第85話 闘う理由
2つの鋭い視線が交錯する。両者ともに荒い息を吐きつつもその闘志は一向に衰えを見せてはいない。そしてしばしのにらみ合いの末、その一方のオークナイトがゆっくりとその構えを最上段へと変えていく。
その筋肉隆々とした体には傷1つついていないように見えるが、その口からは血がたらりと流れ落ちていた。しかしそんなことを気にした様子もなく、オークナイトはただ眼前の敵へ向けてその鋭い牙が見えるほどの獰猛な笑みを浮かべた。
「いいね。これで最後ってことだよね。そういうの好きだよ」
それに対していたアスナも狂気にゆがんだ笑みで返しながら、胸の前あたりの高さで拳を作り構える。その全身は致命的なものはないものの切り傷だらけで着ている服は破れ、そして所々が血に染まっていた。
両者の呼吸が一瞬止まり、そして次の瞬間アスナが地面を蹴りオークナイトに向かって駆けた。その場に立ち、そして近づいてきたアスナへとオークナイトが力の限りその剣を振り下ろす。
並外れた力によって振り下ろされた剣が音を立てながらアスナの頭へ向かっていく。
それに対してアスナはただ走るスピードをさらに一段上げた。
「ああぁぁー!!」
気合の叫び声をあげ、そしてアスナがその拳をオークナイトの腹部へと突き入れるのと、オークナイトの剣がアスナの肩を斬るのはほぼ同時だった。
アスナの肩から今までとは比較にならない量の血が流れ落ちていく。それを見てオークナイトはニヤリと笑い、そしてその直後にその口から大量の血を吐いて地面へと倒れていった。その姿は光の粒子となって消えていく。
「楽しかったよ。ありがとう」
アスナが立ち上っていくそれを優しく微笑みながら見送る。そんなアスナに駆け寄ってくる者がいた。黒猫のラックだ。
「アスナ、大丈夫? これ早く飲んで」
「ありがと、ラック。強かったなぁ。一瞬でも体をずらすタイミングが遅かったら私が負けてたよ」
オークナイトの剣がアスナの頭へと当たろうとするほんの数瞬前、アスナはわずかに体をずらしていた。スピードを突然上げたことでオークナイトの予想を超える速度でその懐へと入りこめたこと、そのせいで十分な力が入らなかったこと、そして当たった場所が肩であったこと、それらがアスナとオークナイトの命運を分けていた。
最後のぎりぎりの戦いへと思いをはせながらまずそうな顔でポーションを飲むアスナをよそに、ラックは盛大にため息を吐いていた。
「強かったなぁ、じゃないよ! 見てるこっちはハラハラだったんだから」
「まぁ、勝ったんだから良いじゃん。それよりアレって食べられるのかな?」
「たぶんね。でもさすがにこの場では食べないでよ」
「そんなことしないって」
2人の視線の先には先程のオークナイトがいた場所に残されたドロップアイテムの肉があった。「しそうだから言ってるんだけどなー」とぶつくさ文句を言いながらラックが咥えてきたリュックへとアスナが無造作にその肉を入れる。
そしてリュックをひょいと背負うとその部屋の奥に設置されている扉へと歩き始めた。
「さて、次の部屋に行こう。ボスを倒したから後はマスターと使い魔だけだよね」
「そうだと思うけど、ちょっと休んでからにしよう。ボスを倒したからDPも入ったでしょ。使っちゃったポーションも補充したいし」
「腹が減ってはってやつだね。ラックが言うなら仕方ないか」
アスナとラックは扉から離れた位置へと戻り、タブレットを使って食料やポーションを出していく。既にアスナによって調べつくされ、モンスターたちも全て倒されてしまっているので2人を邪魔する者は誰もいない。
それでも食事をとるアスナの横でラックは一応警戒を続けていた。ダンジョンマスターの厄介さを十分すぎるほど知っているからだ。とは言え、既にボスモンスターまで倒したと言うこともありその心には余裕があった。
「ねぇ、アスナ。なんでアスナは自分のダンジョンを放置してまでこんな危険な戦いをしたがるの?」
「私の目的が戦うことだからだよ。生きてるって感じるしね。ラックに話さなかったっけ?」
ラックの質問にキョトンとした顔で返すその姿にラックが首をぶんぶんと横に振った。
「それは聞いたけど、僕にはアスナの生きてるって言う意味がよくわからないんだよね。ほら、今だって生きてるでしょ」
「そうなんだけど、うーん……」
アスナが天井を見上げる。そしてその思考が過去へと飛んだ。
むせかえるような熱気に包まれた会場全体から受ける喝采の声や拍手。過去の栄光。そしてそれを塗りつぶしていく白い天井を見続けるだけの日々。
自分の体が自分のものではなくなっていく喪失感。鏡を見ずに過ごすようになったのは変わり果てた自分を見たくなかったから。
だから飛び出した。自分の体が自分のものであるうちにどうしても果たしたい約束があった。
「私を倒せるくらいに強くなったと思ったらいつでもおいで」
アスナの頭を撫で、そう優しく笑った人に会うために。その約束を果たすために。記憶をたどり、獣道をかき分けて向かった山奥にある一軒の小屋。数年前の記憶そのままの姿のその扉をゆっくりと開く。そこには誰もいなかった。
部屋の中央の机においてあった色あせた紙へとアスナが視線を落とす。そしてふらふらと歩き、部屋の奥に残されていた包丁で自分の手を……
「アスナ、大丈夫?」
「あっ、ごめん。ちょっと考え事してた」
「僕こそごめん。言いにくいことだってあるよね」
ラックがアスナの肩へとひょいと飛び乗り、その頬を流れる雫をペロリと舐めた。ザラザラとしたその感触にアスナがふふっと笑う。
「人はいつか死んじゃう。だから戦わないとね。じゃあ行こう。マスターとご対面だ」
「わかった。気をつけてよ」
2人は立ち上がり奥の扉を開いてその先へと進んだ。そしてその視線の先に灯りのついた空間が見えてくる。警戒しながら2人がその部屋へと入ると、部屋の中央のダンジョンコアの手前に異様な姿の者がいた。
その姿はまるでオークとゴブリンを無理やりツギハギしたようないびつで吐き気をもよおすようなものだった。そしてそれはアスナを見るどころか自分の変化に戸惑っているかのように自身の体へと視線をやり、確認し続けていた。
その様子にアスナがあからさまに落胆する。
「敵の前でそういう態度はどうかと思うよ!」
その言葉とともに放たれたアスナの拳をまともに受けたそれは地面を転がり、そして程なくアスナの一方的な攻撃により打ち倒されたのだった。
「ボスの方が楽しかったなー」
「うん、弱かったね」
消えていく異形の化物から視線を外しアスナが部屋の中央のダンジョンコアへと視線をやる。そしてそのそばにいた狐へと声をかけた。
「君は戦う?」
「遠慮します。私は暴力が嫌いですので。マスターが倒された今、抵抗する気などさらさらありません」
想像外の渋い声にアスナが笑いを漏らしながらダンジョンコアへと拳を突き入れる。パリンというガラスの砕けるような音とともにダンジョンコアが光を放ちぼろぼろと崩れ落ちていった。
「それでは、またいつかお会いしましょう」
薄っすらと姿を消していきながらアスナたちへと狐が笑みを浮かべ別れの言葉をかけた。そして次の瞬間、アスナたちの体がダンジョンの外へと放り出される。
つい先日、アスナが入ったはずの穴はどこにも存在していなかった。
「うーん、とりあえず終わったね。次はどこにしようか?」
「少しは休もうよ。それに役所の手続きも残ってるでしょ」
「えー、めんどい」
「面倒でもやるの!」
2人はダンジョンがあったその場所を再び見ることなくその場から去っていった。他の誰に知られることなく1つのダンジョンがその姿を消した。
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