第82話 透の依頼
ゆらゆらと揺れている。なんだろうな。懐かしいような懐かしくないような妙な感じだ。でも何かをしなくちゃいけないような、何かを追いかけなくちゃいけないようなそんな気がしてならないのに、それがなんだが全くわからねえ。
胸に湧き上がる焦燥感が早く、早くと急かすのに、何を早くすれば良いのかそれが……
「いい加減に起きろ!」
「ぐふっ」
腹に良い感じで入った鋭い衝撃によって肺の中の空気がすべて吐き出され、その苦しさと残り続ける鈍痛に一気に意識が覚醒する。ごろごろと転がり、視線が腕を組みながら俺を見下ろしているセナを捉えた。
「何しやがる!」
「お前が起きないのが悪いんだろうが。もう夜の9時すぎだぞ」
「うえっ、マジ?」
セナが掲げたタブレットの画面には確かにその通りの時間が表示されていた。アスナたちがやってきたのが午後の1時ごろ。戦いとかいろいろしたが2時間はかかってねえはずだ。つまり俺は6時間以上眠っていたってことか。
まあ確かに最近はあんま眠れなかったからな。あれっ、俺って眠る直前に……
「うわっ、最悪だ」
その記憶がよみがえり思わず頭を抱える。俺の記憶は死んでしまった人形たちに謝ってるところでぷっつりと途切れている。今もせんべい丸のきぐるみ人形を着込んでいることから考えても、そのまま泣き疲れて眠っちまったに違いない。
「ガキかよ」
「透は体は大人、心は子供の人形馬鹿だからな。強く生きろよ」
「うるせえよ!」
俺の肩を優しくぽんっと訳知り顔で叩くセナへ思わず突っ込む。というかそうでもしてねえと恥ずかしすぎてゴロゴロと転げまわりたくなっちまうし。着ぐるみのおかげで顔が他の奴に見えねえのが不幸中の幸いか。ありがとな、せんべい丸。
それはそうと他の奴、というかアスナたちだ。一応視界には入っているんで、いるのはわかってるんだが、燃え尽きたような目で体をだらんとさせたアスナを必死に黒猫のラックがどうにかしようとしているって、どんな状況なんだよ。っていうか何をしたんだセナたちは。
俺の視線に気づいたのかセナがそちらを向き、そしてハッと馬鹿にするように肩をすくめながら息を吐いた。
「あの程度で燃え尽きるとはあいつも情けない奴だ」
「いや、何をさせたんだよ」
「透が知る必要はない。それよりあいつらからいろいろ聞きだしたことがある。打合せするぞ」
とりあえずアスナについてはしばらく復活しそうもなかったので放置を決めてセナに向き直る。そしてセナから俺が気を失ってからの経緯や聞き出した外の状況、そしてアスナたちと契約を結んだことを聞いた。
うん、なんか俺がしようとしてたことほとんどセナがしてくれてるな。優秀な相棒がいて良かったと思う一方で、俺の存在意義って何なんだろうなという思いも浮かんでくるが。
「まあこんな感じだ」
「お、おう。悪かったな。じゃあこれからも定期的に情報交換をしていくってことで良いんだな」
「仇が来るのは透には辛いかもしれんが、外の情報は是が非でも必要だから我慢してくれ」
「いや、いいよ。思うところがないわけじゃあねえけど踏ん切りはつけたからな。それにある意味俺にとっても好都合だ。償いをしてもらうにしてもな」
「そういえば、何かやらせたいことがあると言っていたな。何をさせるつもりなんだ?」
「それはな……」
「あ、アスナ! 良かった」
セナの質問に答えようとした俺の言葉は別の場所から聞こえてきた大きな少年のような声に遮られた。視線をそちらへとむけるとゆっくりとした動きでアスナが動き出し、その目の焦点も徐々に定まっていっていた。
そしてゆらゆらと揺れていた瞳がラックへと定まり止まる。
「あー、ラックだ。私を癒して。ぎゅー」
「やめて。正気を取り戻してよ、アスナ」
ばたばたと抵抗するラックを抱きしめ、アスナがゴロゴロと転がる。
「なあ、何してんだあいつら? ここが俺たちのダンジョンだってわかってるよな」
「うむ、少なくともラックはな。あいつは良くわからん。意識が回復したてで混濁している可能性もあるが、正気の可能性もある」
「あれが正気だったらちょっと引くな」
ラックを抱きしめるアスナは至福の表情でトリップしてやがる。なんというか人に見せちゃあいけない表情だ。元の見た目が美少女なだけにまだ見ることが出来ているが俺とかがあの表情をしたら通報されるんじゃねえか。
俺の横でセナもうんうん言いながらそれに同意していたが、しばらくしてこちらを見上げニヤリと笑った。
「お前の醜態はドン引きレベルだったけどな」
「おまっ、それは言っちゃダメだろ!」
「やめろ、人形に欲情する姿まで見せるつもりか? ひょっとしてそういう性癖に目覚め……」
「目覚めてねえよ!」
捕まえようとした俺の手をひょいっとセナが避ける。誤解を招きかねない言葉を続けようとするセナを捕まえるために体を動かそうとしたその瞬間だった。全身を猛烈な痛みが駆け巡り俺はそのまま地面にうつぶせに倒れるしか出来なかった。
「うおぉぉぉ」
「んっ、欲情の叫びか?」
「違えよ。なんか全身痛くて動けねえんだ」
ヤバい。今まで気づかなかったのが嘘みたいだ。ちょっと体を動かそうとするだけでそこだけじゃなくて体の全てにじんじんとした痛みが走る。全身が筋肉痛のひどい状態になっちまったみたいだ。
「あぁ、そういえば……」
「何か心当たりがあるのか?」
なんとか首を動かしてセナを見上げるとこちらに良い笑顔を向けて笑っている姿が見えた。絶対にロクなことじゃねえってことがわかっちまうが聞かないわけにも、って言うか止められねえけどな。体が動かせねえし。
「うむ。お前の後を引き継いでせんべい丸が戦ったのだがちょっとばかしお前の限界を超えていたかもしれん。たぶん戦いの直後はアドレナリンが回っていて気づかなかったんだろうな」
「あー、そういうことか。まあこの程度で済むくらいには手加減してくれたんだろ」
俺の言葉にセナが首を縦に振る。せんべい丸の全力起動なんて俺が入った状態でされた日には相手だけじゃなくて俺もミンチになってるだろうしな。この程度で済んだなら仕方ねえか。
むしろ俺の後を引き継いでくれたんだし感謝しねえと。
「ありがとな、せんべ……」
「特に壁を蹴り上がってからのムーンサルトせんべいプレスは圧巻の一言だったな」
「いや。何してんだよ、お前!」
俺の言葉にせんべい丸がビクッと動くがそのせいで俺の全身にも強制的に痛みが走り、思わず声が出る。
なんだよ、ムーンサルトせんべいプレスって。お前せんべいなんだからどっちかって言うとプレスされる方だろ。ちょっと、って言うか、かなり見てみたいけど俺が中にいる状態でそんなことすんなよ!
「まあまあ、せんべい丸も悪気があったわけではない。それにたぶんその痛みはファイヤーバードせんべいスプラッシュを失敗したときの自爆ダメージ……」
「なおさら悪いわ!」
いやいや、失敗までしたのかよ。しかもファイヤーバードって、お前せんべいだし焦げるんじゃねえのか? 動きの想像すらつかねえからよくわかんねえけどよ。
「あのー、ちょっと良いですか?」
よくわからん技へと思考が飛びかけたところで聞こえてきた声に体を動かさずに視線だけ向ける。遠慮気味にこちらに話かけてくるラックの姿が目に入る。その向こうにはムスッとした表情のアスナの姿も見えた。
なんと言うか俺たちが勝ったはずなのに今の体勢だと逆っぽいよな。
「とりあえず時間も時間なんで僕たちは帰りたいと思うんですけど、何かそちらのマスターの方から要望があるって……」
「あっ、そうだよ。それそれって痛たたた」
「だっ、大丈夫?」
思わず体が動いちまって痛みに声を上げちまった俺にラックが心配そうに駆け寄ってくる。こいつ、良い奴だな。俺を見下ろしながら鼻で笑うどこぞの相棒とは段違いだ。
「んっ、何か侮辱された気がするな」
「侮辱なんてしてませんから、そのナイフをしまってください。お願いします」
くそっ、付き合いが長すぎて心の中まで読まれるとはな。このままだとおちおち下手なことも考えられねえぞ。あれっ、俺って着ぐるみ着てるから表情は見えてないはずだよな。これってかなりヤバいんじゃねえか?
よし、とりあえずこういうのは放置に限る。セナがナイフをどこかにしまったのをしっかり確認し、ラックへと視線を戻す。
「えっとな、俺から今回の件の謝罪代わりに頼みたいのは簡単に言えば買い物だ」
「はぁ」
「そうだな。まずはパディロのスタンダード粘土10キロに、同じくプレミアも10キロ。他のメーカーとかの粘土関係もとりあえず10キロ単位で頼む。発泡スチロールはいまいちメーカー覚えてねえから適当に買ってきてもらうとして、着色用はやっぱ……」
「ま、待って。覚えきれないから」
ワタワタと慌てるラックの愛らしい姿に若干癒やされているとセナがこちらへと近づいてきた。
「買い物とはな。お前のことだから人形の素材なんだろう?」
「あぁ、コイツラは戻ってこねえけどせめてその素材を使って代わりの人形を作ってやりたくてな」
「んっ? DPで出せば良いじゃないか?」
セナが不思議そうな顔をする。あー、まぁ確かに人形作りを知らねえ奴はそういう反応にもなるか。
「DPで買うとやたら高いってのもあるんだが、何より種類が1項目につき1種類しかねえんだぞ。完全に馬鹿にしてやがる」
「そうなのか」
セナがあまり実感が湧かなさそうに返事をする。
確かにDPでも購入は可能だ。現に今まではそれで人形を作ってきた訳だしな。だが人形作りに使う粘土と言ってもその種類はかなりあるんだ。本当にこのシステムを作った奴はわかってねえんだよな。
どうせ作るなら色んな材料で試さねえと。どれが1番かはわかんねえしな。おっ、そういえば……
「お前の好きなせんべいだって外には色々な種類が……」
「詳しく教えろ。さもなくば殺す」
「殺すんじゃねえよ!」
本気になったセナにメモ書きを頼みほしいものリストを作成していく。なぜか半分以上がセナの欲しいせんべいリストになっていたが俺は知らん。
そのメモを渡し、あまりの量にラックがめまいを起こしかけたり、ちょっとした問題点の解決のために言い争うこともあったがとりあえず了承させてアスナとラックは帰っていった。
「セナ、面倒かけたな」
「お前の面倒を見る苦労には慣れているからな。気にするな」
タブレットでダンジョンから出ていくアスナたちを眺めながらこちらを見ずにそう答えたセナの声はとても優しかった。
お読みいただきありがとうございます。
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