第46話 ダンジョンテスター
「うわっ」
部屋に入った瞬間にその雑多さに思わず声が出た。そして声を上げた僕に視線が集まる。伸びていた髪や髭を切ったおかげで人並みの姿にはなったはずだけどやはり視線が集まるのは怖い。しばらくして視線が散ったのを感じてほっと胸をなで下ろす。
僕たちダンジョンのテスターの集合場所になっていたのは警視庁本部の2階にあるふれあい広場と呼ばれる場所だった。黄色のベンチが並んでおり、その先には大きな液晶画面と講演台が置かれている部屋だ。
警視庁本部の入口で止められ、ビクビクしながら書類を出すと入庁証の名札を渡された。そしてそれを首にかけてここに案内された訳なんだけど入ってびっくりしたのはそこにいる同じテスターの人たちの統一感のなさだ。
男も女もいるし、年齢も70を超えていると思われるご老人から、明らかに高校を卒業したばかりといった若者もいる。やせ型、鍛えていそうな人、僕のように太っている人などその体型も様々だった。ちょっと僕が選ばれた理由の一端が見えた気がした。
それにしてもこの会場に100人も集まることができるとは思えないんだけど。実際に今いる人数も30人前後だし。
しばらくして時間になり、1人のメガネをかけた男性の警察官が講演台に立った。いかにも仕事が出来ますというオーラが立ち上っている。いよいよ始まるという雰囲気に談笑をしたりしていたテスターたちも椅子に座り静かにし始めた。まあ僕は最初から端っこの方で静かに座っていたけど。
「皆様、本日はお集まりいただきありがとうございます。警視庁ダンジョン対策班に所属する神谷と申します。これから1か月皆様が入る事になるダンジョンについて説明させていただきますのでしっかりお聞きください」
その神谷さんから聞いた話のほとんどは既に知っている情報だった。他のテスターの人たちも同じようだ。まあここにいるくらいだからダンジョンに興味がある人ばかりだ。ネットで頻繁に流れている情報くらい知っているだろうから当たり前だけど。
しばらくダンジョンを進む動画が流れたり報酬の話が続き、そろそろお尻が痛くなってきたあたりで10分の休憩が入った。持ってきたリュックサックからペットボトルのお茶を取り出して口に含む。思いのほか喉が渇いていたみたいだ。
他の人たちの話している声に耳を傾けると、わかりきった説明なんかどうでも良いからさっさとダンジョンに入らせろよという威勢の良い声も聞こえてくる。一応配られた次第通りならこの後30分くらい説明が続き、その後に荷物を預けてダンジョンに潜る予定らしい。
ダンジョンについての説明なんかは休憩前に済んでしまっているのできっと休憩後は具体的な探索方法などの話になるはずだ。大きく息を吐き、入室時に渡された書類をパラパラとめくったりして心臓の鼓動を落ち着ける。
そうこうしている間に休憩時間は終わり、再び神谷さんが講演台に立った。
「では今後の予定について話させていただきます。この説明が終わった後、先程入室時にお渡しした契約書へと署名をしていただきます。そして6人組に分かれ、先導する警察官に従って順次ダンジョンへと入ることになります。そこでモンスターを1体倒していただき、ステータスが見えるようにする予定です」
その言葉に自分の口がヒクヒクと動いていくのを感じる。人と一緒に行動するのは苦手だ。今後も一緒に行動しなければならないのであればかなりの負担になる。でもダンジョンは危険な場所だからそれも仕方がないのかもしれない。
誰だって死ぬのは嫌だ。実際ダンジョンを攻略中に自衛官や警察官でも死んでいるんだ。運動の苦手な僕なんかあっさりと死んでしまうかもしれない。
先程休憩中に見た契約書の中の、ダンジョン内での死亡時の責任は本人が負うものとする、という文言が妙にリアルに感じられてきて体が震える。
ぐるぐる、ぐるぐると悪い想像ばかりが膨らんできて嫌な汗が全身から流れ始めた。僕はなんでこんな場所に来てしまったんだろうという後悔でどんどんと気持ちが悪くなってくる。
なんとか神谷さんの説明を聞き終え、平然とした顔で契約書にサインしていく他のテスターを尻目に僕は部屋を出てトイレに向かった。
手洗い場で水を手のひらに溜め、バシャバシャと顔を洗う。多少はマシになったかと思ったけど鏡に写った自分は青ざめたひどい顔をしていた。
「ハハッ。何をしてるんだ、僕は……」
覚悟を決めて来たはずなのに、ダンジョンに入る前からこんな体たらくだ。こんな顔、昨日わざわざカツ丼まで作って応援してくれた家族には見せられないほど情けない姿だ。
両手を差し出し、流れる水の冷たさでこの気持ちも流れてしまえばいいのにと夢想する。そんなことがあるわけ無いと自分でもわかっているのに。
「君は……先程説明を聞いていた今回の参加者じゃな?」
「えっ?」
いきなり背後から声をかけられ振り向くと、そこには白髪のところどころに黒のメッシュの入った渋い50過ぎ位の男性警察官が立っていた。胸のプレートに加藤と書いてあったから加藤さんなんだろう。
どこかで見たことがあるような気がして記憶を探って見るとさっきの会場の部屋の隅で立っていたことを思い出した。もしかしたら僕の様子がおかしいことに気づいて追いかけて来てくれたのかもしれない。
加藤さんはしばらく僕のことを見て、ふっと柔らかくその顔を崩した。
「怖いんじゃな」
「えっ?」
「ダンジョンに入ることがじゃ」
その好々爺とした顔の奥の鋭い視線に自分の心の中を全て見抜かれてしまいそうで思わず視線を逸らす。このままどこかに行ってくれないかな、といういつもの逃げの考えが浮かび、そんな自分がさらに嫌になる。
そんな僕の肩に加藤さんの節ばった手が置かれた。
「それでいいんじゃ。怖いと言う感情はダンジョンへ行くのに最も必要なものなんじゃ。怖さを知る君は誰よりも向いておるよ」
「そうでしょうか?」
「そうじゃとも。なにせ何度もダンジョン探索をしている儂だって未だに怖いんじゃからな」
そう冗談めかしてパチリとウインクする加藤さんの励ましに少し気持ちが上向く。たとえ僕を励ますための優しい嘘を含んだ言葉でも、それは僕の背中を確かに押した。
「ありがとうございました!」
加藤さんに頭を思いっきり下げて感謝する。この人がいなかったら僕は先に進めなかったかもしれない。そして顔を上げた僕に加藤さんは小さく微笑んだ。
「いいんじゃよ。若者を導くのが先達としての役割じゃからな」
もう1度頭を下げ、加藤さんの横をする抜ける。覚悟が決まったなんてかっこいいことは言えないけど、とりあえず僕なりに1歩踏み出してみよう。
「あぁ、そうそう」
呼びかけられ振り返ると加藤さんが右手の人差し指を立てた。
「水は大切にするんじゃぞ」
そう言ってから加藤さんがボソリと何かを呟くとその指の先にゆらゆらと揺れる透明な液体が球の形で浮かんだ。しばらくしてそれは力を失ったかのように手洗い場の中に落ちる。
それは僕が映像ではなく、初めて実際に見た魔法だった。
「はい!」
大きく返事をして駆け出す。何か加藤さんの声が聞こえた気がしたが何を言ったのかはわからなかった。でもそれは僕の将来へ加藤さんからのエールだろう。きっと。
「ふぅ、危うく漏れるところじゃったわい」
お読みいただきありがとうございます。
完全別視点はこれで終わりです。あくまでダンジョン側メインにしたいので。