3-7 ふたりで語ろう!
「この森はどこまで続いてるのか、ずっと不思議だったの」
エヴァの屋上。弧型の月が浮かぶ夜。
あたしは石造りの低い柵の上に手を置いて、ミカルドと並んで夜風に当たっていた。
「あんたたちも〝出口が見つからない〟なんていうから心配してたけど……ちゃんと帰る方法が見つかってよかったわ」
夜風は相変わらず生暖かい。
何かが起こりそうな湿度を含んだ夜だ。
「あいつらと離れるのは寂しくないのか?」ミカルドが聞いてきた。
「だから言ったでしょう。寂しいわよ」そこだけは誤魔化さずにあたしは言ってやる。「でも、あたしがそれを引き留めることはできないし。何度も言うように、あたしは元の生活に戻るだけ――ゴンタロもいるし、あたしはひとりでやっていけるわ」
答えながら以前と同じ〝ある不安〟が脳裏をよぎった。
――もしもゴンタロの魔法も、いつか使えなくなったとしたら。
ここから外に出ることができないあたしは、食材を手に入れることもできないし。
その時が来たらあたしはどうなっちゃうんだろ。
これもやっぱり、いくら考えたって仕方のないことだけど。
出会いがあれば終わりがあるように。王子様たちが遠くの世界に去ってしまうように。
あたしが今当たり前に享受している日常にも、いつかは終わりが来てしまうのかもしれない。
「……だから、そうね。ミカルドと屋上でこうして喋るのも最後かもしれないわね」
視線は夜空に向けたまま、隣のミカルドに向けて言ってやる。
「む? なにを言っている」
「ほら。次の満月の夜までには帰らないと、森の出口が閉まっちゃうんでしょう?」
森の外れで見つかったというエデンの樹の洞にかかった魔法。
一度迷い込んだら出られない不思議な森から脱出するための出口。
あと10日。長いようで短いその時間のあとに〝魔法〟は解けてしまうらしい。
しかしミカルドはあまり危機感のないような口ぶりで答えたのだった。
「ああ、そうらしいな」
「らしいなって……まるで他人事じゃない」
「ある意味では他人事だからな。仕方ないだろう」
淡々と彼は言う。
「他人事もなにも……ミカルドだって帰らないとでしょう?」
「いや、我は帰らんぞ」
「あ、そうなの?」
ミカルドは頷いて、「ああ。当然だろう」
「へえそうなんだ……って、えーーーーーー!?」
あたしの絶叫が夜に響き渡った。
ミカルドが帰らないなんて、もちろん初耳だ。
「どういうことよ……?」
「どうもこうもない。我は10日が経とうが出口とやらが閉まろうが、ここからは帰らん」
「でも、この森から二度と出られなくなっちゃうかもしれないのよ……?」
最悪を想定すればそういうことになる。
魔法が解けたあとの世界がどうなるかなんて、実際にそうなってみないと誰にもわからない。
だったら『帰れるうちに帰っておく』ものだとてっきり思い込んでいたのだけど……。
「その時はその時だ。我はここでカグヤと暮らす」
などと。
そのキザな口調の我が儘王子は言い切ったのだった。
――あたしの気持ちも考えずに。
「ちょっと待ってよ、勝手に決めないでって!」
「自分のことを自分で決めてなにが悪い」
あたしたちの問答は生暖かい夜の空気をかき乱すように続いていく。
「ミカルドだけじゃなくって、あたしも巻き込まれてるじゃない!」
「塔に部屋は余っているのだろう?」
「……確かに部屋はいっぱいあるけど」
「自分でも〝寂しい〟と言っていたではないか」
「べ、別に我慢できるし」
「我慢ということは〝無理をしている〟ということだろう」
「――そうかもしれないけど!」
「いつまでこのままでいるつもりだ?」
「え?」
「いつまでこの場所で閉じこもっているつもりだ、と我は聞いている」
ミカルドは圧のこもった声で言う。
「記憶を取り戻す手伝いも、カグヤの呪いを解く方法を探すことも。ひとりよりはふたりの方が効率的であるし、なにより――気がまぎれるだろう」
「……うう」
って! なんだか納得しそうになっちゃったけど!
ミカルドの同居を継続するってことは――他の王子様が帰ったあと、ミカルドとふたりきりでここで暮らすってことよね?
そんなの、どうしたって。
「やっぱり駄目よ!」
あたしはミカルドにしっかりと身体を向けて言ってやる。
「ここから出られないのも、昔の記憶がないのも――あたし自身の問題よ。ミカルドには関係ないでしょう」
「関係あるのだ!」
ミカルドが珍しく叫ぶように言った。
彼はあたしの瞳をまっすぐに見抜いて続ける。
「……昨夜、クラノスと会っていただろう」
「えっ」
昨日のクラノスとのやり取りが脳裏に蘇る。
今は目の前にいるのはミカルドだが――どうにも〝夜〟と〝王子様〟の相性は悪すぎる。
いや、この場合は良すぎるのだろうか。
持前の輝くような顔立ちが黒い夜空のキャンバスに映えて、あたしの心ををどうしようもなくかき乱した。
「奴になにを言われた?」
「……それこそミカルドには関係ないでしょ」
はああああ、とミカルドはそこで大きく溜息を吐いた。
「記憶を失くしているとはいえ、まさかここまで鈍いとはな」
あたしはその言葉にむっとして、「なによそれ。鈍いのはいつものあんたたち――」
言葉は途中で切れた。
おもむろに近づいてきたミカルドが、あたしに向かって手を伸ばしてきたのだ。
腕は顔の横を通って背後の塀上に当たる。
いわゆる〝壁をどおん〟とする例のアレだったのだが。
今回のそれは以前とは決定的に違う迫力があった。
それこそ、あたしの心臓を強く脈打たせるには充分なくらいの。
「本当はカグヤの記憶が戻るまで待つつもりだった。いや、待つべきだった」
あたしの顔の真ん前でミカルドは言う。
「しかし――先を越されるのはどうしたって性に合わん」
「え?」
頭の中がまとまらない。
思考が、視線が、鼓動が――あたしのすべてが。
目の前で熱っぽく言葉を紡ぐミカルドの瞳へと吸い込まれていくようだった。
彼は続ける。
「クラノスの件も。我がここに残るのも――関係ないわけがない。すべて重大なことなのだ」
刹那、音が途切れた。
風が止み静寂が世界を満たす。
ただひとつ。
あたしの心臓の音だけが、夜のしじまに力強く響いていた。
永遠にも思える時間の後に。
「なぜなら、我は、」
ミカルドは激しく燃えるような瞳であたしを捉えたまま――云った。
「――カグヤのことが、好きだからだ」




