第234話 星の導きの行方
午前10時。信者たちが祈りを捧げるための礼拝堂の奥、華美ではないながらもそれなりの装飾の施されていた礼拝堂と比べて、実用一辺倒の事務室といった部屋に8人の男女が集まっていた。
「このたびは任意調査にご協力いただきありがとうございます。今回の調査の責任者となります小暮と申します。この調査は事前通知にも記載していますが国税通則法第34条の6第3項の規定に則り行うものです」
ちょっとメタボ気味で頭の薄い中年男性である小暮が、少しだけ毛量の多い自らの証明写真を提示しながら相対する4人へと真面目な顔で伝える。そしてすぐにその顔を崩した。
「まあこんな風に言ってしまうと緊張されるかもしれませんが、申告に誤りがないかの確認をするだけですので大丈夫ですよ。大岩先生もついていらっしゃいますし問題はないと思っていますけれど」
「小暮さんは相変わらずナチュラルにプレッシャーをかけてきますよね。提出すべき資料については既に用意していますよ。早速始めますか?」
30台半ばくらいの若さが抜けた、かと言って中年ともいえない雰囲気の眼鏡をかけた男、税理士の大岩が机の上に並べられた資料を示しながらそう返したが、小暮はにこやかに笑いながら首を横に振った。
「まずはのんびりと施設の見学でもさせてもらいながら近況などを伺いたいですね。調査は3日の予定ですし、相互理解を深めるという意味でも悪くはないでしょう。こちらも新人が2人いますし、実地調査でこそわかるものを実感して欲しいですしね」
その言葉に小暮の後ろに控えていた比較的若い2人の男女が軽く頭を下げる。その姿に大岩が小さく胸を撫で下ろした。大岩が想定していたよりも調査に来た人数が多かったため、詳細な調査が行われるのではないかと警戒していたからだ。
むろん大岩自身、脱税をしているつもりはないし、会計方法の指導や宗教法人特有の課税、非課税の収益の精査などにも力を入れている。まだまだ若い大岩にとってこの宗教法人から支払われる報酬は破格であり、今までの年収を2倍以上にした最も大切にしなければならない顧客なのだ。手を抜くなどありえなかった。
少し余裕のできた大岩が隣に立つ神父服を着た男、この宗教法人の代表理事である天野へと声をかける。
「天野さん。調査官には質問検査権がありますので税金に関する質問に黙秘等は出来ません。ですが今の小暮調査官の提案はそうではなく、あくまで任意のものです。施設の見学等は拒否しても問題はありませんがどうされますか?」
「特に見られて困るものはありませんのでご自由にどうぞ。施設の案内はこの施設の責任者でもある理事の内藤にさせましょう」
そう言いながら天野が後ろで待機していた内藤へと視線をやると、ニコニコとした笑顔を浮かべた内藤が4人の前へと進み出て、そして軽くそのつるつるの頭を下げた。
「ご紹介に預かりました内藤です。では皆さんこちらへどうぞ。皆さんも入られて少し驚かれたかもしれませんが、この教会の礼拝堂は地下にあります。これはダンジョンの出現という神の試練が地下に現れたことから、そこで真摯に祈りを捧げることで試練を乗り越えるという意思を神に示すといった意味合いが含まれており……」
すらすらと全くつかえることなく内藤が施設の意味合いなどを話しつつ部屋から出て行く。それに調査官4人と税理士の大岩が続いた。部屋に残ったのは天野ともう1人、丸めがねにピタッとしたスーツ姿が敏腕秘書といった風情を醸し出している女、柊の2人だけだ。
「予想通りですか?」
そう問いかける柊に、ゆっくりと天野が首を縦に振る。
「これだけの規模で土地の売買、開発をしていれば税務署に目をつけられるのは当たり前だからな。対策は税理士とも相談済みだ。宗教法人の非課税収益部分の見解相違や元々儲ける気のない探索者支援事業を行っている理由、海外からの送金関係などが主になるだろうが問題はない」
「そうですか。相変わらず抜け目がないですね」
「星はなんでも知っている、だろう?」
そう返した天野に、柊は穏やかな笑みを浮かべたまま頭を下げたのだった。
そしてその2日後、小暮を始めとした調査官4人による任意による実地調査は終わり、いくつかの帳簿を預かった上でその施設から出て行った。
3日間の調査の最中に脱税の証拠となるようなものは見つからず、預かった帳簿との反面調査の結果次第ではあるが大幅な修正や更正となる可能性は低い。それが現状の結論だった。
「ご協力感謝いたします」
「せっかく就職していただいたのに、すぐに退職とは残念ですね。まあお役に立てたのなら幸いです。では私はこれで」
税務署へと戻り、そう言って自らの席へと戻っていく小暮ともう1人の調査官へきびきびとした仕草で同行していた女が頭を下げる。隣で頭を同じように下げていた痩せ気味のひょろっとした体型の男へと女は目を合わせ、2人は税務署から出て行った。
そして駐車場に停めてあった車へと乗り込み、女性が運転を始める。
「結局、タレコミは嘘だったんですかね? 関口さんの鑑定でも何も出なかったんですし」
「そうだという可能性はありますし、そうじゃない可能性もありますね」
「どういう意味です?」
運転しながら小首を傾げてそう聞き返してきた女に、関口が少し嬉しそうな顔をしながら説明を始める。
「私のスキルの鑑定について、小野さんはどこまで知っていますか?」
「ダンジョン関連のものであればどんなものなのかわかるスキルと聞いています」
「ええ、その通りです。私が今回の調査を依頼されたのもそのためですね。ダンジョン関連の物がないか調べるのに鑑定スキルほど便利なものはありませんから。でも実は全てが見抜ける訳ではないんですよ」
「えっ?」
思わずチラリと関口の方を見た小野が、驚きつつもすぐに視線を戻す。関口はその反応に満足して笑みを深めながら話を続けた。
「ポイントとなるのは視界と認識です。まず視界ですが、これは簡単な話でダンジョン産の小石をただの木の箱の中に入れた場合、鑑定スキルではそこにダンジョン産の小石があることを認識できません。つまり対象が視界に入っていなければならないということです」
「なるほど。では認識とは?」
「こちらはそこにそれがある、と認識していなければ鑑定スキルの結果にそごが発生するということですね。ダンジョンの壁に隠し扉があったとしても、それが認識できなければただの壁としか鑑定されません。まあ今回はこちらはあまり関係ありませんが、研究対象としてはこちらの方が興味深いですね。他にも鑑定内容が関連知識の増加と共に少しずつ変化するなど鑑定スキルだけをとっても非常に研究しがいが……」
嬉々として関口は話を続けようとしたが、それを小野のわざとらしい咳払いが止める。はっ、と気づき少し申し訳なさそうな顔をする関口の姿を横目で確認した小野が優しい笑みを浮かべた。
小野は大学の工学部出身であり、そして企業に就職せずに全く研究とは関係のない警察官になるという一風変わった経歴の持ち主だった。だからこそ関口のような研究者の扱いにも慣れたものであり、それゆえに今回の調査に同行するように命じられたのだ。
「話を遮ってしまってすみませんが、鑑定スキルで関連の物が見つからなかったのに、ダンジョンである可能性があると関口さんが判断された理由は結局なんなんですか?」
「こちらこそすみません。いえ、簡単な話ですよ。例えダンジョンであったとしてもそれを全て一般の資材で覆ってしまえば鑑定では見抜けませんから。どこかを剥がして壁面が見られれば……」
「さすがにそれは無理ですね。結局地道に調査を続けるしかないと」
「ですね」
関口の言葉を頭の中で小野が整理していく。今回の調査によってあの宗教施設がダンジョンであるという可能性はさらに低くなったといっても良いだろう。
そもそもダンジョンにはモンスターが生息し人を襲うものというのが通説だ。そんな場所に宗教施設を建てられるはずがないのに何を言っているんだろう。それが今回の命令を受けた時に最初に小野が抱いた思いだった。組織の人間としてそれを表にすることはなかったが。
そして今回の調査はそんな思いを強くするだけだった。
だが、と小野は考える。これは小野が大学の研究室で口すっぱく言われて癖づいてしまった考え方だ。それがどれだけ真実と思えるものであっても反証可能性はある。真実に迫るためには反証を仮定し、そしてそれを地道に潰していくしかない。
その考え方は、全く分野が違うのにもかかわらず、警察官としてのあるべき考え方と似通っていた。
運転しつつも仮定を続け、小野は無言のまま何を報告すべきかを頭の中でまとめていった。そんな小野の様子を眺めながら、関口が仕方ないと言わんばかりの様子で息を吐く。
小野が研究者の扱いについて熟知しているように、関口もまた研究者の扱いを理解している。それを邪魔するほど関口は馬鹿でもなかった。会話を諦めた関口も自らの思考へと没入していく。
車内に無言の時が続いていったが、それを気にするものはそこにはいなかった。
それとほぼ同時刻。巧妙に隠された隠し扉から地下へと続く階段へと下った先の部屋のさらにその奥、中央にダンジョンコアが設置された部屋に2人の男女がいた。いつも通りの神父服を着た天野と、同じくいつも通りのスーツ姿の柊だ。
「無事調査が終わってよかったですね」
「ああ。大きな指摘などもなかったし、これで安心して事業を拡大していける。正しい世界へと続く道は大きく開かれたのだ。この動きを加速させていけばもうすぐ理想の世界が来る。星の導き、なんと素晴らしいのだろう」
ダンジョンコアを讃えるように大きく両手を広げた天野がその表情を喜悦に歪ませる。それを斜め後ろから見ていた柊もそれに釣られるようにしてその表情を変えた。口の端を限界まで上げた心からの笑みを浮かべ、柊はその手を天野へと向ける。
「アイスランス」
ドスっという鈍い音が部屋へと響いた。首だけを柊のほうへと向けた天野が何かを言おうとしたが、その口からは漏れたのは赤く流れる液体だけだった。
胸から氷の槍を生やし、口からとめどなく血を流しながらも天野が柊の方へと一歩踏み出す。その表情は鬼神もかくや言わんばかりの怒りに染まっていた。
だが天野がもう一歩踏み出すことはなかった。
ドサリと倒れた天野の元へと柊が近づいていく。普段の冷静な表情が嘘のように狂った笑みを浮かべながら。
「お疲れ様でした、天野さん。あなたの役目はここまでです。これまで組織を大きくしてくださったこと感謝いたします。でももうあなたはいりません」
全く気持ちのこもっていない感謝の言葉を口にしながら、柊が愚か者を見下すかのような冷たい目で天野を見つめる。天野は既に虫の息だが、それでも柊を貫く視線は、その圧だけで本当に殺されてしまいそうなほどの重みを持っていた。だがそれは柊には届かない。
「あなたは一線を越えられない。必要な犠牲とあれば切り捨てられる非情さはあっても、そうでない場合、弱者を見捨てられない。悪人は気にせず殺すのに、犠牲になった人の事をいつまでも悼んでいる。あなたは善人ですよ。非常に独善的なという言葉がつきますが」
さらさらと流れていく赤色を眺めながら、柊が膝を曲げて座り、そしてその顔を天野の顔へと近づけていく。ゆっくりと光を失いつつある天野の瞳に柊は笑みを深め、さらに天野の耳へと顔を近づけて内緒話をするかのような小さな声で告げた。
「実は私、占星術が好きって訳じゃないんですよ。私が好きなのは占いなんていう不確かなものに踊らされて行動して、成功したり破滅したりする姿を観察する事なんです。ちょっと意味ありげなことを言うだけで勝手に解釈してのめり込んでいき、ついには儀式の生贄として母子を誘拐して殺し、あげくに解体したりとか、面白いですよね」
その言葉に消えかかっていたはずの天野の瞳の光がよみがえり、そして自らの血に染まった両手が柊の首をギリギリと絞めた。柊は苦しげに表情を歪ませるが抵抗する事はなく、そしてその瞳に浮かんだ嬉しそうな色を変えることもなかった。
しばらくしてドサリという音がその部屋に響く。そして首を赤く染めた柊がゆっくりと立ち上がった。もう二度と動く事のない天野から視線を切り、自らの丸眼鏡を外して髪をかき上げる。
「私には理解できんな。有用な者だったと思うが、それを自ら捨てるとは」
柊の手にある丸眼鏡から発せられた渋い男の声に、柊が肩をすくめる。
「そろそろお祭りが始まるしね。その邪魔になる存在には消えてもらわないと楽しめないでしょ。星の導きによって彼は星となった。なんと素晴らしいのだろう」
「笑えん冗談だ」
「そう? まあ彼のおかげで動かせる駒はいくらでもいるし、存分に踊って私を楽しませてくれるはずよ。とりあえず議員の先生方から始めましょうかね」
誰かを模した手を広げたポーズをやめ、柊がにやけきっていた顔に丸眼鏡を再びかける。それを契機に柊の顔が冷静な仮面をかぶった。そして階段を登ろうと一歩踏み出し、自らの首へと手をやる。
「先にシャワーを浴びないとダメね」
既に消えた天野の死体があった場所へと視線をやり、柊はペロリとその唇を舌で艶かしくひと舐めし、そして嗤った。
お読みいただきありがとうございます。
地道にコツコツ更新していきますのでお付き合い下さい。
本日夜は時間がとれそうなのでたまっていた感想返信をさせていただきます。お待たせしてしまい申し訳ありません。
なんかデジャヴな気もしますが今夜はきっと大丈夫なはず……いえ、本当にすみません。
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