第8話 初ダンジョン侵入者
その日、警視庁本部庁舎の入り口前に広がる石畳の中ごろに地下へと続く巨大な空洞が現れた。前兆すら全くなく、入り口を警備していた警官も気づかぬうちに忽然と現れたその空洞は当初地盤沈下によるものと思われた。
そして民間人がその穴に落ちていないかを確かめるために2人の警官がその中へと足を踏み入れる。
「誰かいませんかー」
ライトで照らしながらスロープのようにゆったりとした坂道を2人が下っていく。
「おい、なんかおかしくないか?」
「そうだな。でも誰かが迷い込んでいる可能性もある。もう少し進んでみよう」
違和感を覚えつつも2人の警官は歩き続けた。2人が歩く地下へと続いていく道は四角く切り抜いたように整っており、とても地盤沈下によって発生したとは思えなかった。そしてそのことが崩落の危険性などへの意識を薄くし、もしかしたらいるかもしれない助けを待つ人の救助という目的が足を進ませたのだ。
しばらく進んだ2人の視線が前方へと集中する。
「明るいな」
「桜田門駅と繋がっているのか?」
そんなことを言いあいながら2人は暗い通路から明るく光る空間へと足を踏み入れた。しかしそこは見慣れた桜田門駅の通路などではなく、土がむき出しになった学校の教室ほどの広さの空間だった。
光を発するものさえない空間であるにもかかわらず明るいと言う異常事態に思わず2人が天井を見上げる。
「ようこそ。初心者ダンジョンへ」
「誰だ!」
2人の警官が声のした方へと振り返りながら腰の警棒へと手をかける。しかしその視線の先に人の姿は無かった。
「そっちじゃない。下だ」
「下?」
そう言いながら視線を下げた警官たちが見つけたのは身の丈30センチほどの人形だった。緑の髪をサイドテールにした美少女のデフォルメされた人形が腕を組みながらふんぞり返っている。なぜか迷彩服を着ているがその姿は妙に様になっているように2人には思えた。
「人形?」
「そうだな。私は人形だ。そしてこの初心者ダンジョンの案内役でもある」
「誰だ? こんな悪ふざけをしている奴は。聞こえているんだろう。出てきなさい!」
1人の警官がそう叫んだがその問いかけに応える者はいなかった。若干いらついた表情を見せる男をもう1人の警官がなだめる。そんな2人を見ながら人形は手を広げやれやれと言う表情をしながら首を横に振った。
「案内役は私だと言っただろう。他にはだれもいない。嘘だと思うなら着いてくるが良い。どちらにせよチュートリアルは受けてもらわなくてはならないからな」
そう言って2人に背を向けて先の通路へと歩き出した人形の姿に警官たちは言葉を失っていた。その人形の動き、そして表情はとても作り物には見えなかったからだ。
まるで2人のことなどどうでも良いと言わんばかりに振り返りもせず去っていく人形の姿に、2人の警官が視線を合わせうなずきあった。そして2人は人形の向かった先へと歩を進めた。
しばらく通路を進み、再び先ほどと同じような部屋へと2人が入る。そこには先ほどの人形だけでなく等身大のデッサン人形が待ち受けていた。2人の警官の顔に緊張が走る。
「まずはチュートリアル1。モンスターを倒しましょうだ。さあ、このパペットを倒してみろ」
「何の冗談だ。いい加減に……」
「面倒だな。いけパペット」
警官の言葉を遮る少女の人形の言葉に従うように巨大なデッサン人形が警官たちの方へと歩み寄っていく。両手を前に突き出し首を絞めようとしているような姿に2人が警棒を引き抜く。
「止まりなさい。というか止めなさい!」
警官の警告も空しく、パペットが止まることはなかった。ただその手を伸ばしたままゆっくりと2人へと近づいてくる。
「くそっ」
1人の警官がパペットの手首をつかむと足を払い、転んだパペットの背中へとその手をひねりあげて押さえつける。そしてもう1人の警官が足の動きを封じるようにパペットの足首に乗って抑え込む。よくわからないがパペットの動きは完全に抑えられた。そう2人は考えていた。しかし……
「なんだと!」
パペットの拘束されていない方の腕が普通の人間の関節の動きを全く無視して警官へと掴みかかろうとしていた。その異常な動きに2人がパペットから離れるとゆっくりとした動作でパペットが立ち上がり、そして再び2人に向かって手を伸ばし襲い掛かってきた。
「仕方ない。壊すぞ」
「ああ」
警官たちが警棒でパペットへと殴りかかっていく。パペットの動きは緩慢であり、警棒で殴られたことで体勢を崩していた。しかしその動きは一向に鈍くならない。それどころか警棒に打たれた場所にその跡すら残っていなかった。
警官たちもパペットを警棒で殴りつけた時の異様な手ごたえに違和感を覚えていた。パペットは木で作られているように見えるのにまるでスポンジを打っているかのようなふにょっとした感触だったからだ。
しばらく同じような攻防が続き、そして両者の戦いをあくびをしながら眺めていた少女の人形が若干呆れた顔で警官たちに向かって声を掛ける。
「モンスターに通常の武器は効きにくいぞ。ダンジョン産の武器か自分の肉体で戦え。そのくらいわかるだろうが」
「わかるか!」
警官の1人怒鳴り返しつつも指示通りに警棒を手放して人形を引き倒す。そしてそのまま2人でパペットを蹴りつけ続け、しばらくしてパペットは動きを止めた。そしてキラキラと輝く光の粒子がその体から立ち昇るとビー玉ほどの赤くて丸い石を残して消え去った。
突然、目の前のパペットが消えると言う異常事態に2人の警官が目を丸くして驚く。しかしそんな2人の様子を全く意に介した様子も無く、少女の人形は落ちていた丸い石を拾いあげた。
「これがドロップアイテムの魔石だな。モンスターの種類によっては素材を落とすものもいるから色々と試してみることだ。あぁ、そう言えばモンスターを倒したのだからレベルアップしてステータスが確認できるはずだ。とりあえず確認してみたらどうだ? ステータスと言えば見えるはずだぞ」
「おいおいおい、嘘だろ。こんなことが……」
「とりあえず確認が必要だ。いくぞ、ステータス」
警官の目の前に半透明のボードが浮かび上がり、そこに警官の名前や年齢、そしてレベルなどのステータスが表記された。それを食い入るような視線でじっと見つめる姿に、もう1人の警官もステータスを呼び出した。
ステータスを見つめて動きを止めた2人の警官のそばへと少女の人形が歩み寄る。
「チュートリアル2。ダンジョンで油断することは死を招く」
少女の人形が飛び上がり警官たちの体を踏み台替わりにして顔の高さまで駆け上がる。そしてその手に持っていた銀に輝くナイフを一閃した。頸動脈をすっぱりと切り裂かれた警官は信じられないような顔をしたまま言葉を発することも出来ずに血を吹き出しながら倒れこんでいった。
「おま……」
倒れていく同僚の姿にもう1人の警官が腰の拳銃へと手を掛けたその時には少女の人形のナイフは既にその首へと突き刺さる直前で、どうすることも出来ずにもう1人の警官もその生を終えたのだった。
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