第281話 逃亡の先に
家々が雑然と並ぶ路地の奥で、転ばした男から奪ったスマートフォンを操作したセナはすぐに初心者ダンジョンに緊急事態が起こっていることに気づいた。そしてそれが透に関連することであり、至急戻る必要があることも。
「ちっ、やはり知らされていない情報があったか。アスナとラックが自由に動き回っているから可能性は低いと踏んだのだが……」
そう毒づきながらセナはスマホの電源を落とす。そしてそれをそばに控えていたデブ猫に差し出すと、それを咥えたデブ猫は風のような速さで路地の奥へと消えていった。
そして路地にはぶつぶつと呟きながら状況を整理するセナと、それを黙って見つめる柊に偽装したドッペルゲンガーが残される。
セナが初心者ダンジョンを離れることを考えた時、最も重要視したのはもちろん自分がいなくなり機能が制限された状態で通常通りに初心者ダンジョンが運営できるのかということだった。
機能が制限されるのだから、安全度が下がるのは必然だ。それでも通常通り運営できればダンジョンの戦力だけでなく、警察や自衛隊といったダンジョン外の戦力が大きな抑止力になるとセナは考えていた。
逆に言えば通常どおりでなくなればそれらが全て反転する可能性もあるのだが、透を始めダンジョンの仲間たちであれば問題なくこなせるだろうと信じたのだ。
そんな心配の他に、一点だけセナが気がかりなことがあった。それは通常であれば誰も気にもとめないことだろうが、特異な状況にあるセナには妙に気になることだった。
セナを始めとした使い魔たちは、ダンジョンについての知識を植えつけられている。それは自分がなにかをして得た情報ではなく、セナに言わせれば気持ちの悪い記憶だった。
ただ、便利であるのに加え、その情報があったからこそ打開策を見出すことが出来たりと有益なため使いこなしており、もちろん今回についてもなにか情報はないかと探していた。
デメリットはもちろんあったが、それについては対処しておけばなんとかなると思っていたし、実際になんとかしたのだが、セナは頭に浮かんだ疑問が消えなかったのだ。それは……
本当にデメリットはこれだけなのか?
そんな疑問だ。
セナ自身が与えられた知識と、ダンジョンの設立から試行錯誤し培ってきた経験とを比較していたセナは、その情報は正しくはあるが全てではないと結論づけていた。
いや、与えられた知識自体が間違っているといったことは一度もなかった。ほんの少し抜けている部分があったり、複数の解釈ができてしまう箇所がある程度だ。
その微妙なズレにセナは警戒度を上げていたのだが、それが最悪のタイミングで立証されてしまったとも言える。
腕組みをしたまま渋い顔で思考を整理していたセナがぽつりと呟く。
「倒れた、か」
緊急事態を想定してあらかじめ決めてあった連絡方法を使い伝えられた情報だったが、その内容は微妙に要領を得ない部分などもあり、向こうでも混乱している様子が手に取るようにわかるものだった。
ただ早くセナに帰ってきて欲しい、その想いはわかりやすいほどに伝わってきていたが。
セナ自身ももともと早く帰るべきだと考えていたし、透が倒れたと知ったその瞬間は思わず握っていたスマートフォンにヒビを入れそうになる程度には動揺し、早く帰らなければという思いに支配されかけた。
しかしいつもの癖で、一拍置いて自分の感情を抜きに状況を観察したセナは気づいてしまったのだ。たとえ自分が戻ったとしても状況は好転しないだろうと。
セナは透の生前の情報について既に調べ上げている。ガンにより余命半年を宣告され、船から身を投げたのが死因だとも。
現状の透の性格を知っているセナからすれば、最後の部分に多少の疑惑の残る調査結果ではあったがその他に関して疑うようなことはなかった。
そしてそれによって知ったガンの状況と、連絡のあった現在の透の状況は明らかに酷似していた。
使い魔であるセナが戻ることで、ガンの症状が消える。その可能性をセナも考えないではなかったが、それは低いだろうと考えていた。
なぜなら、透に関してセナはある疑惑を持っていたからだった。それは、透の時間は止まっているのではないかということだ。
ダンジョンを運営し始めてから既に2年超。それだけの時間を一緒に過ごしてきた2人だったが、セナの目には徹の姿は老けることもなく当初に会ったときのままのように見えていた。
もちろん服装や髪の毛を切ったり、目の下の隈のあるなしといった変化はある。しかし老いといった面で考えればセナには変化を捉えられなかったのだ。
毎日会っているから微細な変化に気づかないとかいうレベルの話ではなく、純粋になにか不思議な力が働いているのだろうと漠然とセナは考えていた。そしてそれが今回のことでパズルのピースがはまるがごとくあわさっていったのだ。
2人が一緒にいたときは透の時は止まっており、セナがダンジョンから出たことによって再び動き出してしまったのだと。
この場合、セナが戻ったとしてもほとんど意味はない。
生きている間に戻ることが出来ればその状態でおそらく時間が止まるため、死ぬという最悪の事態は回避できる。しかしそれはガンが発症した状態での話だ。
身動きもろくにとれず、苦痛と付き合い、ただ生きていく。そんな状況で、人というのは長く生きられるはずがないとセナは知っている。そんな拷問のような日々を透に過ごさせるのであればいっそのこと……
「ナーオ」
「むっ、戻ったか」
わざわざスマートフォンを持ち主の近くへと戻すという面倒な役割を果たし戻ってきたデブ猫の鳴き声に、セナは思考を止めていそいそとその内部へと潜りこんでいく。
先ほどまでの自分の後ろ向きな思考を首を横に振って消し、そして大きく息を吐いて気持ちを切り替えた。
「どちらにせよ一度戻った方がいいのは確かだ。帰る方法を……」
『ああ、こちらにいらっしゃったのですね。ダンジョンマスターの柊様、そしてその使い魔の……猫様とお呼びしても?』
背後からかかった声に、柊の姿のドッペルゲンガーとデブ猫が振り返る。そこには現地風の衣装に身をまといながらも、どこか異国の風を感じさせる風貌の中年の男が立っていた。
少し癖のある英語の呼びかけに、それがわざとなのか、それとも自然なものなのか思考を巡らせながらセナは様子をうかがった。
ホテルを爆破した者たちは既に撒いたはずなのだ。それなのにいとも簡単に見つけられ、気配なく背後に忍び寄られ、さらには情報においても負けている。
警戒するな、という方が無理な話だった。
『なんの、話でしょうか?』
少しつたない英語でごまかす柊の姿に、男の顔にニヤリとした笑みが浮かぶ。そのわかりやすすぎる演技に思わず苦笑をもらしたセナの目の前で、男は自ら両手を上にあげて敵対する意思はないと示してみせた。
『ごまかしは必要ありません。我々の主は有能な同士を欲しています。特に迷惑な日本の初心者ダンジョンとやらに対抗できる同士をね』
男が主と言ったときの心酔するような表情に、冷たい視線を向けつつもセナは静かに考えていた。
これほどの戦力をそろえられるダンジョンが初心者ダンジョンを狙っている。そんな状況を放置してよいのかと。たまたま今、柊の勧誘のために接点がもてただけで、下手をすれば今後尻尾を掴むことすら難しいだろうと簡単に予測ができた。
ならば……
『ふむ、話を聞かせてもらおうか』
デブ猫の体越しにセナが声を発した。自らの選択が、初心者ダンジョンのためになる。そう信じて。
なんとか間に合いました。ぎりぎりですみません。
一応今後は毎週土曜日に投稿予定です。週一となってしまい申し訳ありませんがよろしくお願いいたします。




