第174話 とりとめのない愚痴
2階層のとある通路にある隠し扉を抜けた先、人形に合った服を用意させるという秘密の依頼を受けられるその部屋に2人の警官がやってきていた。彼らは部屋の奥にあるカウンター内の棚に何もないことに少し落胆しながらも、カウンターに1人佇む人形へと話しかける。
「マット。今日も依頼は出てないか?」
「現在ノ、依頼ハ、ゴザイマセン。マタノ、オコシヲ、オ待チシテオリマス」
ぎこちなく頭を下げるその人形の姿に、小さくため息を吐いて警官たちは部屋を出ていった。この部屋が発見されて既に15日経過したが、未だに依頼を受けられていないのだから彼らの態度も仕方ないのかもしれない。
隠し扉が完全に閉まり、そして部屋に静寂が訪れる。日に1度の確認に警官たちが来る以外、この部屋を訪れる者はいない。その時まで、この部屋の主であるパペットによく似た人形であるマットの仕事は無いのだ。
しばらくしてカウンターの内側で立っていたマットがゆっくりと歩き出す。そしてカウンター奥の隅に隠されるようにして備え付けられた60センチほどの小さな扉をマットは勢いよく開いた。するとそこからライダースーツを着た女の人形が転がり出てくる。
「なにしとるん、ベルはん?」
「ちょっと壁に寄りかかってただけよ! 断じてあんたの話がいつ終わるのかとか聞き耳を立てていた訳じゃないから!」
「相変わらず、ベルはんはおもろいなぁ。まあいつまでも地面に寝とらんと、そこにでも座りぃな」
マットが赤い顔で自爆気味の抗弁をするベルをすくい上げてカウンターへと座らせる。その動きは先ほどまでのぎこちなさが嘘のように滑らかで、そして「どっこいしょ」と言いながら椅子を運ぶなど妙に人間臭いものだった。
カウンターに座り、軽くライダースーツを払う仕草をしていたベルが対面に椅子を持ってきて座ったマットへと視線を向ける。そしてその視線に気づいたマットが顔を上げた。
「どないしたん?」
「いや、相変わらず変なことしてるなって思っただけ。何、あの片言のしゃべり方?」
「おもろいやろ。いかに人が外見に判断を惑わされているかっていうことへのワイなりのアーティスティックな風刺やねん。いやー、こんな仕事をさせてくれるなんてマスターはんには感謝せんとな」
「はぁ、相変わらずマットは変ね。そのしゃべり方も変だし」
ベルの辛辣な言葉に、「ハハッ」とマットがその木製の顔を少しだけ動かして笑う。そしてほんの一瞬、目の前にいるベルが気づかないほどの短い時間表情を消し、そしてそれはすぐに元に戻った。
「んで、ベルはんはいつもの愚痴かいな」
「愚痴じゃなくて、暇なマットと話してあげようと思っただけよ」
「ほうほう、それはありがとさん」
軽くあいづちを打つマットにベルがじとっとした視線を送るが、当のマットはどこ吹く風だ。片肘をカウンターにつきながら、けだるげにし始めたことからもそれはうかがえた。
「本当に適当ね。まあいいわ。それで私のバイクの事なんだけどね……」
「やっぱ愚痴やないか」
ベルが切り出した話題に、小さな声でマットが突っ込む。ここ数日同じ話題を何度も聞かされているマットからすれば、ベルの話は愚痴以外の何物でもなかった。
話している内容も、そして結論も変わることはない。ただのダンジョンのモンスターであるマットやベルにはどうしようもないことだから当たり前だ。いかに自分にはバイクが必要かを真剣に説くベルを、何とも言えない顔でマットは眺めていた。
「……って言う訳なのよ!」
「ベルはん。前も言ったと思うんやけど、こんなとこで愚痴っとらんとマスターはんに頼みいな」
「わかってないようね、マット。私が欲しいのはバイクなの。武骨な金属の塊で、エンジン音という魂を響かせる相棒なの。マスターに聞いたら粘土とかでバイクの形なら作れるって言われたけどそうじゃないのよ!」
「もう聞いたんかいな」
がくっと肩を落とすマットをよそに、興奮したベルが止まることはなかった。そしてその結論の出ない会話はまだまだ続くのだった。
「じゃ、マット。また明日ね」
「はいはい、ベルはんも気いつけてな」
「何に気を付けろって言うのよ」
夜もふけてきたころになってやっと話が終わったベルがぴょんとカウンターから飛び降り、そして小さな扉へと向かって歩いていく。表情などほとんど変わっていないはずなのに、体全体から疲れた雰囲気を醸し出していたマットがその後ろ姿を見送る。
そしてベルが扉へと手をかけ、姿を消そうとしたところで不意に振り返ってマットを見た。
「楽しかったわ。愚痴を聞いてくれてありがと。マットも何か悩んでいるなら話しなさいよ」
「ベルはん……」
「じゃ、それだけ。また明日!」
赤くなった顔を隠すようにドアを勢いよく閉めてベルが扉の奥へと姿を消す。部屋に1人残されたマットはわずかに目を細め、そしてベルが消えた扉を眺めていた。
「かなわんなぁ。なんやろ、女の勘ってやつやろか」
片手で頭を掻きながらマットがそんなことを呟く。その顔には苦笑いが浮かんでいた。
ベルに言い当てられたようにマットには悩みがあった。いや、悩みと言うほど具体的なものではない。それ故に悩み続けているという面もあるのだが。
この秘密の依頼所を管理する役割を果たすためにダンジョンマスターである透に生み出されたマットではあるが、その生み出された直後からマットの中にその疑問は存在していた。
自分とは何なのだろう、という疑問が。
そのパペットのような見た目に反して、マットはかなりのDPを使って<人形創造>されている。依頼を受けさせるということだけでなく、依頼の元となる人形を守ると言う役割もあるのだから当たり前だ。
だからこそ、客観的な視点から見た自分の存在意義については理解できていた。ダンジョンモンスターに過ぎない自分は、マスターの命令通りに動けば良いとわかっているし、マスターに反抗する意思など全くない。
そうわかっているのに、その疑問がなくなることはなかった。「最低限の仕事さえしてくれれば後は自由にして良いぞ」とダンジョンマスターである透はマットに言った。
だがただのダンジョンモンスターであり、人形である自分の自由とは何なのだろうか。仕事のないほとんどの時間をマットは疑問を解決するため考えにふけったが、逆に思考を続けるほど新たな疑問が次々と湧いてくるだけだった。
そんな時にたまたま出会ったのがベルだった。おおっぴらに表に出ることが出来ず、ぶらぶらとしていたベルがたまたまこの部屋までやってきたのだ。
最初はたわいもない言葉を2、3交わす程度だったのだが次第にその時間は長くなり、そして遂には半日も意味のない会話を交わすようになっていた。
最初は思考の邪魔だと考えていたマットだったが、しばらくしてベルと話している時は頭の中から疑問が消えることに気づく。それが何故かはマットにもわからなかったが、嫌な気分ではなかった。
「また明日、か。その言葉を嬉しく思ってしまうのはなぜだろうね。ベル、君ならわかるのかな?」
1人になったことで思考の渦に少しずつ足を埋もれさせていきながら、マットは穏やかな笑みを浮かべそんなことを呟いたのだった。
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