思い出の愛(2)
太陽の日差しがカーテンに遮られる、静かな部屋の中。
「うう~~~ん………今何時……?」
プレシアは毛布の中で身じろぎ、枕元に置いてある時計に手を伸ばす。時計の針は12と9を示していた。
──って、ことは9時!?
茶の木の世話をする、と紅茶店の老婆に約束していたことを思い出す。その翌日に顔を出さなかったとなればこれは大問題だ。
「し、支度しなきゃ……!!」
プレシアはすぐさまベッドから飛び起きると、いつものように寝癖の酷いショートヘアを乱雑にとかす。微かに痛みが走り、慌ててブラシを髪から離すと、金色の髪がはらりと手のひらに落ちた。
「あ。抜けちゃった」
プレシアはじっ、と抜けた髪を見つめ困ったような表情を浮かべる。
───下手に髪の毛捨てると天候が変わっちゃうからなぁ……
洗面台の横、小さな窓を開けて空を見上げる。綺麗な青い空と、まばらな雲。晴天と言ってもいい位の天気だ。
ここで髪の毛を捨ててしまうと雨が降るだろう。
「仕方ない、箱にしまっとこ」
プレシアは洗面台の下、両開きの棚から手のひら程のサイズの箱を取り出した。蓋を開けるとそこには金色の髪が十数本、綺麗にしまってあった。
そして、プレシアは抜けたばかりの髪の毛をそこにしまうと蓋を被せ、元あった場所へと箱を戻す。
一応、横目で外の様子を確認する。青い空に変化は無く、穏やかな鳥のさえずりが聞こえるだけだった。
「ふう」
祖母の特製──永久保存箱。ここに入れた物は時が止まったようにずっと残り続ける。
髪の毛のような、処分に困るものはとりあえずこの箱に入れておけば安心だ。
それはともかく、早く着替えないといけない。プレシアは壁に掛けてある、昨日着たローブとべールに向かって、
「洗浄」
と唱える。すると杖からとぷん、といつもより多めに雫が垂れ、ローブに触れた途端水の球体が服を包み込み、汚れを落とす。
「えーと、茶の木の世話ってなにか要るかな……?」
服の汚れを落とすのには少し時間がかかる。その間、必要になる道具を揃えておかなければならない。
───シャベル? は、多分お店にあるだろうしもう要らないよね。じゃあジョウロ? うーん、お店にありそう。なら………
「やっぱりこの杖よね」
お店に無くて、プレシアにあるものといえばやはり魔法だろう。老婆は僧侶でも魔術師でもないため、こんな魔法でももしかしたら役に立つかもしれない。
プレシアは汚れの無くなった服に乾燥の魔法をかけながら一人頷く。
すっかり綺麗になったローブに袖を通し、べールを被る。視界の端に黒い幕が映り込むことで、いつもの安心感を得る。
袖に杖をしまい、昨日同様ショルダーバッグを肩にかけ、扉を開く。
「よし、頑張ろう!!」
◆
「おや、来たのかい」
紅茶店に到着したプレシアに、老婆の声がかかる。
老婆はショーウィンドウを拭いている最中だったようで、タオルを手に、プレシアの方へと顔を向けていた。
「はい! 約束したので……ちょっと遅れちゃいましたけど」
「いいよ。客も来ないし、あんたが来るまで店の外でも掃除しようと思ってたところさ」
確かに。店の外は蔦や雑草がひしめき合っている。このままでは店が自然の一部になっていても不思議はない。
───あれ? でも……
「掃除、ってことは営業再開するんですか!?」
「ああ。あの後プレシア以外の種も植えてみたのさ。そしたらびっくり、今までうんともすんとも言わなかったやつらが芽を出し始めてねぇ」
「え、もう芽が出たんですか?」
「見るかい?」
「はい!!」
老婆は手に持っていたタオルを足元のバケツに入れると、プレシアを手招きした。老婆の後を追うと、茶畑がプレシアの目に映る。小さな芽がぽつぽつと出ているのが遠目でも分かった。
「わぁ……茶の木ってすぐ育つんですね……」
「まさか! こんなに早く育つはずないじゃないか!」
出始めた双葉にそっと触れようと屈んだプレシアは、老婆の言葉に首を傾げる。
「あんただよ」
「え?」
「あんたの魔法でこんなに早く育ったのさ」
プレシアは老婆から芽へと視線を移す。小さくて今にも倒れてしまいそうなほど儚い存在。けれどその下では必死に生きようと根を伸ばしている。
───すごいなぁ。
生命ってこういうことか、とプレシアはしみじみと思う。なんだか涙が出そうだ。
「ここに居たのか……」
「っうえっ!?」
突然、プレシアの肩が捕まれる。驚きのあまり声が裏返った。
ゆっくりと後ろを振り向くと、荒い呼吸でこちらを睨みつける強面があった。
「ひぇぇぇ!!」
「お前の家に行ってみれば、留守だった」
「あっ……えっと……きょ、今日はできるだけ早く、こちらに来たくて………ま、まさか僧侶さんがほんとに来る……なんて思ってなかった、ので……」
たどたどしく告げ、プレシアは僧侶の視線を避けるように顔を背ける。
───ううう、どんな顔して話せばいいの?
「あんたら、喧嘩でもしてんのかい?」
「い、いや違くて……んーと……その、色々複雑なんです」
「へぇ、まあいいけど………そういやあんたらの名前を聞いてなかったね」
名前。と聞いて、そういえばプレシアはこの紅茶店の店長である老婆の名前すら聞いていないことに気がついた。
こうして茶葉の世話を手伝うことになったのだから聞いておいて損はないだろう。
プレシアは立ち上がると、顔を伏せながら胸元に手を当てる。
「私の名前はプレシアです。おばあさんの名前も聞いていいですか……?」
老婆は、プレシアという名前を聞いて合点がいったのか、目を大きく開いた後にゆっくりと頷いた。
「あたしの名前はキャシーだよ。キャシーおばさんとでも、キャシーばばとでも呼びな。でも、そうか、あんたはプレシアって言うのかい」
「はい」
「そりゃああんだけ"プレシア"にこだわるわけだ。それで、あんたは?」
老婆──キャシーはプレシアの横で柱のように立つ、僧侶を見上げた。
「俺は、僧侶の本部──クルー街の塔に所属している青石僧侶ギルバートだ」
「なんだか堅苦しいねぇ、ギル坊って呼ばせてもらうよ」
「坊………」
プレシアの耳には到底聞き慣れない単語がいくつも出てきた。クルー街がどこにあるのか、塔とはなにか、セイセキとは?
謎は多いが、僧侶──ギルバートが真面目な僧侶で、何かに所属していることだけは理解できる。
「ふむ、なるほど僧侶と魔術師がねぇ……なんとなく関係は掴めてきたよ」
「まあ……そういうことなんです……できるだけ触れないでいただけると……」
「はいよ。いちいちつつくのも野暮ってもんさ」
そう言ってキャシーは目元に皺を寄せ、快活そうに笑う。初めて彼女に出会った時の印象とは、まるで異なる。
人生の終わりを待ち続けるだけ、そんな生気の薄くなった表情が、今では明るく空気を和ませてくれる。
無意識に頬が緩んだ。
「そういえば、お店の中ってまだ片付け終わってませんよね?」
「ん? ああ、今日やろうと思ってね。外はやったしあとは中だけさ」
「じゃあ手伝います……!!」
キャシーはそうはいってももう足腰が弱くなっているはず。外の掃除だけでも大変だったろうに、中の掃除を一人でやるのは骨が折れるだろう。
それはもう文字通りに。
「そりゃあ助かるね、ちょうど人手が欲しかったのさ」
キャシーはそう言って畑に面した裏口の扉を開く。
さて、ここは魔法でちゃっちゃと───
うわあああああ!!
「!?」
「悲鳴か?」
遠くから悲鳴が聞こえ、ギルバートとプレシアは同時に、声のする方──うっそうとした森へと体を向けた。
しばらく耳をすませると、いまだに呻くような声が聞こえる。
「な、なんでしょう……?」
「さあ、子供か?」
「えっ!! こ、子供!?」
確かに、聞こえた悲鳴は高い声だった。
───どうしよう、迷子だったり……?
「わ、私ちょっと様子を見てきます……!!」
「待て」
「……?」
声をかけられ、プレシアの足が止まる。視界の先、ギルバートは呆れたようにため息をつくとプレシアに向かって歩き出す。
「──俺も行く」