第175話 隠されていたダンジョン
ある地方の片田舎に広大な敷地を持った立派な屋敷が建っていた。その敷地の周囲は高い塀で覆われており、その中をうかがい知ることは全くできない。ときおり、威圧感を与える正面の門が開かれ黒塗りの高級車が出入りする時であれば見ることも出来なくはないが、そんなうかつなことをしようと考える者は周辺にはいなかった。
新興住宅地でもなく、新たなアパートが建つこともないその地域には昔ながらの住人しかいない。だからその場所がどんな場所であるかも良く知っていた。そして何が起ころうとも見ざる、聞かざる、言わざるを貫くことが平穏に生きる術だと良く理解しているのだ。
そんなアンタッチャブルな存在のはずのその屋敷は、いつもの静けさとは正反対の怒号と喧騒に包まれていた。花火でもしているかのような破裂音が響き、そしてその音は止まなかった。
「死にさらせ! この化けもんが」
血走った眼をした若い男が手に持った拳銃の引き金を連続で引いていく。排出された熱を持った薬きょうが自分の腕に当たり、火傷したことにさえ気づきもせずに。
弾を打ち尽くしたのにも関わらず引き金を引いていたその男は、見えた状態で止まったバレルの先から立ち上る煙に気づき、慌てて自分の腰へと手を伸ばす。
男が視線を外したのはほんのわずかな時間だった。1秒どころか、0.5秒にも満たなかっただろう。しかし男は目を離してしまったのだ。
「銃と言う物はやはり厄介だな。どうしても体が反応してしまう。しかしこれほどの量があるとは、日本の安全神話も砂上の楼閣だったようだ」
「てめぇ……ぶべっ!」
目の前で聞こえてきた落ち着いた声に男が視線を向けようとし、そしてそれすらすることが出来ずに床へとしたたかに叩きつけられた。床が変形するほどのその威力に男の口から血が溢れだす。銃を持っていた手もあらぬ方向へと曲がってしまっており、そしてその手にあった銃は遠くに転がっていた。
倒れた男の傍に立っているのは、この場にはどこまでも相応しくない男だった。濃い土色のローブ状の服を着ており、腰に結んだ白い紐の余りを斜め前へと垂らしている。厚みのある革表紙の本を携えたその男は50代を超えているだろうか。白髪と白い髭が年齢を上に見せているが、皺のあまりないその端正な顔と眼鏡越しにもわかる知性ある鋭い眼差しが男の年齢をわからなくしていた。
こんな場所に居なければ修道服を着たどこかの宗教の聖職者かと思われただろうが、こんな暴力が支配する場に平然とした顔で居る時点で普通の者ではないことは明らかだった。
「てめ……」
「ふむ、やはり当たりのようだな。まだ話すことが出来るとは」
床に転がり、血を吐きながらも反抗的な目を向ける若いヤクザに、その男は少しだけ感心したようにうなずく。そして確認は終わったとばかりにすぐに興味を失い、若いヤクザを残して歩み去っていった。
遠くなっていくその男の背中を見つめながら、若いヤクザは自らの意識が薄れていくのを感じていた。死を感じるほどの圧迫感から解放されたことで、なんとか維持していた気力が切れてしまったのだ。そんな若いヤクザの耳に男の声が届く。
「せいぜい休みたまえ。生贄となるその時まで」
若いヤクザはその言葉の意味を理解することなく、意識を失ったのだった。
しばらくしてその屋敷は再び静寂を取り戻した。小鳥のさえずる声が聞こえるその庭を歩くのはあの修道服を着た男だった。片手には分厚い本を持ち、もう片方の手で初老の男の顔面を掴んでその体を軽々と引きずりながら庭の奥へと迷いなく進んでいく。
男がかなり進んだ先、屋敷から続く山の中腹にあったのは、立派な屋敷とは似ても似つかない簡素なプレハブ小屋だった。その扉を男がガラリと開けると、そこには地下へと続く階段とそれを監視している2人の組員の姿があった。
「「組長!!」」
驚きの声をあげる組員たちへと修道服の男が瞬時に近づき、そしてその体を蹴り飛ばす。抵抗するどころか声を発することさえ出来ずに組員たちは吹き飛び、地下へと続く階段を転がり落ちていった。
修道服の男は何事もなかったかのようにその後に続いて階段を降りていく。そして階段を降りきった先にあったのは、男にとって見慣れた壁や天井、そして床までも土で出来た空間だった。
ぽっきりと首が折れた組員たちが光の粒子となって消えていく。そんな非日常的な光景を男はただじっと眺めていた。そしてその光が完全に消えたところで手を伸ばし、掴んでいた組長を高く掲げて歩き始める。
「このダンジョンのマスターよ。聞こえているな。これが、お前の邪魔をしていた奴らの親玉だ。挨拶ついでに捕まえてきたから焼くなり煮るなり好きにするが良い。いまからそちらへ行く。少し待っていろ」
男は声をあげながらダンジョンを進んでいく。返ってくることのない反応に何の感情も見せずにただ淡々と。
ときおり襲い掛かってくる緑色の小さな体躯をしたゴブリンを蹴散らし、3階層のボス部屋に居た金属製の剣を携えた人型の粘液生物、スライムナイトを炎の矢の魔法で消し飛ばした男は、罠にかかることもなく4階層へと降り立った。
そこは今までの土の通路とは違い、赤茶色のレンガ造りになっていた。そして降り立った男を囲むようにしながらも、攻撃せずに様子を見るモンスターたちの姿に、男が少しだけ口の端をつり上げる。
男が軽く手を振り、そのモンスターたちが待機している場所へと組長を放り投げた。それが合図だったかのように組長を取り囲んだモンスターたちが組長へと攻撃を始め、しばらくの間うめき声が聞こえていたがやがてそれもなくなった。そしてぼろクズのようになったそれは光の粒子となって消えていった。
そんな光景を最後まで見ることなく男はダンジョンを引き返していき屋敷へと戻った。そしてそこにいた瀕死の組員たちを引きずりながら再びダンジョンへ戻ると、無造作にその階段へと組員たちを放り込んでいく。ただのゴミを処分するかのように淡々と、何の感情も見せることなく。
そして全ての組員たちを処分し終えた男が再びダンジョンへと入っていく。大量に放り込んだはずの組員たちの姿がないことを意に介することもなく男は進み、そして迷うことなく4階層へと降り立った。
そこには男を取り囲むように殺気立った様子のモンスターたちが待ち構えていた。それを見ても男の表情は変わらない。
「曲がりなりにも鍛えた者たちだ。10万DPは入ったと思うが、私の手土産は気に入ってくれたかね?」
穏やかな顔のまま話す男へと言葉を返す者はいない。しかし男は真っ直ぐに視線を向けたまま、その先にいる者へと語りかけ続ける。
「無論、これはただの善意ではない。君にちょっとしたお願い事があるんだ。なあに、たった1万DP程で済む話だし君にとってもメリットのある話だと私は考えている」
男は提案を話し続けた。それに対する回答など気にせず、半ば決定していることを通知しているだけのように。
「以上だ。では当日。君の未来に星の導きのあらんことを」
男はそう言って言葉を締め、短く祈るように頭を下げ目を閉じる。そしてくるりと向きを変え、階段へと向けて歩を進めた。
その瞬間、周囲で取り囲んでいたモンスターが一斉に男へと飛びかかる。殺気に満ちたその視線を一点のみに向けながら。
「そうそう……」
まるで忘れ物でもしたかのように、軽い仕草で男が振り返る。少なくともそのダンジョンのマスターにはその程度にしか見えなかった。しかしその仕草が招いたのは……
「お願いを聞いてもらえなかった時はきっちりと手土産は回収させてもらうつもりだ。そんな事はない、と信じているがね」
一面焼け野原となり、モンスターの姿などどこにもないその場所へ向けて男が告げる。そして今度は振り返ることなくダンジョンの外へと出て行った。
地上へと出た男は、小屋の扉を開いた音に驚き飛び立って行く小鳥を眺め、そして空を見上げて微笑んだ。
「星は何でも知っている」
お読みいただきありがとうございます。
地道にコツコツ更新していきますのでお付き合い下さい。
ブクマ、評価応援、感想などしていただけるとやる気アップしますのでお気軽にお願いいたします。
既にしていただいた方、ありがとうございます。励みになっています。