第271話 新たな依頼と生産者
初心者ダンジョンへ探索する者が入る事が出来るのは午前7時から深夜0時までの17時間である。これは一般の探索者のみならず、外国からやってきた軍人であっても変わることのない厳格な制限だった。
氾濫の階層にある病院の入院患者や医者など一部の例外はあるものの、ダンジョンの入り口を覆うように建てられたビルと常時の立ち番、そして幾多の監視カメラの前にこっそりと侵入することなど出来るはずがない。
もちろん中にはたちの悪い者もおり、深夜0時を過ぎても外に出てこようとしない者もいたのだが、そういったやからは何者かに倒されて入り口の部屋まで戻され、そしてそのままそこに待機していた人形に捕まり外へと放り捨てられていた。
ダンジョンの入り口からぽいっと捨てられる違反者のボロボロな姿は、顔にモザイク付きではあるものの探索者の講習の中や外国の軍隊への事前資料として映像で流され、違反者を減らす事にある一定の効力を発揮していた。
そんな初心者ダンジョンであるが、一部の組織に属する人間は午前7時よりも前にダンジョンに入っている。それはもちろん日本の警察や自衛隊だ。
一応名目としてはダンジョン内に異常がないかを確認するため、となっているが、朝一番で新しいチュートリアルが現れる事が多いためその確認をするために巡回を行っているというのは公然の秘密だった。
しかしそれとは別の目的もあるということは、あまり知られていない。なぜならそれは……
「イラッシャイマセ」
「おはよう、マット。今日も新聞とか雑誌とかもろもろ持ってきたからな」
「アリガトウゴザイマス」
慣れた手つきで持ってきた新聞や雑誌類を壁の棚へと2人組の警官が並べていく。
その様子を眺めながら、マットはカウンター下から報酬であるポーションなどを取り出してテーブルへと並べると、カウンターから外へと出て掲示板に貼られていたいくつかの紙を取り外した。
その紙に書かれていたのは新聞や雑誌などの納品を依頼する文言であり、その報酬として払われるポーションなどの数量などが記載されていた。
一般にはあまり知られていない、朝早くに警察や自衛隊がダンジョンに入るもう1つの理由。それは隠し部屋に掲載される依頼をこなすためだった。
特に現在警官たちが行っている新聞や雑誌などの納品は毎朝行われていた。何せ新聞代150円程度を払うだけでポーションが得られるのだ。そんな機会を警察や自衛隊が逃すはずはない。
もしそれが知られたのならば利益の独占だと問題になったのかもしれないが、マットがつい先ほどしたように達成された依頼の紙は掲示板から取り外されるため他の者には知りようがない。
そして実際にその依頼をこなしている警官などが自ら秘密を暴露して面倒を起こすようなことはないため結果的に問題になる事はないというわけだ。
カウンターに戻ったマットのもとに新聞や雑誌を並ばせ終えた警官たちがやってくる。彼らは幾度となく依頼をこなしてきており、マットとも既に顔なじみといって良いような関係だった。
気安げに少し笑みを浮かべながら警官がマットへと声をかける。
「終わったよ。いつもありがとうな」
「イエ。コチラコソ」
「なにか新しい依頼なんてあるか?」
いつもであれば、ここで、「ありません」とマットが答え、その後一応警官たちが掲示板を眺めて前日と変わりないことを確認し、そして受け取ったポーションなどを持って出て行くという流れだった。
しかし今日は違った。
「ハイ。生産ニ関スル新タナ依頼ガ、イクツカ出テオリマス」
「「えっ?」」
「説明イタシマスカ? 掲示板ニモ依頼ハ既ニ貼ラレテイマスガ」
「ちょ、ちょっと待ってくれ。見てくる」
警官たちが驚き、そして慌てて掲示板の方へと走っていく。そして程なくしてマットの言葉のとおり昨日まではなかった生産に関する新たな依頼を見つけた。
そこに書かれていたことに彼らは目を見張り、そしてその報酬に書かれた内容の重要さに気づいた2人は顔を見合わせうなずきあった。
警官たちはその依頼書を掲示板から取り外すと、マットのもとへと再び戻ってくる。
「マット。この報酬って本当なんだよな」
「ハイ。依頼ヲ達成シタアカツキニハ、生産ヲ指導スル、チュートリアルガ始マリマス。依頼ヲ受注サレマスカ?」
「おそらくな。ただ一度報告して上の判断を仰がないと駄目なんだ。少し待っていてくれ」
「ハイ、ワカリマシタ」
「じゃ、また後でな」
「オマチシテオリマス」
依頼書と新聞と雑誌の納品依頼の報酬であるポーションなどを持って警官たちは早足で隠し部屋から出て行った。
1人になり、しんと静まり返ったその部屋に残されたマットは、彼らが出て行った隠し通路を眺めながら少しだけその表情を緩ませる。
「さて、思ったとおりにいくとええんやけどな」
「いくんじゃない? マットが考えたんでしょ」
成功する事を微塵も疑っていないその声が聞こえた方向をマットが眺める。
カウンターの内側、外からでは見えないようになっているその場所で、小さなバイクを幸せそうに磨いているのはぴったりと体にはりつくようなライダースーツを着た猫耳の人形であるベルだった。
「ちゃうで。考えたんは皆でや。マスターはんの意見も取り入れたで」
「ふーん」
熱心に小さなバイクを布で磨き、ピカピカのボディをうっとりと眺めるベルの姿からは、この話題に対してあまり興味がないことが丸わかりだった。
苦笑しながらも、愛おしそうにその姿をマットが眺める。
「そや、今度またツーリングでも行こか?」
「良いわね! 私のドライビングテクニックを見せつけてあげるわ」
ばっ、と顔を上げ、キラキラとした瞳で楽しげに笑うベルの姿にマットも思わず笑い返す。
「ほどほどにしときや。この前無茶してバイクぶつけて半泣きになってたやろ」
「ち、違うわよ! あれはあんなところに立っている木が悪かったのよ」
「さよか」
ぷんぷんと怒り始めたベルに笑みを深めることで返し、マットはこの先に起こる可能性へと思考を飛ばすのだった。
その中には、どこにツーリングに行こうかという事がもちろん含まれていた。
生産者の階層で仕事をする、生産スキルを得た数少ない人々の働き方はかなり自由度が高かった。
週休2日で、勤務日は8時間以上働くと言う誓約はあるものの、勤務時間が決まっている訳ではないため昼から働いたり自由裁量になる部分が多かった。
もちろん国に雇われている関係上、仕事が振られることもあるのだが人数が少ない現状ではさして無茶な要求をされることもなかった。
その裏には、そんなことをして貴重な生産スキル所持者が亡命でもしてしまったら困ると言う事情もあったのだが、それを生産者たちが知る事はない。
基本的にそれぞれの生産部屋にこもって作業を進めるため、そこまで交流が多い訳ではない生産者たちだが、候補者時代から考えれば結構な期間をここで過ごしているため顔と名前が一致する程度には面識があった。
それに一役買っていたのは……
「今日のお昼は親子丼定食ー」
音符が後ろにつきそうなほどうきうきした様子で部屋から出てきたのは革職人である凛だった。そしてその後ろをつき従うように歩いている凛と瓜二つの容姿の白髪の人形であるハクが呆れた様子でその姿を眺めている。
「また太るわよ」
「うっ!」
的確に痛いところを突かれた凛が言葉を詰まらせる。
確かに最近、自身の体に余計な肉がついてきていることに凛は気づいていた。気づいていて、あえて気のせいと思って考えないようにしていたのだが、事実を突きつけられては逃げようがなかった。
しかもそれを指摘したのは理想の自分の姿をしたハクなのだ。
「ほらっ、良い仕事をするには栄養が必要でしょ」
「必要以上の栄養を摂取しているからぜい肉がつくんでしょ」
凛を模した人形だけあり、ハクの思考は非常に凛と似ている。つまりそれは言い訳をしたとしても簡単に論破されてしまうということだった。
ぐぬぬ、と悔しそうにうめき声をあげる凛を、ハッ、とハクが鼻で笑い、そして明らかに凛よりも大きな胸を強調するかのように腕組みをした。
「あー、胸が大きくて肩がこっちゃうわ」
「くー!! 人形が肩がこるわけないでしょ! それ自慢してるつもり?」
「ううん。私はあなたより痩せているのに、胸は大きいっていう事実を伝えてるだけ」
「なおさら悪いわ!」
仲良く喧嘩すると言う表現が的確かどうか迷うようなじゃれあいを見せながら凛とハクが生産者の階層奥にある食事スペースへと到達する。
そこには多くの生産者たちがそれぞれの相棒と共に顔を出していた。
それ自体はそこまで珍しい事ではない。出前で注文できる食事が並みの外食とは比較にならないほど美味しいので、昼にここで顔を合わせるということは少なくないからだ。
いつもと違うのは、奥にある人形を奉納する祭壇の手前に異様な数の各種素材が積み上げられていることだった。
「なに、アレ?」
「さあ。私が知るわけないでしょ」
そんな会話を交わす2人が席に着くのを待っていたかのように、数人の男たちがそこへとやって来た。
そして始まった彼らの話を契機に、生産者たちの生活は変化し始めたのだった。
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