第56話 伝えられたメッセージ
ブオォンという小さな駆動音を響かせながら部屋に用意されたスクリーンにプロジェクターの映像が映し出される。パソコンの画面が数瞬映ったかと思うと、すぐにそれは普通のカメラより横長の映像へと切り替わった。
そこに映っていたのはデフォルメされた美しい少女の人形。サイドテールにした緑の髪を垂らしながら少し下を向いていたその人形が顔を上げ、そしてゆっくりとその目を開く。吸い込まれるような紫の瞳がじっと画面を見つめた。
カメラが人形へとズームアップしていき、画面の3分の1程度の大きさになったところでそれが止まる。
そしてそれを待っていたかのように人形の少女が口を開いた。
「まずは自己紹介といこう。私はこの初心者ダンジョンの案内人だ。今回馬鹿どもによって壊された人形の本体、とでも言った方がわかりやすいか?」
人形が皮肉気に笑うと、画面のブレが激しくなった。しかしそんなことには誰も文句は言わず映像を見続けていた。この場にいる誰しもがこの映像の価値について知っていたからだ。
世界でも初となるであろうダンジョンという存在からの映像メッセージを一言一句逃さぬように皆が集中して耳をそばだてていた。
人形の少女がその短い腕を組んで偉そうに胸を張る。
「サンドゴーレムに捕まっていた馬鹿どもの処分は勝手にしろ。既にチュートリアルの適格者ではないと判断した私にとってはどうでも良いことだからな。だがこれだけは言っておく。ダンジョンは人類に試練を与えるものであり、その中でもこの初心者ダンジョンは人類が正しく試練を受けることが出来るようにするという重要な役割を持っている。だからこそこのダンジョンでは死んでも生き返るのだ。しかし……」
人形が言葉を止め、ゆっくりと歩き出す。それを追ってカメラも動くが決して上手いとは言えない操作だった。
「今回はチュートリアルの意味を理解できない、試練を受けるに値しない者がいたようだな。非常に残念なことだ。しかし収穫もあった。無抵抗の私に対して暴力を振るおうとする者どもから種族の垣根を超えて守ろうとした優しき者と出会えたからな。その優しき者であり、この動画の撮影者である瑞和を初心者ダンジョンの案内人として、試練を受けるに値する者、優者として認める」
「ぼ、僕が勇者?」
「優しき者と書いて優者だ。優者と認めた証として瑞和にはいくつかの特殊な魔法を与えた。詳細は本人に聞け」
「ええっ」
動揺を表すかのように画面が揺れ、さらには撮影者の悲鳴が聞こえたが人形は全く意に介した様子もなく話を続けていく。
「一応言っておくが瑞和と同じことをしようとしても無駄だ。優者として認められるのは1人だけだからな。様々なことを考え、試してみると良い」
微妙なアクセントをつけながら人形がニヤリとした笑みを浮かべる。それは明らかに画面越しに見る者を挑発していた。人形が暗に示したその可能性に気付いた者たちからざわめきが広がっていく。
そんな状況を知ってか知らずか、人形の話はそのまま30分程度続いた。そしてついに人形が「最後に」という言葉を発する。映像を見ている者たちの緊張感が一気に高まった。
「最後に、今回のことを契機に初心者ダンジョンは生まれ変わる。人類がより正しく試練を受けることが出来るようにな。そのために1、2日程度は人は入れなくなるから注意しておけ。まあ死ぬチュートリアルを受けたいというのなら止めはせん。好きにしろ」
人形が皮肉気に笑い、そしてゆっくりと元の項垂れた体勢へと戻っていく。映像を見ていた誰しもがこれで終わりかと気を抜いたその時、その人形の片方の瞳が画面を見た。
「そうそう。新たに4階層も追加される。ここを初めて突破した者を闘う強き者、闘者と認める。強き者が現れることを期待する」
そう言い残し、今度こそ人形は最初の体勢へと戻り動かなくなった。しばらくして映像が止まり、そしてパソコンの画面がスクリーンに映し出されると部屋の明かりが点けられ視界が戻ってきた。
閣議室の円形のテーブルに座る面々は一様に難しい表情を浮かべていた。そしてその視線が一人の男へと集まっていく。経験が刻んできた眉間のしわをさらに深くし、考え込んでいるその男の名は岸 大輔。この場にいる閣僚を統べる内閣総理大臣だ。
「続けて報告を頼む」
「わかりました」
岸の視線を受けたすらっとした中年のメガネの男、警視庁ダンジョン対策班、班長の神谷が手持ちに資料を1枚めくり話し始めた。
「映像で案内役の人形が話していた通り、現在ダンジョンは3体のサンドゴーレムによって阻まれており侵入は出来ません。テスターの方々にはホテルにて待機していただいております」
「馬鹿ものと呼ばれていた集団と瑞和という者はどういう人物なんだね?」
質問を飛ばした大臣に向き直り、神谷があらかじめ付箋の貼ってあったページまで資料をめくる。
「案内役の人形へ攻撃した集団ですが、以前から問題行動が多く要注意の集団として監視対象としていました。ただ、早い段階で人数が6人集まっており、こちらの者を紛れ込ませることが出来なかったため遠方からの警戒としていました。今回の事態が起きる直前に死亡して1階層の部屋へと飛ばされたため監視が外れてしまい、このようなことになってしまいました。大変申し訳ございません」
神谷が深々と頭を下げ謝罪する。しかしそれに対しては特に大きな反応はなかった。ここで弾劾したとしても意味がないことは誰しもがわかっていたし、それよりも重要な情報が次に続くことがわかっているのだから当たり前かもしれないが。
神谷もそれがわかっているからか、さっと表情を切り替えると資料へと目を落としそれを読み上げていく。
「瑞和 優希。25歳、無職。人見知りの傾向があり、今回のテスター期間も1人でダンジョンで過ごしていたようです。探索については消極的だったと報告があります」
「瑞和 優希……どこかで聞いた名だな。どこだったか?」
70近いと思われる大臣が顔をしかめながら首をひねって考え始める。しかしなかなか出てこないようで、うーんとうなり声を上げ始めた。神谷がそちらへと視線を向けながら言葉を足す。
「2年前、女子高生による痴漢冤罪事件の被害者です」
「あぁ、思い出した。あの時の彼か」
神谷の言葉に得心が言ったのかその大臣はポンと腕を叩き、その他の面々も記憶がよみがえったようで事件の内容について話す声があちこちから聞こえた。
事件の経緯は複雑なものではない。通勤途中の電車内において瑞和は女子高生に「痴漢だ」と叫ばれて捕まえられ、本人は否定したが警察に拘留された。その結果、会社を解雇され起訴される直前までいったのだ。
ただ瑞和が幸運だったのはその10日後に再びその女子高生が痴漢だとして捕まえようとしたのが痴漢警戒中の鉄道警察の男であったことだ。その相棒の女性警察官が痴漢をしていないことをはっきりと見ていたためその嘘がばれ、そして瑞和の事件についても嘘の証言であることを自供したのだ。「ただ面白そうだったから」そんなつまらない動機だった。
その女子高生による痴漢冤罪事件は瑞和だけではなく、既に裁判を終え刑に服している者もいたため騒ぎになり、当初の一部報道で瑞和の名前が出てしまったことも問題となったため2年経過した今でもその名が記憶に残っている者が多かったのだ。
「無職ということは……」
「はい。人間不信になり引きこもっていたそうです。今回のテスターへの参加も自分を変えてみたい、と志望動機に書かれていました」
「そうか」
重苦しい空気が広がる中、岸がごほんと咳をついて視線を集める。
「今話し合うべきは彼の過去ではなく、未来の話だ。ダンジョンに認められ、貴重な魔法を得た彼をみすみす放置するわけにはいかないだろう。それにその迷惑な者たちの処分もある。皆の意見を聞きたい」
大臣たちが意見を出していく。そしておおまかに煮詰まった意見をそれぞれが持ち帰り、そして3日後に再び開かれた閣議において閣議決定され、瑞和、そしてクズの集団共に国からダンジョンに関する協力が要請された。
一方はダンジョンの攻略に関する真摯な要請であり、もう一方は監視を兼ねた拘束もどきの要請であることについては一部の者を除いて、その当人を含めて知らされることはなかった。
お読みいただきありがとうございます。
ちょっとした説明回でした。とりあえず民間開放は一区切りです。