第191話 マスター不在の大改修
やりきったという満足感のせいか俺はいつの間にか眠ってしまい、目が覚めた時にはもう昼の12時過ぎだった。まだ多少眠気は残っているんだが、ぐうぐうと自己主張を続ける腹の虫のせいで起きざるを得なかった。
そういや昨日は夕食を午後7時頃に食べてから、人形造りをして、ミニミニ人形たちに命を吹き込んだり、人形の世界を完成させたりとぶっ続けで10時間近く集中していたしな。腹も減るだろ。
掛けられていた毛布をどけて起き上がり、ぐっと背を伸ばす。寝る前まで作業台の上にあったはずの人形たちの世界がなくなっているからどっかに移動したんだろう。セナに聞けばわかるか。
「ふぁーあ」
あくびをしながら立ち上がりコアルームへと向かう。疲れはまだ完全に取れた訳じゃなさそうだし、今日ぐらいはゆっくりするかな。最近はこの物置部屋にこもりっきりでコアルームへ行くのも飯を食うときぐらいだったし、その飯にしたって早く作業に取り掛かりたいからかきこむ様にして食べてたしな。
そんなことを考えながらコアルームへと続くドアを開けると、そこにはいつも通りの光景が広がっていた。せんべい丸の上に座ったセナが、せんべいをかじりながらタブレットをポチポチしているいつもの光景だ。
俺の姿を確認したセナが、こちらを向き軽く片手を挙げた。
「起きたか。体調は……問題なさそうだな」
「まあな。それよりもう昼飯食べたか?」
「いや、まだだ。それより先にシャワーでも浴びて目を覚ました方が……」
「んっ、どうした?」
変なところで言葉を止めて、セナが腕組みをしながら考え始める。俺が不思議に思っていると、セナが立ち上がり俺のすぐそばまで来ると上目遣いで俺を見つめた。そしてそのエメラルドのように輝く瞳を潤ませ、腕を後ろに回して少し首をかしげながら、そのほんのりと赤く染まった小さな口を開く。
「ご飯にする? お風呂にする? それとも……レ・エ・ション?」
「食べるか!」
差し出された久々に見る銀色のパウチをはたき落とす。最近はククが自作しているから見ることはなかったが、差し出されたそれは紛れもなく昔、俺とセナを絶望の淵へと追いやったレーションだった。
「何が不満なのだ? 透の健康を気遣う、まさしく良妻賢母な選択肢だろう?」
「栄養面だけならな! それ以外は肉体的にも精神的にも追い込まれるだろうが。っていうかなんで持ってんだよ」
「それは透にいつまでも元気でいて欲しいと願って」
「はい、嘘。本当は?」
「以前ククの研究用にと用意した余り物なんだが、早めに処分しないとと思ってな」
あっさりといつもの調子に戻ったセナが、肩をすくめながら白状する。まあそんなことだろうと思ったぜ。
「とりあえずレーションはなしだ。腹減ったし、ククに頼んで飯にしようぜ」
「そうだな。では私がククに伝えてこよう」
「おっ、珍しいな。頼ん……ってちょっと待て!」
ククの元へと行こうとするセナの姿をそのまま見送ろうとしてあることに気づき、その小さな肩をがっしりと掴む。その手には先ほどのレーションがしっかりと握られていた。
「何を、ククに伝えるつもりだ?」
「もちろん、透の昼はレーションだと伝えるに決まっているだろう」
「なにが、もちろんだよ。処分するならお茶会会場のレーションに混ぜてもらうとかで良いだろうが」
「おおっ、そんな手が。なかなかの名案だな」
ぽん、と手を打ち、セナが首をうんうんと振っている。ふぅ、少なくともこれで俺が害を被ることはなくなっただろ。お茶会で食べる奴らには気の毒だと思うが、ククのスペシャルレーションに比べれば多少味はマシだし、ある意味ではWin-Winになるはずだ。
そんな風にほっとしている俺の手に、ぽすっと何かが置かれる。ツルッとした銀色の表面に何とも言えない威圧感を醸し出している奴が。
「ご褒美だ。受け取れ」
「いるか!」
俺が突き返したレーションを片手に、セナが笑いながらコアルームを出て行った。本当にレーションが出てこないかちょっと不安なんだが、たぶん大丈夫だよな?
俺の不安は的中……することはなく、昼食として出てきたのは普通に天ぷら蕎麦だった。疲れも残っているのでちょっと天ぷらが重いかとも思ったんだが、普通に美味くてあっさりと完食した。体も温まったし、何というか天ぷらの油が体に広がっていってエネルギーが補充されたって感じだ。
「ふぅ、ごちそうさま」
箸を置いた俺のもとへ、セナがお茶とせんべいを差し出してきた。それを受け取り、ずずっと茶をすすって息を吐く。そういえばこうやってセナとゆっくり食後のせんべいを食べるのも久しぶりな気がするな。
ぱりぱりとせんべいを食べながら、何気なく壁掛けのモニターを見つめる。そこに写っているのはいつも通りのダンジョンの光景……あれっ?
「なあセナ。もしかして1階層広がってねえか?」
「んっ? 1から3階層までならとっくに拡張済みだぞ」
「はぁ!?」
何を今更、と言うような呆れた顔でセナが見てくるが、そんなこと初めて知ったぞ。報告されたような覚えもねえし。いや、報告なしにダンジョンを拡張すること自体は別にどうでも良いんだが。
「でも拡張って確か、新規に1万人にチュートリアルを受けさせるっていう条件だっただろ。3階層とも拡張済みってことはもう3万人も来たってことか?」
「いや、違うぞ」
「んっ、どういうことだ? 3階層拡張したんだから依頼を3回こなしたってことだろ」
「新規にチュートリアルを受けたのは今のところ16万人を超えているな。つまり拡張した回数は16回になる」
「はぁ!?」
驚く俺に対して、セナが手持ちのタブレットを操作してダンジョンの地図を見せてくる。そこに映っているのは今までの1階層から3階層が狭く見えるほど拡張された現在のダンジョンの姿だった。
「多少変化はしているが基本的には構造は同じだ。1階層の最初の部屋から出る通路を11本全方位へと作り、その先に何もない小部屋を設置した。その11部屋からさらに10本の通路が出ており、その先でパペットを倒すチュートリアルを、そしてその先でダンジョンコアを外すチュートリアルが出来るようになっている。2階層へと降りる階段も11あるわけだな」
確かにセナの説明の通りに1階層が拡張されている。遠目から見ると花が咲いているような形だ。
構造的には1部屋途中に増えているが、歩く距離としてはそこまで変わってねえから特に障害にはならねえだろ。というか110人同時に1階層の攻略が出来るようになるんだな。
続けてセナが2階層、3階層の説明をしてくれるが、最初にセナが言ったとおり基本的な作りは変わっていない。11個ある階段それぞれが2階層、3階層へと続いており、どこに行っても今までと同じようなチュートリアルを受けることが出来るようになっている。
2階層、3階層が滅茶苦茶広くなっているので迷子になる奴が出るような気もするが、まあそれも含めてチュートリアルだと考えれば良いだろ。最悪、警官とかが探しに行くだろうし。
「とまあ、こんな感じだな」
「ありがとな。しかしまさか16万人も入ってくるとは思わなかったな」
「それだけ必死ということだ。ダンジョンで力を得るものが増えれば、当然治安は乱れる。治安を維持できるだけの体制を整えつつ、このダンジョンのキャパシティを増やして一般人の死亡率を下げたいという思惑もあるはずだ」
「ダンジョンで無理して死ぬのは自分の責任だと思うけどな。お上も辛いね」
「まあそれが為政者としての責務だからな」
セナが至極あっさりと言い放った言葉に苦笑する。確かにこの前のダンジョンからのモンスターの氾濫でも、誰が一番悪いかって言われればダンジョンを隠していた奴らだろうに、一番槍玉に挙げられていたのは政府だったしな。
政治家もある意味で人気商売みたいなところがあるし、一般人の死亡率を下げたいってのは切実な問題だろう。俺たちにとってそう考えてくれるのは好都合だけどな。
「まあおかげでDPも順調に溜まってきている。しかし1つ問題があるのだ」
「問題?」
「ああ、これを見てみろ」
差し出されたタブレットの画面に目が釘付けになる。そこに並んでいるのは倒されてしまい<人形修復>待ちとなっている人形たちのリストだった。指を滑らしてどんどんスクロールしていくが一向に終わりが見えねえんだが。
「タブレットを使って一括で<人形修復>するのは嫌だと前に透が言っていたので、1体1体選択していたのだが、とても間に合わなくてな。仕方なく召喚してパペットの数を増やして対応した結果、かなりの数が倒されたままになっているのだ」
「ちなみに、どのくらいの数だ?」
「パペット10万体程度だな。他にも警戒兼掃除用の煙出し人形などを増員したが、こちらは倒されないからリストには入っていない」
「マジか」
あまりの数に思わず放心する。俺だって訓練した結果、一度に大勢の人形たちを<人形修復>出来るようにはなった。でもさすがに万単位は無理だ。
もうタブレットを使って一括で<人形修復>を、という誘惑に負けそうになるが、倒された人形たちは俺たちのために頑張ってくれた奴らだ。そんな奴らをポチっとワンプッシュで修復しちまって良いのか?
いや、ダメだろ。やっぱ感謝しながら修復してやらねえと。でも、数がなぁ。
「タブレットを使って一括で<人形修復>するか?」
「……いや、俺がやる」
「そうか。頑張れ」
そっと差し出された筒状の薄焼きせんべいを受け取り、口へとふくむ。セナの気遣いに笑みを浮かべ、胸の内で気合いを入れながらせんべいを咀嚼した。甘さが口の中で広がり、そして次の瞬間猛烈な辛さが口の中を蹂躙していく。
「辛え! これ、前のダンジョンせんべいだろ!」
「あまりの辛さに気合が入って、生き返った様だろ」
「バカ野郎。舌が死んだわ!」
ヒーヒー言いながらお茶を飲み干し、続けて水をがぶ飲みする。ある程度収まったが、まだヒリヒリしやがる。なんてことしやがるんだ。
犬のように舌を出したまま睨みつける俺を見ながらセナは笑った。
「透の意思を尊重するために、何日も一人でずっとポチポチと<人形修復>したのだからな。その程度で済んで良かったと思え」
「あー、それは、なんだ。その、悪かったな」
「もう別に良い。透も遊んでいた訳ではないしな」
ふいっと顔を逸らし、早く行けとばかりに手をしっしっと振るセナへと少し頭を下げ、人形たちの待機部屋へと向かう。
さて数は数だが、セナが俺のことを考えてくれた結果だ。俺たちのために頑張ってくれたパペットたちのためにも気合を入れて<人形修復>してやらねえとな。
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