第76話 ストレスの元
民間への開放が始まって4日が経過した。初日組のほとんどの奴らは順調にチュートリアルをこなし、現在は3階層を探索している。
とは言え前のテスターとは違い毎日長時間ダンジョンを探索している奴もいれば、最初の1回に来たきりの奴もいる。まあ合う合わないがあるし、それに普段は仕事をしていて休日だけ入るって奴もいるだろうしな。
ドス、ドス、ドス、ドス
どうやら一般人がダンジョンに入る場合、初日だけは警官が先導して1階層のチュートリアルと2階層で罠の説明をすることになっているみたいで人数の把握をするのに役立っている。毎日3回、おおよそ60人ずつこの4日は入ってきているため現在ダンジョンを探索しているのは720人くらいのはずだ。
結構な人数だが全員が一緒に探索しているわけではないのでまだまだ余裕はある。再召喚されるモンスターの奪い合いなんてことも起こっていないしな。マナーも今のところは警備が出るまでには至っていない。まあゴミ問題は多少起こっているが煙だし人形が掃除してくれているのでキレイに保たれている。
ドス、ドス、ドス、ドス
ポイントもそれなりではあるが入ってきているし、順調と言えば順調だ。チュートリアルに偽装するという当初の目論見に成功したと言えるだろう。このままチュートリアルとしての役目を担っていけば他のダンジョンがある限りはポイントに困るってことはない。
だからこそ懸念は……
ドス、ドス、ドス、ドス
「透、交代だ」
「おう。うわっ、結構派手にやったな」
「ふん」
部屋に響く異音の元であるセナの方へと向き直ると、その背後にまるでボロクズのように打ち捨てられたサンドバッグが見えた。セナは少しすっきりした顔をしながら俺と場所を交代してタブレットでダンジョンの監視に入っていく。
とりあえず元に戻すかなと考えてそちらへと歩いていくと、サンがボロボロになったサンドバッグを拾って持ってきてくれた。
「ありがとな、サン」
人形を受け取り礼を言うと、サンはとんでもない! とばかりにぶんぶんと首を振って応えてくる。その姿にふっと心が軽くなった。そしてぺこりと頭を下げるとサンはみんなの場所へと戻っていった。
今、いつもセナと2人きりのコアルームは少し賑やかなことになっている。サン、先輩、ナルがいるからだ。まあ先輩は体のほとんどをコアルームの手前の待機部屋に残して180センチくらいの人間サイズになっているがな。
そうしている理由はもちろんあの黒髪の少女探索者、アスナの対策だ。
これまで見てきて、あいつに倒された人形が<人形修復>出来なくなるってのは確定していた。それは明確な人形たちの死ということだ。だから特別なこいつらにはとりあえず避難してもらっているって訳だな。こいつらがもし殺されたら俺は発狂するかもしれん。
今のところ被害はパペットだけに留まっている。ポイント的に見れば1万を超えないポイントだし、収支としては黒だ。でも……
「そうそう簡単に許せるって訳じゃあねえんだよな!」
サンから受け取ったサンドバッグに拳を落とす。ドスっという音を立てて俺の拳がめり込んだ。ちょっとだけスッキリするがそれと同時に虚しさが沸き上がってくる。こんなことしても消えたパペットたちが戻ってくるわけじゃないんだよな。
アスナが何か特別なことをしているなら対応も出来たかもしれねえ。でもこいつがしているのは他の奴らと同じようにモンスターを倒しているだけなんだ。そんな状況じゃあこいつだけを締め出すなんて出来ねえ。それがストレスに拍車をかけてんだよな。
何かストレスの解消法がねえかと思ってセナに相談して勧められたのがこのサンドバッグだ。いや、実際はあのアスナってやつを模した殴る用の人形をお勧めされたんだが、流石に俺自身が人形を殴るってのに抵抗があって普通のサンドバッグにすることにしたのだ。
っていうか殴る用の人形ってなんだよ。その発想がすぐに出てくるのが怖えよ、と思ったのだがセナによると格闘技やナイフの扱いを練習するのにそういった人形を使うことは普通なのだそうだ。まあ確かに生身の人間相手に出来ないことをするって意味では適役なのかもしれねえけど、流石に可哀想すぎるしな。少なくとも俺は人形を殴るなんて嫌だ。
とりあえず1発殴って気持ちを落ち着けたので元の場所へと戻って皆とタブレットに映るアスナを監視する。すかさずセナが俺のあぐらの上に座ってくるが、まあこれはいつものことだ。
アスナは現在単独で3階層を探索中だ。いつもなら17時頃には帰っていくんだが、今日は予定がないのか20時を過ぎているのにここに残っていた。一応このダンジョンは24時で終了ってことになっているらしいが、平日のこの時間に探索している者はそこまで多くない。現にアスナが進んでいる通路には他の奴はいなかった。そのせいなのかは知らんがリュックを背負っているってのにいつもより明らかに攻略ペースが速い。つまりパペットがどんどんと倒されていってるってことだ。
「くそっ」
「……」
思わず舌打ちをした俺をチラッとセナが見上げた。そして俺の太ももをポンポンと優しく叩く。
わかってるんだ。今のところアスナ以外に<人形修復>が出来なくなるなんて奴はいない。つまりこいつさえどっかに行っちまえばダンジョンは安泰だ。なんでアスナが特別なのかとかは疑問が残るが、それを調べるにはこいつと接触する必要がある。そんなことをしてしまえばせっかくの初心者ダンジョンが台無しになっちまう。
だから今はこいつが出て行くまで我慢するのがベストな選択なんだ。
「透、やはり見ない方が良いのではないか?」
「おっ、なんだ。珍しく俺に優しいな」
「茶化すな、この人形馬鹿が」
視線をタブレットに向けたままではあるが、その声から俺を心配しているってのはよくわかる。自分自身でも見ない方が精神衛生上は良いんだろうってのは理解している。でも俺は首を横に振った。
「俺が目を背けちゃダメだろ。少なくとも人形たちの最後を見届けてやらねえと」
アスナの拳によってまた1体のパペットが光の粒子となって消えていく。もうこいつが戻ってくることはないんだ。ぐっと拳を握り締める。
悪いな。何もすることが出来ない不甲斐ないダンジョンマスターで。
アスナは順調に探索を進めていき、そしてついに単独で最奥のボス部屋へと到着した。チームで攻略している奴らもいるが、民間では最も早い到達だ。しかも1回も死なずにってのがこいつの異常さを物語っている。
警官や自衛隊の奴らだって最初の頃は普通に死んでた程度にはセナの張った罠とパペットの組み合わせは意地悪く作ってある。そのことごとくをこともなげに突破してみせたってことだからな。
「やっぱ異常だな」
「もしかすると他のダンジョンに既に入ったことがあるのかもしれん。罠などの対応が明らかに慣れているしな」
「つまり他のダンジョンに入った奴らが戻ってきたら同じ状態になるってことか?」
「いや、それだと軍人たちについても同様のことが起こっているはずだ」
「それもそうか」
確かに自衛隊の奴らは他のダンジョンに入っているはずだしな。俺の出してないスキルを保持している時点でほぼ確実にそうだ。しかしアスナのように<人形修復>が出来なくなるなんてことはなかったからな。
うーん、マジでなんなんだ。こいつは。
とは言えこいつの快進撃もここまでだ。3階層のボスであるサンドゴーレムは、拳で戦うアスナにとって明らかに相性が悪い。魔法とかの隠し玉でもない限りは問題はないはずだ。なのになんで嫌な予感が消えないんだろうな。
「なあセナ、まさかとは思うんだが……」
「まさか、というのは予想のつく未来ということだ。そして予想がつくということは起こり得るということでもある」
意味ありげな言葉を放ったセナへと目をやり、そして再びタブレットへと視線を向ける。そこには嬉々とした表情でボス部屋へと入っていくアスナの姿が映っていた。
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