第37話 変わり者のダンジョンマスター
8メートルほどもある筋肉隆々の巨大な1つ目のモンスター、サイクロプスの持つ棍棒が横薙ぎに振られ、うなりをあげながらその眼前に佇む黒髪の少女へと襲いかかる。体をかがめてなんとかそれをかわした少女だったが、かわされたことに気づいたサイクロプスは即座に動きを変えて棍棒を打ち下ろしにかかる。
「まずっ!」
体を投げ出すようにして少女が飛び去ったその場に重い音と衝撃とともに棍棒が叩きつけられる。その風圧だけで浮いた少女の体は吹き飛ばされゴロゴロと白い床を転がっていった。
そしてそんな少女へ向けてサイクロプスはその巨大な足を踏みおろし、少しの抵抗もすることはできずに少女は潰されたのだった。
「いやー、さすが10,000DPのモンスターだけあるわ。ムリムリ。絶対に勝てないわー」
「……」
潰されたはずの少女がカラカラと笑いながら起き上がるのを黒猫が呆れた様子で見守っていた。
目の上ギリギリの前髪とウェーブのかかったしっとりとしたショートカットの髪を軽く整えるとその少女はそのブラウンの瞳をキラキラとさせながら傍らに置いてあったタブレットを操作し始める。
「じゃあ次行ってみよー」
「ねえ、アスナ。そろそろダンジョン造ろうよ。もう残り1日切ってるんだよ」
「えっ、そだっけ?」
「そうだよ……って押さないでよ!」
黒猫にアスナと呼ばれた少女は小首をかしげて空とぼけながら、タブレットに表示されたモンスターを選択してボタンを押した。
「サモン、ファントム」
「あぁー」
黒猫の悲しげな声をよそに、アスナは嬉々とした目で魔法陣から現れるフードを被った半透明の人影のようなモンスター、ファントムへとその拳を向けるのだった。
「いやー、物理的に攻撃が当たらないなんてね。というか当たっても効いてなかったよね。まさか物理無効? さすが10,000DP」
「……」
四肢をねじ切られて死ぬという壮絶な体験をしたのにも関わらず嬉々とした表情をしているアスナの姿に黒猫がわざとらしく大きなため息を吐く。そんな様子に気づいたアスナが黒猫へと近づきこしょこしょとその首筋を優しく撫でる。
「機嫌直してよ、ラック」
「じゃあ機嫌が直るような事してよ」
「えっ、お腹を撫でるとかで良い? 猫じゃらしはちょっと持ち合わせがなくって……」
「違うよ! ダンジョンを造ってってこと」
ぷりぷりと怒る黒猫のラックに対してアスナは「なぁんだ」と少しがっかりした様子で返事した。そしてわきわきと動かしていたその手を止める。それを見てラックが再びため息をついた。
「ため息ばっかついてると幸せが逃げちゃうよ?」
「そうさせてるのはアスナだよね。僕がダンジョンを造ってって何度も、何度も、なーんども言ってるのに一向に作ってくれないし。モンスターの強さを確認するって言うから待ってたけど……もしかしてアスナはダンジョン作る気がないんじゃない?」
「おぉー、さすがラック。せいかーい」
「えぇ! 本当に作る気がないの!? アスナはダンジョンマスターなんだよ」
ラックがくりくりの金色の瞳をさらに見開いて驚愕を露わにするが、アスナはそんなラックの姿に「可愛い!」と言って抱きついていく。嫌そうに身をよじって逃げようとしながらもラックが非難めいた口調でアスナへ声をかけていく。
「ダンジョンを作っておかないとコアルームだけになっちゃうんだよ。見つかったら終わりだよ。わかってるの?」
「わかってるって。うーん、この毛並み。肉球のちょっとすっぱい匂い。たまらないよね!」
「やめてよ! それに僕は臭くないからね! あれっ、臭くないよね」
「大丈夫。それも含めて私はラックが大好きだから」
「それ、フォローしてると見せかけて肯定してるよね。そんなに? そんなに臭うの?」
くんくんと鼻を利かせて自分の匂いを嗅ごうとするラックとそれを愛で続けるアスナのじゃれあいはしばらく続くのだった。
そして……
「あーあ。本当にダンジョン作らなかったよ」
「どーんまい」
「アスナのせいだからね!」
「怒ってる顔も可愛い!」
猶予期間の7日を過ぎ、アスナとラックは現実世界のダンジョンへと転送された。ダンジョンとは言ったもののアスナが何も造らなかったためコアルームから即座に地上へと続いているという驚きのワンルームではあったが。
唯一のコアルームでさえ何も設定していないので5メートル四方の空間の中心にダンジョンコアが存在しているだけだ。明かりさえないので明滅するコアの光だけが2人を照らしている。
「これからどうするつもりさ?」
「うーん、ちょっと待ってね」
不機嫌全開のラックを抱き上げてアスナがスタスタとコアルームから外へ向かって歩いていく。しばらくして外の明かりが進む先に見え始めた。
「ねえ、何するの? もしかして外に出るつもり?」
「ピンポーン。大正解。そんなラックへのご褒美は私の全身マッサージです」
「それ、僕じゃなくてアスナのご褒美だよね!」
ラックがそんなツッコミを入れている間に、あっさりとアスナはダンジョンの外へと出ていた。周囲はうっそうとした木に覆われているが、朝特有の静謐な空気のおかげか不気味さは感じられない。鳥の鳴く声が頭上から響く中、2人が周囲へと視線を巡らせていく。
「うん、さすが富士の樹海。誰もいないね!」
「だからやめようって言ったのに」
「いいのいいの。私にも考えがあるんだから」
「ほんとかなぁ」
疑わしげなラックの視線に晒されながらアスナはゴソゴソと肌とスキニージーンズの間に挟んでいたタブレットを取り出して操作を始める。しばらくその辺りを歩き回って操作したり、木に登って操作したりとラックにしたら一見して意味不明な行動をアスナはし続けた。そして1時間程度して満足気な様子でラックの元へとアスナが戻ってくる。
「ただいまー」
「お帰り。何してたの?」
「うーん、検証?」
「なんで疑問形なの?」
「いいから、いいから。じゃあちょっと準備するね」
アスナがタブレットを操作すると先程まで2人の目の前にあったダンジョンへの入口が土の壁で塞がれる。
「ちょっと何してるの!?」
「大丈夫、大丈夫」
驚きのあまり固まるラックをよそにアスナがその辺にあった木の枝や木の葉などをばら撒いていく。しばらくするとダンジョンの入口があった場所はほとんど周囲と変わらないまでになった。
まだ固まったままのラックをよそにアスナが次々にタブレットを使ってバックパックや食料などを購入していった。そして荷物の整理を終えるとまだまだ余裕のあるバックパックにタブレットを入れて背負う。
「じゃあ、行こっか」
「ええっ、どこに!?」
「ダンジョンだよ、ダンジョン」
「ここにあるじゃん。入口はアスナが塞いじゃったけど」
変わり果てたダンジョンの入口を前足で指差すラックにアスナは笑いながら首を横に振る。
「違うよ。私が行きたいのは、私の夢はね……」
自らのダンジョンを捨てた変わり者のダンジョンマスターと苦労性の使い魔の黒猫の冒険はここから始まった。
お読みいただきありがとうございます。
ちょっと奥さん! ジャンル別日刊7位ですってよ(錯乱)
本当にありがとうございます。