第176話 日本のダンジョンの異常
淡々とした口調の報告が行われている、その円形のテーブルが中央に鎮座する部屋は異様な雰囲気に包まれていた。この場に来るまでに既に誰しもがその内容を知っている。そしてその重大さをわからない者などここにはいなかった。
そして口調こそ冷静であったものの、苦い顔を隠しきれないまま報告を終えた警察庁長官である増田が深々と頭を下げる。
「以上となります。このような失態、本当に申し訳ございませんでした」
「なぜ防げなかったのだ!」
苛立ちを隠そうともせず机をたたきながら声を荒げたのは、防衛大臣を務める初老の男だった。
男の統督する自衛隊は攻略を主としているとは言え、ダンジョンに関わるという意味ではダンジョン周辺の管理や警備を任された警察と変わらない。そのため男はかなりのバッシングを受けていたのだ。
行政権を司る内閣の最も重要な部屋といっても過言ではない閣議室で、このような振る舞いが行われるなど通常であればありえないことだ。
しかしそれを咎める者はいない。そのことが今回の事態の重大性を何より示していた。
「死者だけで1万5千人だぞ。怪我を負った者を含めれば10万人を超える規模だ」
「申し訳ございません」
防衛大臣の言葉にただ増田は頭を下げて謝罪を続けた。その隣には同じように頭を下げるダンジョン対策部の部長である神谷の姿もあった。
2人が頭を下げているのには当然訳がある。それはつい3日前に起こった異常事態、全国各地で一斉に起こったモンスターたちのダンジョンからの氾濫のせいであった。
今まで世界的に見ても日本はダンジョンによる被害が少ない国だった。それは多くのダンジョンが出現する以前から初心者ダンジョンにてダンジョンについて学び、そして警察、行政、自衛隊などが連携してそれを封じ込めていたからだ。
そしてその封鎖がうまくいったことで一般市民がむやみにダンジョンに入ることなく、民間への開放についても慎重に行った結果でもある。
しかし今回想定外の事態が起きた。全国8か所の未発見のダンジョンから時をほぼ同じくしてモンスターが氾濫し、周辺の住民に多大な死傷者が出たのだ。その規模は10万人以上。世界的に見ても類を見ないほどの被害と言えた。
実はこれだけ被害が拡大したのには訳がある。
政府も無能ではない。未発見のダンジョンがあるかもしれないという想定はしており捜索は続けていたし、ダンジョン経験のある警官を全国各地に配置するよう指示はしていた。
しかしどうしても既に発見されているダンジョン周辺へと人員は多く割り振られる。ダンジョン対策だけでなく、探索者の起こすトラブルなども取り締まる必要があるからだ。
今回モンスターの氾濫したダンジョンは、そういった発見されているダンジョンが近くにないものばかりだった。もちろん少数のダンジョン経験者の警官たちも立ち向かったが、数が違いすぎた。住民が逃げる時間を稼ぐために最後まで先頭に立ち、そして殉職した警官も少なくないが、その数以上に一般人の被害者の数が多すぎた。
「原因はわからないかね?」
重々しい口調で増田へと聞く総理大臣の岸の眉間には今までにないほど深いしわが寄っていた。その鋭い視線を受けながらも、増田は目を全くそらすことなく見返し、そしてゆっくりと首を横に振った。
「はい、全くわかりません。共通点としては、全てのダンジョンが暴力団や地方の有力者などによって秘匿されていた、周辺50キロ以内に他のダンジョンが存在しないなどいくつか見出すことが出来ますが、一斉にモンスターが地上へと出てきた理由にはなりません。世界的に見ても初の現象です」
「そうか」
増田のよどみのない答えにいっそうしわを深くしながら岸が視線を下げて考え込む。誰も話さないどころか、咳一つしない閣議室には重苦しい空気が漂っていた。
実際この閣議室にいる誰もがその答えを予測していた。そもそもダンジョンとは今までの常識では測れない存在なのだ。そんなことはこれまでの経験上、担当の大臣でない者も十分にわかっているのだ。
今回のことにしても自分を含めた警察の不手際と警察庁長官である増田自身は言っているが、それを本気でその通りだと思っている者などここにはいなかった。
「モンスターを出現させたダンジョンの封鎖が出来ているのは幸いですが、再びこういったことが起こる可能性もあるということね?」
「はい。目下全力で残党の排除、全国の未発見ダンジョンの捜索を続けさせています」
女性の大臣の言葉に、増田が即答する。現状として打てる手はこの閣議前に増田が打っている。それ以上のことなど普段からダンジョンに関わっているわけではない各大臣に提案出来るはずもなかった。
「不幸中の幸いはたまたま自衛隊の協力者と一般の探索者が多くいた場所や、地元の自警団などが初期対応を出来た場所などで被害が抑えられたことだが、逆にそのせいで世論が変わってしまったのが痛いな」
「国民にも自衛の力を、ですね。その初期対応をしてくれた自警団の方々を旗頭にして、かなりの支持を集めているようですよ。特に身内に被害を受けた家族などが熱烈な支持者層になっていますね」
「民間人だが、体を張ってモンスターから人命を救った実績があるからな。そんな彼らの言葉だからこそ重みがあるのだろう。マスコミもこの風潮を支持しているし、野党もそれに便乗しようとしている動きもある」
「3か月後の衆議院議員選挙に立候補するのではないかとの話もあるぞ」
「まさか、そんな」
大臣たちの話が熱を帯びていく。噂話程度のものであれ、この手の話題に彼らは敏感だった。
現在ここにいる大臣は3人の参議院議員を除いて全てが衆議院議員なのだ。3か月後に迫った選挙に直接関係してくるのだから当然だ。もちろんその選挙で落選してしまえば大臣の地位にはいられない。当選したとしても一度は総辞職することになるが、再び大臣に任命される可能性は高かった。
ここにいる者たちは比較的地元の支持層の厚い者ばかりで、特に不祥事や失言などもしていないため、今回のことがあったとしても自らが落選してしまうという可能性は高くはない。だが……
話が少しずつ落ち着き、そして大臣たちの視線が沈黙を続ける1人の男へと向かっていく。その視線の先にいるのは、急激に支持率を落としている現総理大臣の岸だった。むろん岸も地元にはかなり強力な支持層を抱えている。だが運の悪いことに、今回モンスターが出現した8地域の中で、被害が最も大きかったのが彼の地元なのだ。
現職の総理大臣で落選した例は今までない。小選挙区で落選し、比例で復活当選した者や選挙中に死亡してしまい当選とならなかったなど特異な例外はあったが。
実際、今回のことがなければ何事もなく岸は再選しただろう。だが現在その地元で岸の責任を追及する動きが出ていることも報道されていた。巻き込まれた本人や家族などの怒り、そして恨みが岸へと向かっているのだ。その熱が早々に冷めるはずなどなかった。
皆の視線を受けながらじっと黙っていた岸が顔を上げる。
「事態の収拾、再発防止に全力で当たってくれ。皆も選挙と同時進行になって大変だとは思うが、日本の平和のために力を尽くしてくれ」
「「「はい」」」
岸の言葉を締めに閣議室から大臣たちが出ていった。しばらくして立ち上がった岸がその場に直立不動のままでいた増田の元へと向かって歩いていく。
「自分の責任などと全てを背負おうとするな。これは私の責任だ。君たちはこれからも日本の平和を守ってくれ」
「総理……」
そう言って増田と神谷の肩を叩き、振り返ることなく前を見て岸は部屋から出て行った。そして部屋には渋い顔でわなわなと体を震わせる増田と、平然とした顔を取り繕いながらも、ぎゅっと音が出そうなほど力のこもった握りこぶしを作り、自らの感情を抑える神谷が残されたのだった。
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