3-9 鍵を開けよう!
「ちっ、恥ずかしいとこを見られちまったぜ……」
本当に恥ずかしそうに頬を赤らめながら、アーキスが言った。
塔から落下した彼は、そのあと無事にシショー(アーキスの筋肉の師匠の人語が理解できる紳士的な熊。何を言ってるのか自分でも分からない)に受け止められ怪我ひとつなくことなきを得た。
そのあとよせばいいのに『このまま負けたままじゃ筋肉に失礼だろうが』という謎の筋肉理論でふたたび塔の壁を自力で登ってきて、今はあたしの部屋の窓枠に腰かけている。
「何度も言うけど、絶対恥ずかしがるところ違うから……」
あたしは安堵も含めて溜息を吐く。
うちで暮らす王子たちはやっぱりどこか常識とズレていた。
「で、なにを悩んでたんだよ」
「え?」
「ちげえのか? そんな表情してたからよ」
そして常識と徹底的にズレているからこそ――
「オレ様で良かったら聞くぜ?」
こういうふいな優しさに、あたしの胸は過剰にトキめいてしまうのだった。
うう、ギャップってやっぱりずるい……。
「ありがと……でも大丈夫。これはきっと、あたしひとりで決めきゃいけないことなの」
「そうか」アーキスは粘ることもなく素直に引いた。「ま、いつでも聞いてくれや」
いつでも、と彼は言った。けれど。
あたしには。ううん――あたしたちにはもう、いつでもと言えるだけの時間は残されていない。
それをきっとアーキスも理解してくれてるはずだけれど。
それでも白い歯を見せて何の心配もなさそうに言ってくれるあたり、彼のもつ〝大人の優しさ〟が伝わってきてなんだか歯痒かった。筋トレを教えるのも上手だったしね。
「せっかくだしな。いいことを教えてやる」
そんなアーキスが、ポージングを決めながら言ってきた。
「迷ったら――筋肉に聞け」
……さっきの言葉を訂正するわ。
筋肉神話を雲りの無い純粋な瞳で言ってくるあたり、やっぱりどこまでいっても彼は〝でっかい子ども〟の系譜だった。
――はあ。ま、それがいいところでもあるんだけどね。
溜息交じりに呟いて、アーキスの筋肉美を眺めていたらふと思いついた。
「あ……そうよ。あんたの力でこの鍵、開けられたりしないわよね」
あたしは例の〝鍵付き日記帳〟を手渡して聞いてみる。
「んあ? なんだよこれ、本に鍵なんざ珍しいな」
「そうなの。でも、その鍵が見当たらなくて困ってて……でもさすがのアーキスにだって無理よね。金属製のしっかりした鍵だし。第一、こんな裏技的な方法で『バキィッ!』簡単に開いちゃったら今までのこととか、鍵の存在とかなんだったんだって話になっちゃうし――って」
途中で響いた『バキィッ!』という音と共に。
アーキスはなんなく鍵をぶっ壊した。
「開いたーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!」
「んあ? 壊してよかったんだよな?」
「よ、よかったんだけど! えー!? そんなことある!?」
確かに魔法もかかっていない物理的な鍵だとクラノスは言っていたけれど。
こんな簡単に開いちゃっていいの……?
まさか完全物理の筋肉神話で開いちゃうなんて……。
「休憩しすぎちまったぜ、じゃあなカグヤ」
当のアーキスはなにもなかったかのようにひらりと窓から塔の外壁に飛びつくと、
「あんまり考え込みすぎんなよ」
と、やっぱり大人びた優しい捨て台詞を吐いて垂直壁登りへと戻っていった。
「まったく。なにもかもが無茶苦茶ね……」
なんだか緊張の糸が切れてしまった。
緩んだ口元をもう一度引き締め直して。
「なにはともあれ……鍵は開いてしまった」
施錠されていた冊子――〝過去のあたしの日記帳〟をあらためて手に取ってみる。
もうあと戻りはできない。匙は(筋肉によって)投げられた。
ここに何が書かれていようとも……きっとなにかが変わってしまう。
そんな予感がした。
それでも――
「前に進まなくちゃいけないから」
気付けばあたりは随分と暗くなっていた。空にはぷっくりとした月がさっきまでよりも明確に浮かんでいる。
月は変わらず同じ面を見せていると言っていたけれど……今見えるあの模様は、いつもと同じものなのだろうか。
物事が起こりすぎている今のあたしには、なぜだかそうは見えなかった。
「いずれにしたって――時間はもう、限られてるんだもの」
あたしはゆっくり深呼吸をして。ごくりと唾を飲み込んで。
いつもより静かに。だけど大きく弾む心臓の音に耳を澄ませて。
月の裏側に想いを馳せて。
――本のページを、めくった。




