第222話 謎の通報者
かもめが飛び立つ姿を模したと思われるオブジェクトを中央に配した噴水を何気なく眺めながら、ベンチに座っていた神谷は手に持ったおにぎりへとかぶりついていた。
喫煙所があったころは付近のビジネスマンが息抜きがてら一服にやって来ていたこの場所であるが、それが移設されたことに伴い以前のような人ごみはなくなっていた。それでも神谷と同じように昼食を取るためにやって来るものは少なくはないのだが。
神谷は淡々とおにぎりを口に運び咀嚼していく。警視庁ダンジョン対策部にいるときのような鋭さは今の神谷からは感じられず、どこかくたびれたサラリーマンを思わせる、ただ栄養を補給するために食事しているような姿だった。
全く美味しそうな顔もせずに1つのおにぎりを食べ終えた神谷が、鞄の中からもう1つパックされたおにぎりを取り出し、そしてその梅とだけ書かれたシールの貼られたフィルムをはがし始める。
そんな神谷の隣へと杖をついた老人が歩み寄った。その老人は噴水に驚く1歳過ぎくらいの幼児を見て好々爺じみた笑みを浮かべながらベンチへと腰を下ろした。
「子は宝だな。この年になって改めてそう思う。しかしお前は相変わらず梅か? 魚に逃げられるぞ」
「釣りには行きませんから問題ありません。山さんこそ、泳がせた魚に逃げられたりはしませんよね」
「5年も前に退職したロートルを呼びつけておいて、よく言うわ。やはりブリにはイナダの気持ちは思いだせんようだな」
「山さんがイナダな訳ないでしょう。『スッポンの山』の伝説、まだ語り継がれているらしいですよ」
「はっ」
神谷の言葉を軽く笑い飛ばしながら、神谷に山さんと呼ばれた老人が杖で自分の肩をとんとんと叩く。その癖が老人独特の照れ隠しであることを知っている神谷は少しだけ表情を緩ませた。視線を合わすことが無いため、それに老人は気づかないが。
老人はしばらくして杖を下ろし、視線をよたよたと歩く幼児に向けたまま小さな口で言葉をつむいでいく。
「あの魚な、外来魚じゃなさそうだ。かといって在来種ともちょっと雰囲気が違うな。動きが雑だし、あれじゃまるで稚魚だ」
「そうですか」
「かもめが知らせてくれなくても、そのうち魚探で見つかったんじゃないか? むしろ今まで見つからなかった事の方が驚きだけどな」
老人の言葉を聞きながら神谷が頭の中とその情報を整理していく。もちろん老人の言葉が文字通りの意味ではないことを神谷は知っている。退職した老人へとわざわざ連絡をいれ、そして魚の調査を依頼したのは他ならぬ神谷だからだ。
この老人、山さんこと山崎は神谷が警察署長をしていた時代にその署にいたベテラン刑事であり、警察のキャリアとして思い違いをしそうになっていた神谷へ辞職届を叩きつけ、ついでに殴り飛ばした上に説教をして神谷に初心を思い出させてくれた恩人だった。
結局その時の辞表は受理されず、定年退職した訳だが、それを契機に交流を深めた神谷には山崎が言わんとすることがはっきりと理解できていた。
(やはり国内の暴力団でも海外のマフィアなどの勢力でもないか。素人臭いというのも報告書と合致する。やはり、本当にダンジョンがあるのか?)
神谷の返事がないことを気にもせず、山崎は報告を続けていく。神谷の沈黙は思考に集中するときの癖であり、待つ必要がないと山崎自身が知っているからだ。
「近くのハコにも寄ってみたが、魚探が壊れてるような雰囲気はなかったんだがな」
(交番の警察官が買収されているような雰囲気はなしか。あの辺りは氾濫の被害のせいで近隣の県から応援が入っていたはずだ。地元ではないから気づかなかったか、それとも上で潰されたか? ……やはり調査にも限界があるな)
神谷が梅干を口に含み、少し顔をすぼめてから大きく息を吐く。
警視庁のダンジョン対策部の部長として大きな権限を持つ神谷ではあるが、警視庁はあくまで東京都が管轄となっている。初心者ダンジョンが都にあることや、初期からダンジョン対策へと積極的に関わってきた経験を買われて、ダンジョン関係ではその管轄を飛び越えて動くことも多い神谷ではあるが、未発見のダンジョンがあるかもしれないというだけで他県の警察の権限を越えて指揮を執るようなことなどできるはずもなかった。
もちろん神谷にも県警の調査した報告書が回ってくるように手配されている。しかし、その報告書へも疑惑の念を抱いている神谷には少しでも裏づけが欲しかった。だからこそ退職した山崎に頼ったのだから。
山崎の、長年刑事畑を渡り歩いてきたことで磨かれたその目ならば、直接対象に接触したりせず、万に一つも気づかれないように遠くから観察するに留めるという無茶な神谷の制限があったとしても何か手がかりが掴めるのではないかと期待して。
そしてダンジョンが現れる前に警察官と言う立場を離れており、かつ全幅の信頼を置ける人材の心当たりが他にいなかったと言う面もあったが。
なぜそこまで神谷が念を押したのかと言えば、その調査を始めるきっかけがきっかけだったからだ。
議員宿舎、警視総監室、警視庁ダンジョン対策部長室という厳重な警備どころではないその3か所へ、いつ誰が置いたのかさえわからない手紙が同じ日に発見されたのだ。
書かれていた内容は、平時であればいたずらだとでも思われたかもしれないようなものだった。しかし調査をしても一向に誰がどのようにして行ったのかわからないその状況は、手紙の内容を調査させるに十分な理由となったのだ。
とは言えその手紙に書かれていた内容を調査するだけであれば警察内で済む話だった。それなのにわざわざ神谷が山崎を頼ったのは、そこに書かれていない最悪のシナリオを想定したからだった。考えすぎだ、と人は言うかも知れないが神谷にはそれを無視することは出来なかった。
しばらくして頭の整理を終えた神谷が、食べ終えたおにぎりのフィルムをくしゃっと握りつぶして立ち上がる。軽く背伸びをするその背中にチラッと山崎が視線を向けた。
「調査は続けるか?」
「これ以上は大丈夫です。危険なことをさせてしまい申し訳ありませんでした」
「まあ暇だったから気にするな。久しぶりに面白かった。他人の金でホテル住まいも悪くなかったしな」
立ち上がった神谷のスペースを占領するように山崎がベンチにごろんと横になりながらそんなことを言った。そしていつしか風格すら漂わせるようになった背中を見つめ、少し眩しそうに目を細めながら山崎が小さく笑みを浮かべる。
「またいつか釣りにでも行こうや」
「イカ釣りなら」
「イカだけはなぜか釣れるからな、お前は。じゃあ時期が来たらまた連絡する」
「楽しみにしています」
視線を一度も交わさないまま、そんな約束を交わし、そして神谷がその場を離れようと一歩踏み出す。その神谷の背中へと山崎が最後に声をかけた。
「そういや前に苦労していると言っていたクラゲの嬢ちゃんは例のダンジョンにいるのか? 面白そうだし、ついでに見ていこうかと思ってるんだが」
一瞬誰のことを言っているのかと考え、そしてすぐに桃山のことだと気づいた神谷は初心者ダンジョンのある方角へと視線を向け、そして小さく笑いながらこう言った。
「ええ。おそらく今日も楽しく逃げ回っていると思いますよ」
そしてそのまま神谷は振り向きもせずに日比谷公園のかもめの広場から立ち去っていくのだった。
「くしゅん」
「桃山の嬢ちゃん、こんなときにくしゃみをせんでくれ」
「誰かが噂したんですかねー。くしゃみ1つの時って良い噂でしたっけー?」
「はぁ」
マイペースを全く崩そうとしない桃山の様子に加藤が大きなため息を吐く。しかし今はそんな状況ではないとすぐに思い出した加藤は、身を隠している壁の角から鏡を使って折れた先の通路を確認した。そこには2体のロボットが闊歩する姿が写っていた。
「こっちはダメじゃな。移動するのを待つか、別の道を行くか。どうするんじゃ?」
「少し戻って右に折れる道を……っ、後方に敵影。挟まれっ……」
声をあげた警官だけでなくその周囲にいた警官を巻き込むようにマシンガンから放たれた銃弾が、文字通り警官たちを蹂躙していく。その場にいた12人の警官のうち、その猛威から逃れられたのは桃山と加藤、篠崎の3人のみ。しかも完全に無傷なのは桃山だけだった。
煙を立ち上らせるマシンガンを持った緑のロボットが、そのモノアイで生き残った3人を見つめる。そしておもむろにマシンガンを捨てると背中に手を回して斧を取り出し、そして3人へ向かって駆け出した。
それに対し、加藤たちも一切の迷いも見せずに動き始める。
「あとはお願いします。桃山さん」
「はーい」
桃山を1人残し、加藤と磯崎がロボットへと立ち向かって行く。そんな2人に対してロボットが大きく斧を上段から叩きつけようとそれを振り上げ、そして振り下ろし始めた。
その瞬間、桃山が地面を蹴り、そして戦う2人の脇をすり抜ける。何かがつぶれる音を背後に聞きながらも振り返らずに桃山は走り続けた。
「あーあ。最後までお預けは私の性分じゃないんですけどねー」
そんなことをぼやき、ちょっと唇を引き締めながら。
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