3-23 月に祈ろう!(カグヤの記憶⑫)
輝夜の目の前で、輝夜をかばって。
【最愛の人】は心臓を深く矢で貫かれ、そのまま息絶えた。
『――――――――――――!!!!!!』
輝夜の慟哭はまさしく天にまで劈かれた。
刹那。
彼女のまわりからは一切の音が消える。ものごとがすべてスローモーションに映る。
燃える戦場の炎の影が揺らめくように。
彼女と、その胸中のひとりの魂の尽き果てた男の身体を照らしている。
どれほど時間が経ったのか分からない。
一秒に満たなかったかもしれないし、十分はかかったかもしれない。
歪んだ時間のねじれの果てに――輝夜は。
動かなくなった最愛の人の身体を。
もう温かく抱きしめてくれることのない彼の身体を。
ゆっくりと、地面に横たえて。
ゆっくりと、立ち上がって。
ゆっくりと、半壊した塔の上階から。
世界を見下ろした。
『………………』
ぽろん。ぽろろん。
音のなかった世界に。
どこかから響いてきた音色は、目の前の〝惨状〟にとてもじゃないけど似合わない透明感のあるものだった。
ピアノの音だ。
輝夜は記憶の淵を辿るように、その音のことを思い出した。
それは目が見えなくなったアルヴェが弾いているのだろう。
祈るように。救いを求めて。平和を願って。
凛と鍵盤を打つアルヴェの白い指先が。
そこから紡ぎ出される鮮やかな旋律が。
どうしようもなくなった世界に。
どうしようもなくただ響いている。
その唯一の音の中で。
輝夜は。
言った。
『どうしてこうなっちゃうの……? あたしたち、なにかわるいことした……?」
声はひどく平坦で震えている。
『あたしだってね、ちゃんと自重してた部分もあったのよ。もともとこの世界の人間じゃないんだもの。外の世界からやってきて、神様から偶々もらったSランクの加護だったんだもの。それをむやみに振りかざすようなことだったり、人を傷つけたりすることには、絶対に使わないでおこうって』
視線をふたたび戦場に向ける。
そこでは数多の戦火が上がっている。人と人がぶつかり合っている。
魔法が縦横無尽に空を横切っている。夥しい血が流れている。魂が削られている。
輝夜は空虚な表情で震えるように首を振った。
『だからね、あたしの知識や能力は……ちゃんと〝この世界のみんなのために使おう〟って思ったの。この世界の発展のために使おうって決めてたの。なのに――』
輝夜の瞳が目の前の、金剛の矢によって撃ち抜かれ息絶えた最愛の人の姿を映す。
その胸元には紫紺色の宝石がはまったネックレス(いつか彼が自分自身のために用意していたものだ)が血でどす黒く染まっている。
『こんなのって、ないわよ――』
涙すらも枯れた。
目からは光が失われた。
表情が消えた。
輝夜の瞳の奥が、世界の果てに降り積もる黒い雪のように静かに、冷たく染まっていく。
『平和に暮らしてたあたしから全部を奪おうとするのなら――もう、こんな世界、要らない』
輝夜はそう言って。
冷たい瞳のまま、ゆっくり、ゆっくりと。
空を見上げた。
そこには――
真っ白で、真ん丸の。
完璧なる正円の〝月〟が浮かんでいた。
『なっ!?』『なんだ、あれは』『今宵は〝新月〟ではなかったのか……?』
塔を取り囲む兵士たちがざわつく。
『ありえぬ!』『さっきまで、空には確かに月の欠片もなかったぞ!』
月の光を恐れて。月の力を畏れて。魔女の力を怖れて。
新月という今日の夜を選んだはずだった。それでも。
半壊した塔の上に立ち尽くす輝夜の背後には。
銀色に輝く正円の月が。
今までに見たことがないほどの大きさで浮かんでいる。
『ねえ、セレネー』
そして輝夜は。
微かに口元を動かして。
最上級で、最大限の。
決して使うことはないと心に決めていた最高峰の魔法を。
『あたしのぜんぶの魔力をもって。あたしのぜんぶの想いをもって』
月に向かって、祈って。
地球に向かって、放つことにした。
『この世界のぜんぶ――月に捧げるわ』




