第45話 きっかけは掲示板
「ダンジョンの一般への開放に先立ち、まずは100名の方を選考させていただきます。その方々に実際にダンジョンへと入っていただき、意見、感想などを伺った上でしっかりとした安全の確保、管理体制を整えられるように法整備等をしていく予定です」
ついに日本政府がダンジョンを一般人に公開する。その日のニュース番組はほとんど全ての番組がその会見の特集を組んでいたし、僕自身もそんなニュースを見ながらネットの掲示板に書き込みを続けていた。
とは言ってもすぐに一般公開するわけじゃない。会見でも言っていた通りどうやら100名のテスターが先んじて募集され、そして1か月ダンジョンの探索を体験した後に意見を集約してダンジョン関係の組織とか規則とかを作り上げるらしい。
その応募期間が2週間、そして選考に2週間かけるらしいから少なくとも一般へのダンジョンの公開は2か月以上かかるってことだ。
掲示板では遅すぎるとか結構叩かれてたけど、いずれは公開される予定なんだから別にいいんじゃないかなって個人的には思う。まあそんなことを書き込んだら集中砲火喰らうからしないけど。
掲示板では続々と応募したという報告が書かれていく。募集条件が18歳以上であること、そして1か月間ダンジョンを探索し続けることが出来る者という緩い条件なので僕と同じような無職の暇人なら楽々条件はクリア出来る。まあクリアしたところで選考ではじかれると思うけど。
「俺、ちょっと冒険者になってくるわ、と」
応募のホームページはかなり重かったけど必要事項の入力をすべて済ませて送信し、そして掲示板に戻ってそんな言葉をキーボードで打ち込む。俺も、俺もと言いながら続々と続いていくのが面白い。
自分の笑い声が薄暗い部屋の中に響いて反響し、思わず我に返る。アニメのブルーレイや漫画、小説やフィギュアなんかが並んだ自分の城。どこかでかけ間違えてしまって取り戻しのつかなくなった自分。そんな現実が重くのしかかってくる。
「きっかけさえあれば僕だって……」
何度もそう考えた。そしてその時と同じように僕は結論を先延ばしにして、この淀みつつも優しい世界に身を沈めることにした。
「なぜこうなったし」
手の中にある一枚の紙。あまりに薄っぺらすぎて何かのダイレクトメールかと思ってゴミ箱に捨てそうになったそれは、僕がダンジョンの一般人公開に先だったテスターに選ばれたという通知だった。
詐欺かと思って書かれていた電話番号をネットで検索したりしたけど、紛れもなくその通知が本物だという証明をしたに過ぎなかった。それでも信じられなくて思わず電話してしまって、久しぶりの他人との会話過ぎてどもりつつも、なんとか話を聞くことが出来た。その結果わかったのはその通知が本物だというわかりきったことだった。
まさか自分が選ばれるなんて、というより応募したこと自体、頭から抜け落ちていたのに、と半ば夢を見ているような気分で用意する物として書かれていた着替えなどを高校の時に使っていたリュックへと詰め込んでいく。そしてそのリュックを背負い僕は部屋の扉を開けた。
廊下を照らす太陽の光に少しめまいを起こしそうになる。そういえばこんな昼間の時間に廊下に出るなんていつぶりだろう。少なくともここ1年くらいは出てないはずだ。
風呂に入るときにしか最近では使っていなかった階段を降り、そして玄関で立ちすくむ。ガラス張りに格子のはまった昔ながらの引き戸の扉だ。台風の時なんかガタガタと音を立てるくらいの何とも頼りない扉だけど、それでも僕にとっては僕のことを守ってくれる大きな存在だった。
これを開けてしまえば僕を守ってくれるものはなくなる。それがとてつもなく恐ろしかった。
「優希。どこに行くの?」
「母さん」
安心する優しい声に振り向くとそこには母さんが立っていた。記憶にある母さんの姿よりちょっとやつれているけど。その原因は間違いなく僕だ。
ぐっ、と手に持った書類を握り締めて視線を玄関に戻す。そしてそこに置かれている汚れもなく、ほこりさえ被った気配のない自分の靴を見つけて決意する。
「僕、ダンジョン探索のテスターに選ばれたんだ。だから行ってくるよ。1か月くらい向こうの用意した宿泊施設に泊まることになるらしいからご飯はいらないから」
パタパタとスリッパの音を響かせながら僕へと近づいてきた母さんに振り返りもせずに届いた通知を掲げて見せる。顔を見たら甘える気持ちが出てしまいそうだから。母さんはその通知をじっと眺めているようだった。
「なんで選ばれたのかはわからないけど、きっとこれは神様が僕に与えてくれた立ち直るための最後のチャンスなんだと思う。だから母さんたちが反対しても僕は行くよ」
「……優希」
母さんの声を無視して掲げていた書類を封筒にしまい、久しぶりに自分の靴へと足を通す。そんなことはありえないはずなのになぜかその靴は温かく感じた。
その温かさに勇気づけられながら立ち上がり玄関の扉へと手をかける。カラカラという音を立てながら思いのほか軽く扉は開いた。
「じゃあね、母さん。行ってきます」
「待ちなさい、優希」
「ごめんね。でも僕は……」
「そうじゃないわよ。あなた集合の日を確認したの? 来週の土曜日って書いてあったわよ」
「えっ!」
慌てて封筒から書類を取り出して確認すると確かに集合は10日後の日付が書いてあった。そりゃそうか。郵便が届く日なんて地域によって変わるんだし、遠方の人が選ばれることだってあるだろうからすぐに集合なんて常識的に考えてありえない。
「とりあえず扉を閉めなさい。虫が入るから」
「はい」
「それと人様に会うんだからちゃんとした格好をしなさい。そうだ、ちょうど良いから散髪に行ってきなさいよ」
「えっ、別に良いよ」
「つべこべ言わない。行ってきなさい!」
半ば無理やり押し出されるようにして玄関から外へと出る。怖いと思っていたその場所は日差しの差すただの玄関前の歩道で、それ以外の何物でもなかった。
自分の足でその先へと恐る恐る一歩踏み出す。胸の中に溜まっていた黒いものが少しだけ薄れた気がした。もう一歩、もう一歩と確かめるように足を進めていく。
母さんがそんな僕の姿が消えるまで見守っていたことを、僕はずいぶん後に本人に聞くまで知らなかった。
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