
人との触れ合いを失くして。
最愛の人を失くして。すべてを失くして。
孤独を感じながら、空に浮かぶ地球に想いを馳せて生きること。
希望が満ちたあの星には、もう二度と戻ることができないという絶望を知りながら生きること。
延々と続くそんな生活に――輝夜は耐え切ることができそうもなかった。
(いつか本当の限界が来る。だから、その前に――)
輝夜はだれにともなく呟いてから、セレネーを呼んだ。
『ねえ、セレネー。まだあたしの魔力は残ってる?』
『はい。地球を滅ぼすまでには程遠いですが』
月の神の皮肉に少しだけ口角を上げて。
輝夜は無限にも続くような黒い夜の中で立ち上がって。
目の端を手の甲で拭ってから、言った。
『ありがとう……だったら、もう【月神の加護】が消えちゃってもいい。魔力も全部なくなったっていい』
いつかと同じように夜風が輝夜の黒髪をたなびかす。
その風はすべてを諦めてしまったかのように空虚な気配に満ちていた。
『セレネー、お願い――あたしの〝記憶〟を、消してちょうだい』
セレネーはそこで微かな間を取った。『……よろしいのですか』
彼女は頷いて、『あ、でもね……ただ消すだけじゃなくて、記憶を失くした先で〝希望〟をもって生きていけるような物語が必要なの。そうしないことには、残されたあたしがあまりにも可哀そうでしょう? 絶望の連鎖を断ち切るためには。希望から程遠いこの場所で生きていくには。そういう〝救い〟が必要なの。……そうね、御伽噺なんかがいいわ』
輝夜は口元に微笑みをたたえて、まさに絵本の中に憧れる少女のような表情で語り続ける。
『あたしが前の世界にいたときに憧れた御伽噺。森の奥に閉じ込められた小さな女の子のもとに――颯爽と王子様が助けに来てくれる夢物語。でもね、形は随分と変わってしまったけれど。あたしがここまでやってこれたのも、その物語のお陰なのよ。どれだけ辛いことがあっても。どれだけ訳の分からないことに巻き込まれても。心の奥底でそんな王子様の存在を信じてたからこそ、この世界で生きてこれて――その存在を失ってしまったからこそ。そういう御伽噺を信じる感情があたしの中に戻ることはないって、今のあたしはどうしようもなく理解しちゃったからこそ――あたしは居なくなっちゃおうと思うの。記憶を失くしたあとのあたしに――〝希望〟を託して』
空を見上げると、大きく青い地球の表面がゆっくりと動いているような気配があった。
月の上で生きている限り、その青い星は必ず空に浮かんでいる。
緩やかな弧を描く荒廃した地平に沈むことはなく、いついかなる時もそこに在る。
だからその星を見るたびに――輝夜は、想い出してしまうのだった。
だからこそ。
記憶を消してしまうように。
自分のもとにはもう二度と戻ってくることのない〝希望〟をこめて。
あたしがこの場所で〝夢見るお姫様〟として生きていけるように――輝夜はセレネーに願った。
『だからね、あたしのお願いは〝記憶を消すこと〟以外にもうふたつ』
輝夜は指を立てながら続ける。
『まずはひとつ。きちんとあたしの生きる希望だった――【王子様が迎えに来てくれる御伽噺の記憶】だけは残すこと』
輝夜はそこでポケットから小さな指輪を取り出した。
銀色の台座には、まるで空を舞う羽衣のようゆらめき輝く〝宝石〟がはまっている。
続く動作でそれを自らの薬指にはめた。
『この指輪に――そんな魔法をこめてちょうだい』
『それくらいであれば、我が君の残った魔力で充分対応が可能です』月の声はあくまで業務的に言う。『それで姫君、もうひとつは如何しましょうか』
そこで輝夜は背中で腕を組みながら、ふと空を見上げて、下げて。
地面に転がる、何千・何万年もその場所から動いたことのなさそうな小石をカツンと靴の先で蹴飛ばしてから。
爽やかな微笑みを浮かべて、言った。
『そうね、もうひとつ。これが輝夜からの最後のお願い――セレネー! あとのあたしのことをよろしくっ』
輝夜のそのお願いに。
セレネーの声が、はじめて感情をもったような気がした。
『容易い御用です。我が姫殿下』
そうして月の世界は柔らかな光に包まれて。
輝夜は記憶を失った。
たったひとつ。
運命の王子様との御伽噺だけを残して――
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