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この作品には 〔ガールズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

社会人二人の百合生活

お風呂場でバカンスを楽しむチャレンジ

作者: ピッチョン

【登場人物】

永瀬香緒里(ながせかおり):28歳社会人。大学卒業後、同期の結美とルームシェアをしていたが一年ほど前に恋人になった。会社では頼れる先輩だが、家に帰ると結美に甘えがち。

御園結美(みそのゆみ):香緒里と大学時代からの同期。言葉が鋭いときもあるが思いやりがあり尽くすタイプ。料理担当。


 耳に響く穏やかな波の音。目を閉じると引き潮で砂のころがる音まで聞こえてくるようだ。

 首から下を包むぬるい水が心地良い。ときおり波打つ水面の滴が口元に飛んできて、わずかなしょっぱさを感じさせる。

 永瀬(ながせ)香緒里(かおり)はサングラス越しに見上げた。白く輝く光が全てを照らしている。だがしかし、その光は香緒里の肌をじりじりと焼くこともなく、無味乾燥に周囲を明るくしていた。

 香緒里はすちゃりとサングラスをおでこの上に押しあげる。

「……やっぱりこれでリゾート気分っていうのは無理ありすぎない?」

 視界を誤魔化す黒いベールが無くなったことで周りがはっきりと見えるようになった。

 そこはいつも使っている自分の家のお風呂場だった。海なんてどこにもない。あるのはお風呂に張られたぬるい塩水と、なんの変哲もない浴室灯。聞こえていた波の音はドアの取っ手に引っかけられている密閉袋に入ったスマホからだ。

 浴槽の横でビーチマットを敷いてうつ伏せに寝ていた水着姿の女性――御園(みその)結美(ゆみ)が顔を香緒里の方に向けて呟きに応える。

「香緒里だって乗り気だったのに今更文句言うの?」

「用意してる最中はそりゃ楽しかったけど、こうやって実際に体験してみたら『なんか違う……』ってなるんだって」

「そこを思い込みでなんとかするのが人間の良いところでしょ?」

 旅行に行く代わりに家の中で旅行気分を味わおう。連休に入ってそう提案したのは結美だった。

 インターネットの普及した現代、日本のみならず世界中の観光地の情報が手軽に得られるようになった。名所の写真や実際に行った人の感想だけでなく、現地に立ったときの視点さえ簡単に閲覧出来る。

 もちろん自分の目で見る方が何倍も感動するだろうが、それでも『家を一歩も出ず』『お金をかけないで』というのは大きなメリットだ。

 そうして二人でどうしようかと話し合っているときにリゾートホテルのビーチの画像を見ながら香緒里がぽつりと漏らした。

『こういう海で泳ぎたいなー』

 その言葉を聞き逃す結美ではなかった。海にはすぐ行けずとも雰囲気だけなら家でも作り出せる。あくまで雰囲気だけだが。

 お風呂の中の香緒里が水を手ですくい落とした。

「思い込みでなんとかしたいけど、この海水、ほんのりしょっぱみのある水じゃん」

「本当に海水と同じ塩分濃度にしようとしたらどれだけ塩がいると思ってるの? あんまりたくさん入れて傷んでも困るし」

「そりゃそうだけどー」

 海水の塩分濃度は約3%。お風呂のお湯の量を200Lとするなら塩はだいたい6.2kg必要になる。塩水による金属の腐食の可能性も考慮すると多量の塩をお風呂に入れるわけにはいかない。結局投入した塩の量は60gほどだ。

「はいはい、果物でも食べてリゾート気分を味わって」

 結美が香緒里の頭元に置いていた器の中からパイナップルを摘まみあげて香緒里に食べさせる。缶詰のフルーツを適当にそのまま開けた簡易フルーツポンチ。

「むぐもぐ……」

「ビーチチェアに横になりながら果物を食べてるとこ想像してみてよ。ほら、リゾートっぽい」

「まぁ分からなくもないけど」

「お次はお飲み物はいかが?」

 結美がしゅわしゅわと泡立つ液体で満ちたグラスを差し出した。グラスの縁にはカットされたレモンが挿されてある。

 ストローでその液体を飲み、香緒里が小さく息を吐く。

「安い缶チューハイもこうして飲むと高級感あるね」

「でしょ? 何事も雰囲気が大事なのよ。一本百円のコーラだってスイートルームでグラスで出されれば千円以上の価値ってね」

「バリューセリングだっけ?」

「そうそう。商品の価値は物の値段だけじゃ決められないの。質の高い環境やサービスでいくらでも価値は上がるんだから」

「つまり――波の音の聞こえる自宅の簡易ビーチで、水着姿の美女にフルーツやお酒を提供されてる今の状況はすごく価値がある、と」

「ご名答」

 結美がグラスを置いて香緒里にミカンを食べさせた。されるがままにほお張りながら香緒里が問いかける。

「あぐむぐ……ん、ちなみにこのお値段はいかほどで?」

「今ならなんと、恋人価格で実費の半分!」

「わーやすーい」

「そのかわり、私にも値段以上の価値をくれることが条件だけど」

「なんだ。そんな簡単なことでいいなら喜んで」

 そう言って香緒里が白桃を唇に挟んで結美の方に向けた。

結美は微笑んでからそれを唇で受け取る。唇と唇を触れ合わせたまま白桃を口中で味わう。口に入れた瞬間こそシロップの甘さを感じたが、歯で押し潰すと酸味のある果汁が広がり爽やかな香りが鼻を抜けていった。缶詰の桃の味と言ってしまえばそれだけだろう。だが結美にとってはこの上ない極上の甘露に感じられた。

「……これだけ?」

 食べ終えた結美が熱を帯びた視線で問いかけると、香緒里は彼女の頬に手を添えて指でくすぐるように撫でた。

「満足いただけるまで何度でも」

 二人はゆっくりと顔を近づけてキスをした。



 お風呂場をリゾートビーチにして楽しむと言っても浴槽は狭いし砂浜はないしでやれることはあまりない。せいぜい軽く水を掛け合ったりビーチボールを膨らませて水の上でパスし合ったりするくらい。

果物がなくなり二人の体も冷えてきて、お風呂はビーチから姿を変えた。

「ふぃ~……」

 湯面からたちのぼる白い湯気に混じって香緒里が深く息を吐いた。

 いまや湯船を満たしているのは塩水ではなく濁ったお湯だ。特別なお湯ではなく、ただ溜めたお湯に温泉の素を入れただけ。しかしその独特の匂いやぬるりとしたお湯の感触がなんとも体と心をリラックスさせてくれる。

「海で泳いだ後すぐ温泉に入れるって考えたらすごい贅沢だよねぇ」

「せっかくだからもっと贅沢してみない?」

「ん?」

 香緒里が視線を向けると結美が「じゃーん」と徳利(とっくり)とお猪口(ちょこ)を取り出してきた。

「いつの間にそんなものを……」

「お湯入れてるときにこっそり隅であっためておいたの。お風呂で日本酒なんてこういうときにしか飲まないと思って」

「まぁね。他に人がいたら飲めないし」

「そうそう。家だからこそ出来ることを楽しまなきゃ」

 結美が湯船に入り腰を降ろした。徳利を持ったままお猪口を香緒里に渡す。

「ささ、まずは一献(いっこん)

「お、悪いねー。じゃあお先にいただきます」

 とくとくと()がれたお酒を香緒里はあおるように一気に飲み干した。喉が焼ける感覚に「くぁ~」と声が出る。

「効くねぇ~」

「お酒の温度はどう?」

「人肌くらいだけど美味しいよ。はい、結美もどうぞ」

 お猪口と徳利を交換して今度は香緒里がお酒を注いだ。同じように結美がそれを飲み干すと、片手を口の前に持っていく。

「美味しい――けどこれすぐ酔いが回りそう」

「お、じゃあ結美にどんどん飲ませちゃおう。いっつも私が先に潰れるもんね」

「あら? そんなに私を酔わせてどうする気?」

「何もしないよ。ただ、べろべろになった結美も可愛いかなーって」

「シラフは可愛くないって?」

「べろべろになった結美“も”って言ったじゃんか!」

「冗談冗談」

 結美は笑いながら体の向きを反対にして、背中から香緒里にもたれかかった。

 香緒里が結美の柔らかな体を受け止める。温泉の素の効能なのか肌がいつもよりつるつるしていた。徳利を結美の顔の前で振って見せるとお猪口が差し出されたのでそのままお酒を注ぎ、足を伸ばしながらしみじみと呟く。

「いやぁ、今日はずっと風呂場にいたねぇ」

 お猪口に口を付けてちびちびと飲んでいた結美が答える。

「ちょっとはリゾートでのバカンスを楽しめた?」

「楽しめたよ。リゾートだったかはともかく」

「お風呂にお酒に恋人まで付いてリゾートじゃないと?」

「はい、最高のリゾートでした」

「よろしい」

 すまし顔でそう言ってから結美がお湯の中で自分のお腹に添えられていた香緒里の手を握る。

「個人的には旅行に行くよりリラックスは出来たかな。旅行も旅行で楽しいんだけど、本物の海に行くとなったら色々面倒だし」

「お手入れとか?」

 香緒里の言葉に結美が思わず笑う。

「それもあるね。あとは準備しなきゃいけない物とか、時間もお金もそれなりにかかるし、人前だといちゃつけないし――」

「それは大事」

「あと、他の人に香緒里の素肌をじろじろ見られたくないし」

「……ふーん」

 香緒里は横から覗き込むように結美の顔を見た。結美の顔が赤いのはのぼせたからかお酒のせいなのか。

 結美が半目を香緒里に向ける。

「……なに?」

「いんや。そういうこと言うの珍しいなぁって」

「私だって独占欲はあるし普通に嫉妬だってしますー」

「じゃあ私と同じだ」

 ぱちくりと目を(しばたた)かせる結美に香緒里は微笑み掛ける。

「私も、結美の水着姿とか裸をあんまり人に見せたくない」

「…………」

「照れてる?」

「嬉しくて惚れ直してる」

「そりゃどうも」

 両者の間の糸が引かれていくかのように、二人は唇を重ねた。

 外へ出掛けずに家で休日を過ごすことのメリットはまさしくこれだろう。

 好きな人とずっとくっついていられて、誰にも邪魔されることなくキスが出来る。

 エメラルドグリーンの海で泳ぐのはきっと楽しいだろうし、星空の見える露天風呂に浸かるのもさぞかし気持ちがいいことだろう。

 しかしそれは大切な人が隣にいるからだ。逆を言えば、大切な人が隣にいなければどんな景勝地・保養地に赴こうが心の底から楽しむことなんて出来ない。

 何処へ行くかではなく誰と過ごすか――この二人にとってはそれが何よりも重要なことだった。

「……ん、もしそのうち夏に旅行するとしたらどうする?」

「そのときは勿論プライベートビーチのあるホテルに、部屋風呂付きの温泉旅館でしょ?」

「それ最高」


 肩までお湯に浸かったまま、二人はのぼせるまで会話と触れ合いを楽しんだ。



    終

pixivのワンルームSSチャレンジに応募した作品。

『ひと部屋だけで完結する作品』というテーマだったので、じゃあずっと同じ場所でいちゃいちゃしようと思い書きました。

こういう同棲してる百合カップルがだらっといちゃつくの好きです。


この二人の他のお話はシリーズにまとめてあるのでよろしければそちらから。


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