4
「わあ!」
列車が出発してしばらくすると、エレンは目を輝かせて車窓を覗いた。
「いい景色ですね」
列車くらい誰でも乗る。
そんなに珍しいものでは無いはずなのだが、はしゃぐ彼女に腕を組んで目を閉じていたジークフリートは目を開けた。
「むこうにだって列車くらいあるだろ?」
「それはそうですけど。こんな風に栄えた町や緑の生茂る草原は、あまり見られないんですよ」
それを聞いたジークフリートは、思わず窓を覗くエレンの横顔を見つめる。
彼女のすみれ色の瞳は、太陽に照らされて宝石のように輝いていたが、一体その目は何を見てきたのだろうか。
「……そうか」
大海原を越えたむこうの大陸から来た解読士。
いつ見かけても彼女は笑っていることの方が多いので、ついその事を忘れてしまう。
声色が低くなったのに気がつき、エレンがハッとした。
「あ。気にしないでくださいね。向こうではそれが普通なだけですから」
ちょっとしたカルチャーショックだ。
あまり気を遣われるのは、エレンとしてもやり辛い。
仕事とはいえ、こうして外に出られることは嬉しいのだ。それも、今はジークフリートと一緒にいられる。こんなに私得なことはないだろう、とエレンは思う。
「こちらの大陸はまるで別世界です。もっと色んなところを見てみたいなあ」
彼女は頬杖をついて、段々小さくなっていく首都を囲う壁を見送った。
だんだんと領地を広げたのか、円形の壁がいくつか重なっているみたいだ。
「エレンちゃん! 休みがもらえたら、オレが好きなところに連れてってやるからな!!」
「ロイ……」
ロイがそういう事ならと遠慮なくエレンの肩に手を置く。
ジークフリートは呆れた表情で彼の名前を呟いた。昔から感情的でお人好しな性格である。
「是非。お願いしますね」
エレンはそのやり取りを見て、楽しそうに笑った。
ジークフリートにもちゃんと仲の良い人がいて良かったと、彼女は優しい面持ちである。
それから三人は他愛もない話をして暇をつぶし、お待ちかねの昼食を摂ることに。
「美味しそ〜」
エレンは蓋を開けて目を輝かせた。
中にはライスと、ハンバーグ、付け合わせの彩り豊かな野菜たち、魚のフライにデザートまで。
彼女は蓋の上にいくつか料理を取り分ける。
その様子に、変わってるな?とふたりが目を丸くしていたところ、エレンは温めたいものが残った弁当箱の上に手をかざして詠唱する。
〈데우다〉
お弁当が温まった。
湯気が立ち上り、ほっかほかである。
「うん。いい感じ」
「はあっ?」
思っても見ない行動に、ロイが思わず声を上げる。
「温めますか?」
「え、あ、おう。お願いしようかな。
って、違う! そんな魔法あんのかよ?!」
魔法ってそんな事に使えるのかよ、と彼の表情が語っている。
「冷めた食品を温めるのに向いてる魔法です。今度『一般新書』に載ると思いますよ」
「へ、へぇ……」
正直、ロイは「魔法って、こんなちゃっちぃことに使うものだったのか?」と思わずにはいられなかった。
どうやらエレンが解読している魔法には、ロイの想像より色々な使い方があるみたいだ。
エレンは二人のお弁当を温める。
「ふう……」
「ありがとな。別に俺の分はよかったのに」
魔力の消費は小さい魔法なのだが、彼女はしばらく魔法は使えないくらいに魔力を消耗する。
魔力を使い切っても、身体が動かなくなる訳ではないが、何かが身体から抜けていく感覚は疲労感と似ていた。
「お弁当は冷めてても美味しいですけど、どうせなら温かいほうがいいですよ」
エレンはジークフリートに微笑むと、お弁当を前に手を合わせる。
「悪いな。疲れたか?」
「いえ。どうせ魔力が回復しても、このくらいの魔法しか使えませんから。魔力があれば、もうちょっとすごい魔法を披露したかったんですけどね」
「いやいや。十分驚いたよ。ほんと、色んな意味で」
ロイは温まった弁当を片手に、しみじみとそれを見つめた。
ジークフリートは普通にそれを食べながら、アバロス大学の事件に関する調査書に目を通す。
エレンはそれをちらりと覗いた。
「レージェスのアバロス大学って、すごく優秀な魔導師学校だと聞きました。厳しすぎて学生が逃げてしまったと考えるのは、どうでしょう?」
「どうだろうな。一番最初に行方不明になった学生ふたりはもう三ヶ月以上も行方がわからない。脱走したのか、拐われたか、最悪この世にいないか。……調べてみないことには何も言えない」
「そうですよね。無事だとよいのですが」
こんな平和な世界に行方不明事件だなんて似合わない。
裏の大陸の有り様をその目に見てきたエレンは、花揺れる長閑な草原を見てそう思った。
◇
「あと1時間くらいか」
「そうだな」
ジークフリートはロイに頷く。
列車に揺られること3時間。
四つほど壁を越えたので、外はすっかり自然の中。外側に行けば行くほど、まだ駆除が仕切れていない魔物たちがまだまだ息を潜めているものだ。
その対策に、魔法列車には強度な防御と追撃の魔法がかかっているが、警戒するに越したことはない。
アバロス大学が何故そんな場所に建てられたのかと言えば、そこが〈セーフティゾーン〉と呼ばれる、魔物が寄り付かない貴重な地域だからだ。広大な敷地にひとつの国家のごとくそびえ立つアバロス大学は、学園国家なんて呼ばれもする。
「エレンちゃん。面白い子だな?」
日当たりの良い窓際で、昼食後睡魔に誘われたエレンはジークフリートの隣ですやすや吐息をたてて寝ている。
ジークフリートはエレンの幸せそうな寝顔を見てからロイに言った。
「先に言っとくけど、俺、エレンに手出すやつには容赦しないつもりだから」
「何、その怖い宣言……」
ロイは顔を引きつらせる。
「俺にとって家族も同然なんだ。それなのに忘れてて、辛い思いをさせてた。
これからはちゃんと守る。でも……」
突然の宣言だったが、ジークフリートがあまりにも真剣な顔をしているものだから、ロイはとても笑うことはできなかった。
「……もし俺が側にいられない時は、頼む」
それを聞いて、「なるほど、それが言いたかったのか」と彼は納得する。
「任された。お前の珍しい頼み事だ。
任務より優先して彼女を守ることを約束しよう」
ロイはそう言うと拳を突き出す。
ジークフリートはそれを見て、同じように拳を突き出し彼とぶつけた。
言わずともそこまで悟ってくれるロイは、全く頼もしい戦友である。
「彼女とは長いのか? 一緒に暮らしてたって聞いたが」
「物心ついた時にはもう一緒にいた。10年くらいか」
「まじ? ちゃんと仲良くやれてたのか?」
「当たり前。自分で言うのもなんだが、昔は俺もそれなりに丸かった」
ジークフリートは気まずそうに頭を掻いた。
記憶が戻って、自分がどんな子どもだったか思い出して、今とは違う性格には驚いたものだ。
ディルクに拾われてから、公爵家の養子として色々と面倒なことがあったために性格や口調が尖ったのだろう。
(エレンちゃんには優しいのは、そういうことなのかねぇ〜)
ロイはジークフリートが見せるエレンに対する気遣いの理由を知った。
「へぇ〜。見てみたいな、チビのジーク。オレの知ってるジークは残念ながら、生意気なガキだからな」
「悪かったな、生意気な問題児で」
「うえ。もしかしてまだ引きずってんのか? しつこい男は嫌われるぞ」
「……」
じとーっとジークフリートはロイを睨んだが、唐突にフッと呆れた笑みをこぼした。
「くだらねぇ」
「ほんと、それな。もし、おまえがめちゃくちゃ可愛げのある奴だったとしても、それはそれで困るわ」
つられてロイも笑った。
そんな談笑をしていたふたりだが、ある瞬間、揃って顔を強張らせる。
「ジーク」
「ああ」
列車の揺れに、異常を感じた。
それは一般人であれば、気にしない程度の揺れ。
ロイは車窓から外を確認する。
ジークフリートは隣で寝ているエレンを起こす。
「エレン。起きろ」
「ん……」
彼女の肩を揺すった。
「はっ! ごめんなさい。寝てました。もしかしてもう着いちゃいましたか?」
エレンは現に戻ってカッと目を見開く。
「いや。まだ着いてない。だが、ちょっと嫌な気配がある」
彼女はすぐにその場に漂う雰囲気から、ジークフリートとロイが警戒しているのに気がついた。
「あー。やってるな」
ロイが呟き、ジークフリートもエレンの前に手を着いて身を乗り出し、窓を覗く。
見つめた先では、森の木々が倒れている。
魔法発動時にみられる特有の光から、戦闘中だとわかった。
「このままだとこっち来るぞ?」
ちょうどそこで、ブーブーブーと警告音が列車に響き渡る。
《ただいま、列車走行付近に魔物の確認がされました。慌てずに、窓際のお客様は必ず窓を閉め、鍵をおかけください。全ての部屋の窓が閉められたことと、お客様がシートベルトの着用をなさっとことが確認の取れ次第、この列車は戦闘回避のため、最速で運行いたします。繰り返します——》
「さ、最速?」
「乗ってみたいか?」
「え?」
ジークフリートに問われていることがよく分からず、エレンは目を丸くする。
「魔力が少ない人は酔いやすい。おすすめはしないぞ」
ロイの補足に、エレンが「それは嫌ですね」ととりあえず答えた。
「じゃあジーク。いってら」
「……仕方ないな」
「こっちは任せとけ〜」
ロイはジークフリートに手を振る。
彼は扉を開けて廊下に出ていく。
「あの、ジークさんはどこに?」
「ん? 魔物退治」
「え」
つまり、そういうことになった。
送り出されたジークフリートは、安全確認で列車を回っていた車掌に引き止められた。
「あ、あの? もしかしてその制服は……」
「国家魔導騎士団のものです。魔物は駆除しますから、エスケープはまだ使わないでください」
「おお! 助かります。ありがとうございます!!」
ジークフリートは頷くと、ジョイントの部分から外に出て列車の屋根に登る。
強く吹いた風が、彼の着ていた制服をはためかせた。
ここから獲物を狙うつもりである。
ジークフリートは目を凝らす。
目下にはハンターらしき人間と、黒い巨体に赤黒い目をギラつかせた魔物—〈サイレント・ベアー〉が戦闘中だ。
彼は一番最初に、ハンター側に分かるよう攻撃援助の合図を打上げておく。
「少し遠いな」
距離を測ったあと、腰の剣は抜かなかった。
斬撃を飛ばして、ハンターに当たりでもしたら大問題だからだ。
だが、つい昨日、エレンが解読を終えたばかりの魔法を試すのにはいい機会である。
ジークフリートは魔法の発動に移る。
彼は両手の親指同士と、その他の指をまとめて突き合わして三角を作った。それを前に突き出して方向を示すと、詠唱する。
〈我 that 모두 congelar〉
大量の魔力の放出とともに、ジークフリートの周囲からも光が漏れる。
こうして発動する動作、“型”を必要とする魔法は得てして高難度の技である。
視線の先では、術にかかった〈サイレント・ベアー〉が足元に現れた魔法陣から凍っていった。
(……魔力消費が激しい。完成までこの状態で注ぎ続けるとなると、単独戦には向いてないな)
完全に凍らせたのを見届けて、ジークフリートは腕を下ろす——。
「な、なんだ! この魔法!!」
それまで魔物の相手をしていたハンターたちが、驚きの声を上げた。
「こ、こんなヤバい魔法を使える奴がいんのかよ?!」
合図があった列車の方にハンターたちは視線を移す。
あんな遠くから、ここまで完璧に仕留められる魔法を使えるなど、世の中にはそんな恐ろしいやつがいるのかと彼らはヒヤリとした。
驚いたのはハンターだけでなく、仲間のロイも同じ。
「何だ、ありゃ……」
彼はポカンと口を開けた。
見学していたエレンは、冷静に分析する。
「あれは昨日解読した魔法ですね。見ての通り、対象者を凍らせる魔法です」
「おん。それは、見て分かるんだけどな……。
あれ、レベルVに分類される高等魔法じゃないのか?」
「どうなんでしょう? 分類するのは私の専門ではないので」
「いやいや、絶対そうだろ?!! 何アレ?! 熊、凍ってるんだけど?! 魔法もヤバいけど、それを使える魔力を持ってるアイツもヤバいだろ?!」
興奮したロイに、エレンは目をぱちぱち。
「そんなに凄いんですか?」
「あったり前だろ!」
あの凄さが分からないだと!?とロイは驚く。
「確かにあれだけの魔法になると、魔力の消費は大きいでしょうね。でも、それ以外はお弁当を温めるのと似たようなものじゃないですか?」
彼にはエレンの言っている意味が全く分からなかった。
「終わった」
「あ、お疲れさまです」
そこで戻って来たジークフリート。
ロイはすかさず彼に尋ねた。
「おまえ、あの魔法はヤバいだろ?」
「何が?」
「……」
これはオレがおかしいのか?とロイは真剣に悩んだ。
——いや、考えてみろ。あんな一撃必殺の魔法を使ってる奴を見たことあるか?
答えは、否。
あんな魔法を扱えるのは、この大陸でも片手で数えられるくらいしかいないだろう。
「高等魔法を、ホイホイ使うなよ……」
「熊を凍らせただけだろ?
ババ様のほうが凄かったよな、エレン」
「スケートやりたいって言ったら、湖を凍らせてくれましたよね」
人間にはあり得ない無詠唱で、湖を完全に凍らせてスケートリンクを完成させてしまうババロアを思い出すと、熊を凍らせるくらい大したことがないのだ。
魔女の元で育ったジークフリートとエレンは、間違った感覚を披露してしまう。
(こいつら規格外過ぎる……)
ロイはとんでもない奴らと、任務にあたることになったかもしれない、とそこで初めて気がついたのだった。
——というか、その「ババ様」って何者だよ……。
ツッコミに疲れたので、ロイのその疑問は心の中で消えていったのだった。




