第54話 ゆうしゃへの第一歩
すぐそばで聞こえた足音と感じた視線に顔を上げる。そこにいたのは案内役の人形だった。でも、姿かたちは今まで見てきた人形と同じだったけど、その自信に満ち溢れた表情や、力強い視線は明らかに違っていた。
「君は誰?」
「ほう、違いがわかるか。まあだからこそなのかもしれんが……」
その人形は少し驚いたように口を小さく開けて目を見開く。そして不敵な笑顔で僕を見ながらぶつぶつと何かを呟いていた。しばらく人形は独り言を呟いたかと思うと、再び僕の方を真剣な表情で見つめてきた。
「私はこの初心者ダンジョンの案内人だ。まあ正確に言えば私こそが、とも言えるがな」
「じゃあこの人形は?」
手に持った魔石と液体の入ったフラスコをぎゅっと握りしめながら問いかける。
「私のうつし身と言ったところか? まあ別個の存在ではある。見破られるとは思わなかったがな」
「つまり身代わりってこと?」
「ありていに言ってしまえばそうだな」
「なんでそんな……」
淡々と答えた案内人の言葉に、怒りがこみあげ思わず声が出そうになった。「なんでそんなひどいことを!」という言葉が。
でも途中で気づいた。今回みたいなことがあるからだ。そして今回その当事者となってしまった僕にそんなことを言う資格はない。怒りを抑えるために歯をかみしめ、少しうつむく。
「お前はやはり、怒ってくれるのだな。あいつのために」
「えっ?」
かすかに聞こえたその声に顔を上げた僕の目に映ったのは、優しく笑う案内人の姿だった。しかしそれはほんの一瞬のことですぐに元の真剣な表情に戻ってしまったけれど。
「着いてこい。お前には借りがある」
そう言って背を向けて案内人は1階層の奥へ向かって歩き出した。僕のことを振り返りもせずに進んでいく小さな背中を見つつ、着いていくべきかどうかを考える。
借りがある、と言うってことはここで着いていかなくてもたぶん僕に危害を加えられるようなことはないはずだ。その借りが帳消しになるくらいだろう。逆に着いていったら罠だったという可能性もないわけじゃない。僕はあの人形を守れなかったんだから。
でも……
案内人が一瞬見せたあの優しい表情は、僕の手の中の存在への愛情に溢れていた気がする。だったら悪いことにはならないんじゃないかなとなんとなく信じられた。
だから僕は案内人の後を追いかけ走り出した。
「何、ここ?」
「隠し部屋というやつだな。邪魔が入らん方が話しやすいだろう」
さも当然のように案内人は言ったけれど僕にとっては想定外だ。
このダンジョンの地図については警察から配られている。とはいえ配られたのはつい最近だけど。もちろんそこには1階層の地図もあった。でも階段の奥に隠し通路があるなんて記載は全くなかった。たぶん警察も見つけてないんだ。
部屋はここまでのダンジョンと違って床が板張りになっており、僕の視線の先には3つの宝箱が置いてあった。
1階層をクリアしたときに見た木の箱や、2階層の通路を進んだ先にあった開けられた状態の鉄っぽい宝箱は見たことがあるけれど、それとは明らかに一線を画した、赤地に金で草花の装飾の施された、いかにも高級ですと言わんばかりの宝箱に思わず胸が高鳴る。
「本当はこの中から1つ選ばせる予定だったが、お前の優しい心に報いるため3つともやろう。その代わりこの部屋のことは口外するなよ」
「わっ、わかりました」
もしかすると案内人は普段ここにいるのかもしれない。有無を言わさぬその圧に首を何度も縦に振って答え、そしてあの人形の魔石を大事にポケットに入れてから緊張に手を震わせながら宝箱を次々に開けていった。そこに入っていたのは合計3つの巻物、いわゆるスクロールというやつだ。
あまりの驚きに思わず動きが止まる。
スクロールはダンジョンにある宝箱や一部のモンスターがドロップしたりして得られる貴重なアイテムだ。なんでも魔法が覚えられたり、スキルと呼ばれる特殊な技能を習得できるらしい。説明会の時の初老の警官もスクロールを使ったからあんなことが出来たはずだ。
でもこのスクロールなんだけど、本当に希少すぎてそもそも存在自体本当なのかと言われるようなものだった。1度だけ海外のオークションに出品されて5億円くらいで競り落とされてニュースになっていたので知っているけど。
つまりこの3つのスクロールを売れば合計15億円になるってことだ。それだけあればこれからの人生なに不自由なく過ごせるはずだ。
「その3つに関してはお前の好きにしろ。自分で使うも、他人に与えるも、売り払うもお前の勝手だ。だがその3つはダンジョンの探索で役に立つものだとは伝えておく」
僕の思考を見透かしたようなその案内人の言葉にドキリと胸が跳ねる。売ってしまえば確かに自由な暮らしが出来るかもしれない。でも大金を手にしたばっかりに不幸になった人の話なんかネットで腐るほど見てきた。
それに強くなろうと決めたのは僕だ。なら自分で使わないという選択肢はない。ポケットと手に感じる重みがその選択を後押ししてくれた。
「自分で使います」
「そうか」
透明な液体の入ったフラスコを丁寧に床に置き、案内人が見守る中で僕は取り出したスクロールを開いていく。書かれていた不可思議な文字と思われる物と周りの紋様が赤く輝き、宙に浮いたかと思うと自分の中に吸い込まれていく。
とても不思議な感覚だ。読めるような文字でもなかったはずなのに自分が何が出来るようになったのかが自然と理解できているんだから。
「ポイズン、パラライズ、スリープ。完全に支援系魔法使いだ」
「有用な力だ。上手く使え」
「ありがとう。強くなってみせるよ」
案内人の言葉に力強くうなずく。
もらった3つのスクロールは相手を状態異常に陥らせる魔法だった。ゲームによっては使い道のない魔法だったりするけれど現実なら非常に強力な魔法だ。だって毒にかかれば動きは鈍るだろうし、痺れたり、眠った相手なら集団で攻撃出来るんだから。
この力を最大限に生かすためには強い仲間が必要だ。人と関わるのは苦手だけど、でも強くなるためにはそうするしかない。やるしかないんだ。
そんな風に決意している僕に案内人が声をかけてきた。
「最後になるが、お前にメッセンジャーを頼みたい」
「メッセンジャー?」
「ああ。先ほどの3つにはこの依頼の報酬も含んでいる。3つ使ってしまったから強制だな」
「それ、先に言うべきことだと思いますけど。でも別に良いですよ」
「ふむ、ではいくぞ」
案内人のメッセージを聞き終えたころには結構な時間が経過していた。時計を見ると隠し部屋に入ってから2時間過ぎており、探索期限の17時を少し超えていた。
隠し部屋から1階層へと戻り、出口に向かって歩いていく。僕の手には透明なフラスコも魔石もない。案内人に置いて行けと言われてしまったからだ。少し迷いもあったけど、あの人形も眠るのなら自分の生まれたダンジョンで、仲間たちに見守られながらの方が良いかもしれないと思って了承した。
1階層の最後の部屋、ダンジョンコアがあり、そしてあの人形が死んでしまった部屋で僕は目を閉じ黙とうした。これからも時々ここに来よう。決意が揺らぎそうになった時に、初心を忘れそうになった時にそれを思い出すために。そしていつか……
誰もいないせいか静寂に包まれる中、そろそろ帰ろうかと思い始めたときペタペタという足音が聞こえてきて思わず目を開けて振り返る。
そこには深海のような深い藍色の髪をした案内人の人形がいた。そしてその人形は僕に近づいてくるとズボンを掴み僕を見つめた。その星のような薄い黄色の瞳に見つめられて僕は気づいた。姿は変わっているが、この人形は、あの壊されてしまった人形だということに。
溢れそうになる涙をこらえていると、そんな僕に向かって人形が1枚の紙を差し出してきた。そこに書かれていたのは……
(お前に着いていきたいそうだ。大事にしてやってくれ)
という簡単な言葉だった。それを見た瞬間、僕は人形を抱きしめ、そして堪えていた涙はあっさりと決壊した。
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