第169話 あかされた初心者ダンジョンの秘密
「あっ!」
ダンジョンの2階層、罠の訓練をするために通路を歩いていた新人警官2人は目の前で起こったことが信じられず声をあげ、動きを止めた。そしてそれに相対する少女が2人へと視線を向けながら苦々しい表情を浮かべる。
「ちょっと君、どこから出てきたんだ?」
「何言ってるんですか? 私はずっとここにいましたけど?」
「しらばっくれるな。君が壁から出てきたところを見ていたんだぞ。ちょっと話を聞かせて……」
その少女へと手を伸ばしながら言葉を発していた警官の顔がみるみるうちに青ざめる。目の前にいるのは外見上は可愛らしい少女にしか過ぎない。しかしその警官はまるで猛獣の目の前に檻もなく立たされているかのような恐怖を感じ、呼吸することさえ出来なかった。
2人の警官をじっと見つめていたその少女がふっ、と息を吐くと、その恐怖は勘違いだったかのようになくなる。しかし空気を求め、荒く息を吐く自分自身の体は先ほどまでの出来事が嘘ではないと示していた。
「まぁ、そろそろ潮時かな」
「何を言っているんだ?」
「このダンジョンの秘密を教えてあげるってこと。偉い人に直接話した方が面倒はないよね。何度も呼び出されるとか勘弁だし。ねぇ、案内してよ」
「いや、まずは……」
「面倒なら逃げちゃうかもねー。話を聞くっていっても強制じゃなくて任意でしょ。断ってもいいんだけどなー。今だってわざわざ話をしてあげてるんだよ。私との実力差、わかってない訳じゃないでしょ」
にっこりと笑うその少女にしか見えない探索者、アスナから放たれる威圧感に気圧された警官たちは、「ちょっと待ってくれ」と言って相談を始める。そして短い話し合いの結果、アスナの要望を伝えるために1人の警官が走って報告へと戻ることにしたのだった。
(取調室3)と書かれた4人も入れば狭く感じるような真っ白な部屋の中で、簡素な椅子に座ったアスナが物珍し気にキョロキョロと周りを見回していた。とは言え一人監視の警察官がいる以外は特に何もない部屋であるためすぐに興味を失ったようであるが。
しばらくして部屋の入り口のパーティションを抜けて2人の男女が入ってくる。真剣な顔をした渋みがかったその男は警視庁ダンジョン対策部部長の神谷で、もう1人の緊張感とは無縁そうな、それどころかどこか楽し気な女は警視庁の中で最も強いと言われている桃山だった。
「すまない、待たせてしまったようだな」
「まあね」
足をプラプラと揺らしながら座って待っていたアスナの対面に神谷が座る。その背後では桃山が立ったまま興味深げな視線をアスナへと向けていた。
「こんな部屋で申し訳ない。他に適した部屋がなかなかなくてね」
「別にいいよ。ちょっと面白かったし。それでかつ丼はいつ出てくるの?」
満面の笑みで聞いてくるアスナに警官たち全員が苦笑を漏らす。
「あれ、実は食べる人が自腹で買ってるんですよねー」
「うそっ! 警察のおごりじゃないの?」
桃山の言葉に、アスナが信じられないとばかりに目を見開いて驚く。
「禁止されているのでね。まあ今回は罪を犯したわけでもないし、こちらが話を聞かせてもらう立場だ。食べたいのであれば私がおごろう」
「やった。おじさん、話がわかるね。いやー、一度取調室でかつ丼食べてみたかったんだ」
一転してニパッとした笑顔を見せるアスナを微笑ましげに神谷は眺め、そして気を取り直したかのように椅子へと座り直して姿勢を少し前傾させた。
「すまないが話し合いを撮影させてもらいたい。万が一にも重要な事を聞き逃さないようにね」
「いいよ。別に困ることはないし」
「協力感謝する。磯崎」
「はい」
神谷の呼びかけに応え、最初からアスナの監視のために部屋にいた男性警察官の磯崎がテキパキと機材をセッティングしていく。そしてしばらくして神谷へと合図を送った。
こほん、と小さく咳払いした神谷が口を開く。
「君には憲法第38条1項、および刑事訴訟法第311条1項に基づき自己に不利益な供述を強要されず拒むことの出来る権利、いわゆる黙秘権がある。また同法30条により弁護士を呼ぶ事が……」
「あの、神谷部長何を言ってるんですか?」
すらすらと口上を述べる神谷に磯崎が戸惑いながら声をかける。邪魔をされた神谷は特に怒るでもなく、ただ呆れたような視線を磯崎へと返した。
その視線に自分がおかしいのか、と少し思いながらも磯崎が言葉を続ける。
「これは取り調べじゃないですよね。それに根拠法令まで言うなんて本当の取り調べでも……」
「はぁ。お前はもっと観察力を養う必要があるな」
「えっ、なぜでしょうか?」
神谷が無言のまま視線を別の方向へと送る。磯崎がつられてそちらへと視線を向けると、そこには自分へと白けた視線を向けているアスナの姿があった。
「おじさんって、女の人と知り合いになってもいい人で終わるタイプでしょ」
「うっ、そんなことはないぞ。ちゃんと結婚もしているし」
「磯崎さんは奥さんがすごい人なんですよー。交通課の女傑って呼ばれてましたしねー。キスもプロポーズも奥さんからだったそうですよー」
「うわっ、さいてー」
「なんで桃山さんがそんなこと知ってるんですか!?」
「だってチーちゃんとはマブダチですしー」
衝撃の事実に愕然とした表情のまま固まる磯崎に向けて、神谷が嘆息しながら首を小さく振る。そして皆に聞こえるようにこほんと咳払いして雰囲気を正した。
「少し水を差されてしまったが、ではさっそく話を聞かせてくれるか?」
「うん、そうだね」
「まず、ダンジョンの壁から出てきたと言うことだが……」
神谷が聞き取りを始めたが、磯崎が再起動するにはもうしばらく時間がかかるのだった。
カリカリと走らせていたペンを神谷が止める。すでに聞き取りを開始してから1時間半が経過していた。
神谷の冗談などを交えた聞き方のせいか、机の上のお菓子などをパクつきながら話したせいか、それともそもそも地なのか、アスナは全く緊張も疲労もすることなく全てを話し終えていた。
途中で買ってもらったペットボトルのサイダーをゴクリと飲み干し、アスナがそれを机に置く。それが合図だったかのように神谷が口を開いた。
「最終的な確認をさせて欲しい。その2階層の隠し部屋には案内人がおり、人形に合った服を探すという依頼が受けられる。そしてその依頼を達成すればスキルスクロールなどの報酬が得られる」
「うん、その通りだよ。今は新しい人形が出るのは月1くらいかな」
「いつ出現するかは不明で法則性もない、と」
「さっきも言ったけど最初はいっぱい並んでたんだ。ボーナスタイムだったのかな?」
「かもしれないな」
最終的な確認を続けていく神谷とアスナをよそに、桃山と磯崎が小さな声でこっそりと会話を交わす。
「桃山さん、これって大丈夫でしたっけ?」
「なにがー?」
「いや、あの子って言ってみれば依頼を独占して利益を得ていた訳ですよね。自分だけの秘密にしておいて」
「そうだねー。ちょっと戦ってみたいかも」
楽しげにしながらも、獲物を狙う肉食獣のような目でアスナを見る桃山の態度に磯崎がなんとも言いがたい表情を浮かべる。
「いや、そうではなくってですね」
「うるさいぞ、磯崎、桃山!」
「「申し訳ありません」」
神谷の叱責に2人が直立し、同時に頭を下げる。その姿にアハハ、とアスナは笑い、そして少しだけ心配そうな表情を神谷へと向けた。
「で、私って罪に問われたりする?」
そう聞いたアスナへと神谷は即座に首を横に振った。
「いいや。ダンジョンの秘密を知ったとしても現状では報告の義務はない。買取場所の指定がされているスキルスクロールなどを秘密裏に転売していたとでもなれば問題だが、自分で使用する分には制限もかかっていないしな」
「と言うことは無罪ってことだね」
「そうだな。まあ多少裏付け捜査はさせてもらうかもしれないがね」
神谷の言葉にアスナが笑顔を浮かべる。その表情はそんな事など全くしていないと自信を持っているように神谷には思えた。
その時、開きっぱなしになっているドアをノックする音が聞こえ、目隠しのパーティションをすり抜けて1人の男性警官が入ってくる。そしてその警官は神谷に近づき、耳元でなにかをささやいた。その言葉に神谷の目がキラリと光る。
そして警官が出て行き、真剣な表情をした神谷がアスナを見つめる。先ほどまでの空気が一変し、物々しい雰囲気を醸し出している神谷の態度にアスナが思わずゴクリと唾を飲み込んだ。桃山と磯崎も何事かと神谷を見つめる。
そして、神谷の口が重々しく開いた。
「カツ丼食うか?」
「ぷっ。おじさん、最高! もちろんだよ」
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