第9話 チュートリアルクリア
「かはっ!」
警官が地面に倒れこんだまま首を抑え息を吐く。しかし先ほどまで感じていた流れ出ていく温かな血液の感触も、徐々に感覚を失っていく喪失感もそこにはなかった。はぁ、はぁ、と荒い息を吐きながらゆっくりと立ち上がり自分の体を見る。チョッキは紺色のため良くわからないが夏服の青いシャツは血でべっとりと濡れており変色していた。
「なんで生きているんだ?」
確かに死んだはず。そう警官は考えていた。いや、もし死んでいなかったとしても痛みも全くなく、さらには声も発することさえ出来るこの状況はおかしかった。首を切り裂かれてうめき声さえあげられなかったのだから。
そんなことを考えているともう1人の警官が同じように首を抑えた姿勢のまま突然その場に現れる。制服を染め上げるその血液の量は出血多量にして余りあるほどだと思えるのにも関わらず、しばらくしてその警官も息を整えながらも立ち上がった。
「生きてるのか、俺たちは?」
「ああ。ここがあの世じゃなければな」
「あの世じゃないぞ。初心者ダンジョンだと言っただろうが」
その声に2人は何の躊躇も無く腰から拳銃を引き抜き、通路から姿を現した少女の人形へと向けた。2人を殺したのにも関わらずその少女の人形には血の一滴すらかかった様子は無く、そしてその表情からは人を殺した罪悪感を抱いているようには見えなかった。
拳銃を構える2人の警官へとそのことを意に介した様子もない歩調で人形が歩み寄っていく。
「止まれ、それ以上近づけば撃つぞ」
「良い心がけだ。さっそくチュートリアル2が生きているようだな」
必死な表情の警官たちに対し、少女の人形が不敵な笑みを浮かべて足を止める。そして手を軽く振って警官たちに向かって何かを飛ばした。1人の警官が拳銃のグリップから手を離し、それを掴む。
それはパペットのドロップアイテムである魔石だった。
「忘れものだ。さて、それではとりあえず最後のチュートリアルに向かうぞ。着いて来い」
「待て、質問に応えろ。どうして俺たちは生きている?」
言う事だけ言って元来た通路へと向かおうとした少女の人形へと警官がきつい口調で問いかける。少女の人形を狙う拳銃を握る手はわずかに震えていた。対して少女の人形は動揺をかけらも見せることなく、さも当たり前のような顔をして答えた。
「初心者ダンジョンだと言っただろう。このダンジョンで死ぬことはない。まあ痛みや死の恐怖は消えないがな。質問は以上か? なら行くぞ」
「自分を殺した奴を信頼して付いて行くはずがないだろうが」
「その通りだ」
警官たちは拳銃を構えたままじりじりと後ろへと下がっていた。お互いに視線をちらちらと合わせ、タイミングを計っていく。そして逃げ出すその一歩手前のほんの数秒のことだった。人形の少女の声が2人の警官の間を外し、その部屋に響いた。
「チュートリアル3はダンジョンを攻略しましょう、なんだが……行かないのか?」
その言葉は2人の足を引き留めるのに十分な意味をもっていた。
「何が目的だ?」
警官の視線が少女の人形を鋭く貫く。慣れない者であればその視線にさらされただけで挙動不審になってしまいそうなほどの力が込められたそれを受けてもなお、少女の人形は何事もないかのように不敵に笑っていた。
「だから何度も言っただろう。ここはチュートリアルダンジョンだ。この意味が理解できないほどお前たちの頭は腐っているのか? 私はこのダンジョンの役目を全うするだけの人形に過ぎない」
まるで道化のような人形のその笑顔に、その奥に潜む空虚さを感じた警官たちが押し黙る。そして思考する。少女の人形の言葉を。
警官たちはとっくに気づいていた。この場所が自分たちの理解が及ばない異常な場所であることに。誰にも気づかれず地下にこれほどの巨大な空間が出来るはずはないし、人形が自分の意思を持っているかのように話すはずもない。それでもなお人がいるかもしれないということを建前にして進んだのは……
「わかった。行こう」
「おい、いいのか?」
「チュートリアルなんだろう。という事は本番があるという事だ。報告するにしても中途半端ではしにくいからな」
「話は決まったようだな。では行くぞ」
少女の人形がくるりと向きを変え通路の奥へと進んでいく。その後に続く1人の警官の目はヒーローに憧れ警官になることに決めた子供のころのようなキラキラとしたものに変わっていた。
先ほどパペットと戦った部屋を過ぎ、そしてその次の部屋へと警官2人がたどり着く。そこには少女の人形以外は誰もいなかった。部屋も今までと同じ土の壁のなんの面白みも無いものだったが、その部屋の中央から突き出した黒い木の幹とその枝に包まれるようにして鎮座している青く明滅する人の頭ほどの丸い球が異様な存在感を放っていた。
「これがダンジョンコアだ。ダンジョンの心臓部とも言えるな」
「つまりこれを取ればダンジョンが攻略できるという訳だな」
「そうだ。まあ普通はボスモンスターなりダンジョンマスターなりがいるだろうがな。ではチュートリアル3、ダンジョンを攻略しましょうを始めるか。ダンジョンコアをその台座から外すだけだ。簡単だろう?」
「「……」」
警官たちはお互いの顔を見合わせてうなずき合うと少女の人形を警戒しつつダンジョンコアへと近づいていった。その警戒する視線の中には多少の憐みが含まれていたがそれでも彼らが止まることは無かった。
そして2人がダンジョンコアの前へとたどり着く。少女の人形は全く動かなかった。
「いくぞ」
「ああ」
ダンジョンコアを覆う木の枝をかき分けその手がダンジョンコアを掴んだ。そして少しの間を置きつつもダンジョンコアが台座から外される。外されたダンジョンコアはしばらくの間明滅を繰り返していたがだんだんとそれがゆっくりとなっていき、ついに光を失った。それと同時にダンジョンの灯りが消え、辺りが闇に包まれる。
それは初心者ダンジョンを攻略したという事実を2人に知らしめているようだった。
暗闇に包まれた部屋の中で警官たちは慌てることも無くライトをつけていく。そのライトが照らしたのは先ほどまで話していた少女の人形が、本当にただの人形かのように力を失い地面にころんと転がっている姿だった。
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