第36話 あるダンジョンの誕生
「くそっ、なんなんだよこいつら!」
ニキビ面が特徴的な太った男が唾を飛ばしながらタブレットに向かって怒鳴りつける。その画面には男が召喚したゴブリンたちが、侵入者である木の棒を持ち防護服を着た自衛官たちになすすべなく打倒されていく姿が映っていた。
「侵入者です」
「わかってるんだよ、そんなことは。黙れ、このポンコツ!」
男の拳がそばで立っていたメタリックなシルバーボディの女性型ロボットの頬へと吸い込まれ、ロボットが地面へと転がる。しかしその女性型ロボットは表情一つ変えず何事もなかったかのように立ち上がると、痛そうに手を振っている男の元へと戻っていった。
「くそっ、くそっ、くそ-!! どうして僕の周りは使えない奴ばっかなんだ」
「……」
憎々し気な表情で女性型ロボットを睨みつけながら男は親指の爪を噛んで貧乏ゆすりを始めた。しかしそんなことで状況が良くなるはずもなく男の手下であるゴブリンたちの数は減り続けていく。
対して自衛官たちの損害は0だった。それもそのはずで、自衛官たちは6人1組の部隊として動いてはいるが常に万全の状態で戦えるようにいくつかの部隊が交代しながら進んでいたからだ。DPの消費をケチり戦力を小出しにし続ける男の方針では損害を与えられるはずもなかった。
自衛官たちが全く危なげなく1階層を制覇し、そのまま階段を降りると2階層を歩き始める。「想定よりもたいしたことないな」などと会話を交わすその姿は男をさらに苛立たせた。
「そうやって油断しているがいいさ。2階層からは罠があるんだからな。頭も悪くて弱いゴブリンなんか所詮は捨て駒なんだよ!」
そう吐き捨てながら苛立ちを紛らわせるために男はガジガジと親指の爪を噛み続ける。自衛官たちの足取りは決して早くはないが着実に罠のある場所へと近づいていった。
「いけ、いけ、いけ、いけ!」
呪詛のように繰り返す男の目は狂気と愉悦の入り混じった濁った色をしながらタブレットを見続けている。そこに人を殺めるという忌避感は全く感じられず、それどころかただのDPの元でしかないとでも言わんばかりの冷たさがあった。
あと5メートル、4メートル、3メートルと距離が近づくたびに男の鼓動が跳ね上がっていく。しかし罠の2メートル手前、そこで先頭を歩いていた自衛官が前を向いたまま後ろに手を回して手のひらを開いた。その合図に後を着いていた全員が一斉に動きを止める。
「落とし穴だな。モンスターの出現、要警戒」
「「「了解」」」
その合図に全方位へと警戒の視線が飛ぶ。そして2人の自衛官が前へと進み出ると腰から下げていたスプレー缶を取り出し、慎重に地面へとそれを噴射していった。地面に白い丸い円とその中にバツが描かれる。そして役目を終えた2人が再び隊列へと戻っていった。
「よし、進むぞ。警戒は怠るな。生き返ることは出来んからな」
「「「了解」」」
自衛官たちが罠を大きく避けるようにして再び進み始める。その後も2階層が踏破されるまで自衛官たちが罠にかかることは全くなかった。
「くそっ、本当になんなんだよ! ゲームのNPCみたいに馬鹿みたいに引っかかって死ねよ!」
「……」
ダンダンとじたんだを踏みながら顔を赤くする男の顔は汗にまみれ、ぬめり光っていた。そんな男の様子をじっと女性型ロボットが眺めている。
「クソ、本当にクソばっかだな。せっかくDPが入ったっていうのに損の方が多いじゃないか!」
数時間前、およそ1,800DPが入り、浮かれていたことなど忘れたかのようにギリギリと男が歯を鳴らして憤る。そしてその矛先は当然のごとく最も身近な存在である女性型ロボットへと向いた。
「おい。なんとか言えよ、ポンコツ」
「はい。入手したDPを用いてモンスターの召喚を推奨します。3階層に侵入された現状では罠の設置を行うことは出来ません」
「わかってるんだよ、そんなことは。本当に使えねえな」
悪態をつきつつも男がタブレットから召喚できるモンスターの一覧を表示する。それを上下させながら男は頭を悩ませていた。
「現在所持している1,789DPで召喚可能なモンスターの中では1,500DPのゴブリンリーダーを推奨します。ゴブリンリーダーの特殊能力として味方のゴブリンの能力を……」
「はっ、馬鹿か。これだからポンコツはわかってないんだよ。戦争は数だ。数は力なんだよ。そんなことも知らないのか。役に立たないアドバイスなんていらないんだよ。役立たずは黙っておけ」
説明を続けようとした女性型ロボットの言葉を最後まで聞こうとせず、男が聞きかじりの知識をあたかも常識のように言い放つ。そして先程までさんざん悩んでいたのが嘘のようにタブレットでモンスターを選択するとその場で召喚を始めた。
「サモン、ゴブリン×170」
コアルームに魔法陣が現れ、そしてそこからわらわらとゴブリン達が現れる。しかし子供程度の大きさとは言え、さして広くもないコアルームに170体ものゴブリンが一気に召喚されればどうなるかは言うまでもなかった。
「お前ら、邪魔なんだよ! おらっ、そこから出て行って侵入者どもをぶっ殺して来い!」
「「「キキキッ!」」」
満員電車でぎゅーぎゅー詰めになっていたサラリーマン達が目的の駅についた時のように、ゴブリン達が通路から3階層へと駆け出していく。その途中で数匹が転び踏み潰されて死んだがそれを気にしている者などどこにもいなかった。
「前方、ゴブリンの集団だ。数は50以上!」
「下がれ!」
3階層の4つ目の部屋でゴブリンと交戦していた自衛官たちは前方から雄叫びをあげながら駆けてくるゴブリンの集団を目視し、即座に後退した。ダンジョンに入って初めての消極的な行動にそれをタブレットで見ていた男の顔に笑みが浮かぶ。
「ほら見ろ。やっぱり数は力なんだよ」
「……」
得意げな男の顔を表情も変えずに女性型ロボットが見つめる。あたかも男が優位に立ったかのような時間だったが、それも長くは続かない。
「なっ!」
男の顔が驚愕に歪む。通路へと退却した自衛官たちの中で後方にいた者が前へと出てくると、透明のポリカーボネート製のライオットシールドを構えたのだ。そして壁を作ることでゴブリンを押しとどめ、その隙間からほかの自衛官たちがゴブリンへと攻撃を加え始めた。
もちろん自衛官たちにも先程までの軽口を叩くような余裕はない。しかしその動きに戸惑いは見られず、明らかにこういった対応に慣れていることは誰の目にも明らかだった。
じりじりと後退しつつ自衛官たちは戦い続け、そしてついに一人の死者も出すことなくゴブリンの集団を撃退することに成功した。
「なんでだよ!」
「……」
戦況をイライラしながら見つめていた男がタブレットを投げ捨て、そしてそれを何度も踏みつける。言葉とも言えないうめき声を発しながら頭を乱暴にかきむしるその姿は哀れとしか言い様がない。
そしてとっておきのボスモンスターも集団で囲まれて攻撃されてしまえば敵うはずもなく倒され、とうとうダンジョンに残るのは男と女性型ロボットだけになってしまった。
狂ったように暴れた男によってコアルームは食料や水などが散乱しておりゴミ屋敷のような状態だ。そんな中で男は両手と膝を地面について絶望に打ちひしがれていた。
「嘘だ、嘘だ。これは悪い夢だ。僕のダンジョンがこんな簡単に攻略されるはずがない」
「残念ですが、終わりです。マスター」
「うるさい、うるさい! そもそも役立たずのお前のせいでこうなったんだ。やっぱりあの人形を選んでおけば……」
男の脳裏に最初に選んだ迷彩服の少女の人形が浮かんだ。選んだ男に対して舐めた口をきいたので投げ捨てたそんな人形のことが。
「そうだ。ポンコツ。お前が戦ってこいよ。ロボットなんだし戦えるだろ。ほらっ、命令だ」
立ち上がり女性型ロボットを掴もうとした男の手が空を切る。そのことに腹を立てた男がキッと睨みつけるがその女性型ロボットは表情も変えずにじっと男のことを見ていた。
「無能なマスターの命令は受諾できません」
「なっ!」
「それでは、さようなら。あなたは愚かで、とても良い道化でしたよ」
女性型ロボットの口角が少しだけ上がりぎこちない笑顔を作る。それはその女性型ロボットが男に初めて見せた表情だった。
そして直後に自衛官たちがコアルームへと突入してきたのだった。
お読みいただきありがとうございます。
ついにジャンル別日刊9位になりました。ありがとうございます。上は……壁が高すぎですね。