第203話 新たな計画
港区赤坂にある地上28階建てのビル。周辺の建物に比べてひときわ大きく、屋上にヘリポートを備えたそこは2007年に完成した衆議院議員宿舎である。
地方で選出された国会議員が職務を円滑に遂行するための寮のようなものであるが、通常国会も終わり、つい先日まで開かれていた臨時国会も終わった今、そこに住む議員の多くは地元へと戻っており閑散とした雰囲気が漂っている。
そんな廊下を1人の男が歩き、そして12戸の中の1つの玄関の前で立ち止まり、そのインターフォンを押した。電子音が鳴り、しばらくして少しくぐもった声が響き、そして開かれた扉の中へと男はするりと入っていく。
そして廊下には再び人気がなくなった。
「増田君は畳はダメだったかね。どうも私は実家が畳だったせいかこちらの方が楽でね」
「いえ、問題ありません、岸総理。柔道場を思い出します」
「そうか。しかし相変わらず増田君は硬いな。私はもう総理大臣ではないのだからもっと気楽に話してくれても良いんだが」
玄関を入ってすぐ左にある和室へと入り、そんな会話を交わすのは前内閣総理大臣の岸 大輔と警視庁長官である増田 剛士だった。あぐらをかき、リラックスした様子で話す岸に比べ、テーブルの対面で正座する増田は、まるで今から試合にでも望むかのような強面の表情を崩すことはなかった。以前と変わらないそんな増田の様子に岸が小さく笑いを漏らす。
2か月前、衆議院議員選挙が行われた。岸の所属する自由民衆党はその選挙において大きく議席を減らしてしまった。連立政権であるため、かろうじて過半数の議席は確保しているものの、政権運営はかなり難しくなったと言える。
岸自身も当確の発表が開票結了時までもつれ込むほどの接戦であり、磐石であったはずの地盤が揺らいでいることを示す結果になった選挙だった。そういった経緯もあり、責任を取る意味も含めて岸は次期の総理大臣となることはないと選挙の翌日に明言し、そして今は一国会議員となっていた。
上品な仕草で、岸の妻が2人の前へとお茶と大福を置き、そしてすすっと音も立てずに部屋を出ていく。それを視線で追う増田を見ながら、岸がゆっくりと湯呑に口をつけた。
そして人の気配が無くなったことを確認した増田が、持っていた鞄からいくつかの書類をテーブルの上へと置く。
「こちらは、先日出現した廃都市関連の報告書と、氾濫対処の工事状況などの報告書になります」
「私が見ても良いものかね?」
「はい。本日付けでダンジョン対策委員会へと提出した資料と同一のものですので」
「そうか」
受け取った報告書を岸がペラペラとめくっていく。増田はお茶や大福に手をつけることもなくじっとその姿を眺めていた。しばらくして岸がページをめくる手が止まり、そしてふぅーと大きく息を吐きながら天井を見上げた。
「ダンジョン産の素材が手に入りそうだということは朗報だが、ボスモンスターと思わしき存在が居る可能性が高いということは、計画は難しそうだな。しかしなぜ可能性なのかね?」
「遠距離からの攻撃によって損害が出ているのは確かですが、その姿を確認出来ていないからです。直接観測のみならず、ドローンなどの機械を使用した観測に関しても撃ち落とされます」
「大量の人員と物資を使用して一度に……いや、その程度のことはもうすでにやっているはずだな。それに対処できるだけの知能と力を持ったモンスターか」
眉間にシワを寄せ、それを手で揉みほぐそうとしている岸の言葉に、増田は黙ったまま首を縦に振った。湯呑に口を付け、少し岸のシワが緩んだところで増田が情報を追加する。
「アメリカから提供された盾を前面に出し接近を試みましたが、盾ごと撃ち抜かれたそうです。現状では最も攻略が困難ではないかと思われます」
「そうか。都市としての成り立つ地形を持っているだろう廃都市ならば、病院の立地としては最適だと思ったのだがな」
そんなことを言いながら岸は目の前の大福を持ち上げ、ぱくりと一口食べる。増田も既にぬるくなってしまっているお茶をゴクリと飲み干した。
2人が話しているのはかねてより計画されていた初心者ダンジョン内への病院の建設計画についてだった。
ダンジョン出現当初に1度は案には上がったものの実行されずに終わったものだが、ダンジョンからモンスターが氾濫したことにより多くの犠牲が出た結果、本格的に検討され、そして今まさに実行されようとしているものである。
初心者ダンジョンで死んだ者は生き返る。その性質を利用して成功確率の低い難しい手術などをダンジョン内で行うことにより、患者が死亡してしまうリスクをなくすというのが元々の案の要旨だった。
倫理面などの理由により一度は流れてしまったダンジョン内の病院の建設計画だが、モンスターの氾濫により再び脚光を浴びた。モンスターの氾濫により病院に運ばれる前に死亡した者の数はもちろん多かった。しかし病院に運ばれながらも、患者数が多すぎて対応が追いつかずに死亡した例も少なくなかったのだ。
もちろん遠方の瀕死患者を東京の初心者ダンジョンへ運ぶことなど現実的ではない。しかしそれさえ出来れば、ダンジョンによって奪われそうになった命を、ダンジョンによってつなぎ止めることが出来るようになるとも言える。
もちろんこの計画が決定されるまでには侃々諤々と議論が交わされ、医師、そしてその他専門家の意見の聴取なども行われた。死は人が扱うべきものではないという宗教関連からの物言いもあった。
しかしそれでもこの計画を実行に移すと決めたのは、モンスターが氾濫した現場の悲惨な状況を目の当たりにしたからだ。もはや妄信的に日本は平和であり、死とは縁遠いものだと考える状況ではないと世間も気づいている。それが計画実行の背を押したのは確かだった。
「廃都市フィールドは通常通りに使うことになる。となるとこちらになる訳だが……」
岸が廃都市のフィールドの報告書を置き、そしてもう一方の報告書を手に取りながら増田を見つめる。こくりと小さく頷き、増田は口を開いた。
「現状で判明している限りでは、モンスターは出現する穴の周囲500メートル以上へは出ていきません。その範囲に人がいなくなった段階でモンスターたちは穴へと戻ることも確認しています」
「工事用の建設重機などが壊されたことや消えたこともないと書いてあるが、確かかね?」
「はい。さらに言えば土地は平らで広く建築には向いているかと」
「わかった。その方向で進めるように次回の委員会で調整しよう。この施設は前線で命を張る警官や自衛官の為にもなるはずだからな」
残っていた大福を頬張り、岸が咀嚼する。そしてじっとこちらを見つめる増田に小さく微笑んだ。
「死を免れようとする今回の決定に神罰が下るのであれば、我々だけにしてもらいたいものだな」
「現場の警官や自衛官たちは既に何度も死を免れています。しかし今のところ神罰を受けた者はいません。神がもし本当にいるのであれば、そのことも我々の裁量の内ということなのでしょう」
「それもそうだな。まあ病院の前に検証から始めなければならないがね」
珍しく表情を変え、男臭い笑みを浮かべた増田に岸が同意する。目を細め柔らかい笑みを浮かべた岸だったが、その瞳には以前と変わらぬ確固たる決意が秘められていた。
お読みいただきありがとうございます。
地道にコツコツ更新していきますのでお付き合い下さい。
ブクマ、評価応援、感想などしていただけるとやる気アップしますのでお気軽にお願いいたします。
既にしていただいた方、ありがとうございます。励みになっています。




