第185話 セナの矜持
「殴らないのか?」
目前まで振り下ろされてかろうじて止まった俺の拳を微動だにせずに眺め、ただその場に立っていたセナが顔を上げて俺を見る。その顔には何の表情も浮かんでいないように見える。だが……
「ああ、殴るぞ」
セナの言葉にそう答えて、止めた拳を思いっきり自分の頬に向かって振り抜く。若干フラフラするが痛みはあんま感じねえな。口の中が切れたらしく血の味が広がってちょっと気持ち悪いって事の方へ意識が向いちまう程度の痛みだ。
「何をしている?」
「殴っただけだ。馬鹿な自分をな」
驚くセナへと笑い返しながら、床へとペッと口に溜まったつばを吐く。そのつばは予想通り赤い血に染まっていた。切れた口がじんじんと痛み始めたが、この程度のことセナが覚悟してくれていた事に比べればなんでもねえしな。
セナの言葉に頭に血が上ったのは確かだ。でもその拳がセナに振り下ろされる寸前に俺は気づけた。平然とした表情を取り繕うセナからほんの少しだけ感情が漏れていることに。俺の拳なんて簡単に避けられるはずなのに微動だにせず、まるで全てを受け止めるかのように待っていたのは……
セナが優しいからだ。
そもそも最初から矛盾しているんだ。ダンジョン外で倒された人形を生き返らせることが出来るのかを確かめるためには検証が必要で、絶対に犠牲になる人形は出てくる。それは当然のことで、俺も薄々気づいていたはずだった。
でも俺はそれを考えるのを無意識に放棄していたんだ。自分や人形たちの将来のために、人形を犠牲にする必要があるという事実を認めたくなくて。
セナはそんな俺の考えに気づき、自ら悪役を買って出てくれていただけだ。俺がそのことを考えないように人形の小型化という仕事を与え、検証方法を聞かれれば煙に巻いてごまかした。そして最後には自分の独断でやったのだと、悪いのは全て自分だと責任を全て背負って。
こんな馬鹿な俺を守るために。
「なあ、セナ」
「なんだ?」
「なんでお前はそんなに優しいんだ?」
自分が情けなさすぎてこぼれ落ちていく涙で歪んじまった視界でセナを見る。どんな表情をしているのかはよくわかんねえが、少しの沈黙の後セナがポツポツと話し始めた。
「透が仲間だからだ」
「仲間だから?」
「ああ。傭兵とは言ってみれば雇われただけの使い捨ての駒だ。敵どころか味方であるはずの友軍でさえ、時として敵となる。そんな時、信じられるのは、背中を預けられるのは信頼した仲間だけだ。だから私は仲間を裏切らない。裏切るものを許すことはない!」
力のこもった言葉に心が震える。流れ落ちていた涙を止めるくらいにその言葉は俺へと突き刺さった。
セナの眼差しは鋭利なナイフのように鋭く、そして冷たい。今までどんな状況でも、生き延びるために真剣に話している時でも、どこかセナには余裕があるように感じられた。でも今はそれが一切ない。この言葉はセナの心そのものだ。
仲間を裏切らない、それがセナの矜持であり生き様なんだ。俺にとっての人形みたいなもんだな。その一線はどうしても引けず、だからこそ仲間を大切にし、その仲間を守るために自らをも犠牲にもするってことか。
それは俺にも理解できない訳じゃねえ。人を裏切らないってのは大切なことだしな。でもなんでセナは……
「どうした?」
「いや、なんでもねえよ。ありがとな、セナ」
セナを抱き上げ、優しくギュッと抱きしめる。俺の胸の中で暴れることなくこちらを見上げてくるセナは平然とした顔をしているのに、どうしても俺には泣いているようにしか見えなかった。
生き様ってのは言ってみればそいつがそれまで歩んできた人生だ。セナの言葉と姿から想像するそれは、決して明るいもんじゃない。きっとセナに聞いたとしても、こいつは答えないだろう。そういう奴だしな。
だから俺に出来るのは、心の中で泣いているセナが少しでも早くそれを振り切って笑えるように、ずっとそばで信頼できる仲間として居てやることだけなんだ。
そんなことを考えながらこちらを見上げるセナへと微笑む。
「貞操の危機を感じる笑顔だな」
「違えよ!」
俺のツッコミにニヤリとした笑みを浮かべたセナがするりと俺の腕から抜け出し、そして後方宙返りをしながらテーブルへと降り立った。
いつもならもっとツッこむところだが、まあちょっと変な空気だったしな。セナとしても仕切り直しの意味もあるんだろう。なんでそれで俺をいじるのかはちょっと疑問だが。
「で、どうする。検証は中止するのか?」
「いや、<人形修復>がどこまで使えるかは重要だからな。人形を犠牲にするってのは嫌だが、他の種類のモンスターじゃあ復活できねえから意味がねえし。それにもう犠牲になった人形もいるんだ。途中でやめたらそいつの死が無駄になっちまう」
情報収集のために外へ人形を出そうとしているんだ。その検証は絶対に必要なことだ。だから俺に出来るのは犠牲になった人形たちに感謝し、そしてその結果を活かして俺たちが生き残るために、他の多くの人形たちが死なないようにするしかねえんだ。なるべく犠牲は少なくしたいけどな。
「うむ、そうだな。ダミーTC10とダミーTC1000も浮かばれるだろう」
俺の言葉にセナが小さく首を縦に振る。納得しているのはわかるんだが、なんというかひでえ名前だな。いや、犠牲になるかもしれねえから愛着を持たないようにそういう名前にしたのかもしれん。
「ちなみにこれが復活したダミーTA100だ」
「これ? タバコの吸殻じゃねえのか?」
セナがテーブルの上へと転がしたのは、どこからどう見てもタバコの吸殻だった。白い紙に包まれた1.5センチほどの円柱状のフィルター部分だ。
「よく見てみろ、ちゃんと顔が書いてあるだろう」
「あー、うん。まあな」
コロンと転がしてみると本当に小さく顔が書かれている。両目も鼻もただの点だし、口もただの直線だ。まあこれもこれで味があると言えなくはねえんだが、なんというか間抜けな感じの顔だな。
これ、人形か? いや、復活できているってことは人形系のモンスターってことなんだろうが、俺には吸殻に落書きしたようにしか見えねえぞ。
「落ちていてもあまり不自然でなく、踏み潰される可能性が高いことを優先した人形だな」
「お、おお」
「ちなみに後ろの数値は<人形創造>にかけたポイント数、その前のアルファベット1文字は検証の内容の種別に変更してある。ちなみにAは1つ目のダンジョンに入ったことのないだろう者が倒した場合の検証、Cは3つ目のアスナが倒した場合の検証といった感じだ」
なんというかものすごく実用的な名付けだな。検証のために使うんだからその方が確かにわかりやすいのかもしれんが。んっ、だとしたらその前の共通するTって何だ? って考えるまでもねえか。
「その前のTはタバコの頭文字ってことか」
本当に単純だな、と思いながらセナを見たのだが、その反応は俺の思った通りじゃなかった。首を横に振りながらセナがニヤリと笑う。
「違うぞ。タバコならCigaretteのCだろうが。Tは透のイニシャルだな」
「あぁ、そういやそうだな。Tは俺の……って何でだよ!」
「勇敢なるダミー透Cたちの犠牲を私は忘れない」
「ダミー透って呼ぶな! こんな間抜け面してねえだろ!」
「えっ!?」
「いや、そこでマジな顔になんなよ」
目を見開いて驚くセナに、ため息をつきながらツッコミを入れる。そんな俺を見て笑ったセナの姿に、少しはセナの心を支える役に立てたかなと俺も小さく笑い返した。
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