第165話 アスナの要望
そして俺とセナによる作戦会議から3日後、とうとうアスナがダンジョンへとやって来た。いつも通り体が隠れてしまうようなかなり大きなリュックを、小柄な少女と言ってもいいような容姿のアスナが背負った姿は、知らない奴が見たら驚くんだろうな。ダンジョンマスターとしてかなり強くなっているアスナにとっては造作もないんだろうが。
あのリュックの中には俺が頼んだ人形の材料や雑誌、セナが頼んだせんべいや新聞、情報誌なんかが詰められている。だからいつもならアスナが来るのを楽しみにしているんだが、今日は別だ。
「いくぞ」
「おう。頼むぞ、せんべい丸」
迷いなくダンジョンコアへと手を当て、2階層の隠し部屋奥に設置されたダミーコアへ転移したセナの背中を追ってせんべい丸を着た俺も2階層のダミーコアへと転移する。そしてセナと共にその部屋からいつもセナがアスナと交渉している部屋へと移動する。
この3日セナと何度も話し合いを続けたし、案についてもそれなりの物が出来たはずだ。それでも俺の心臓の鼓動は確実にいつもより早くなっている。ふぅーと何度か息を吐いて落ち着けようとするが、うまくいかねぇな。
そんなことをしていると軽くせんべい丸が体を上下に揺らしてくる。と言うかボクサーのようにステップしながらジャブを打ちはじめた。まるで自分に任せろとでも言わんばかりの態度に思わず苦笑が漏れる。
「せんべい丸。ありがとよ。でも前回俺が中にいるのに無茶しやがったこと忘れてねえだろうな」
俺の言葉にせんべい丸がピタリと動きを止めた。
前回せんべい丸に入ってアスナと対峙して俺が気絶した後、こいつの無茶なプロレス技もどきのせいでその後ひどい筋肉痛になったからな。実際にその技を見せてもらったが、無駄にアクロバティックで俺が筋肉痛になるのも当然だと思うようなやつだったし。
しかし、まさか本当に忘れていた訳じゃねえよな。そんな態度を取られるとちょっと不安になるんだが。まあ変な緊張はちょっとほぐれたけどよ。
「いつまでやっているんだ、馬鹿2人。そろそろアスナが来るぞ」
「いや、少なくとも俺は違うだろ」
俺の反論と共に勝手に手がぶんぶんと振られる。せんべい丸も反論しているようだ。そして必死で自分を指さして何かをアピールしているんだが、ひょっとして馬鹿なのは自分じゃなくて中に入っている俺だけとか言ってるわけじゃねえよな。
「なあ、せんべい丸……」
「来たぞ」
ほぼ同時に発せられたセナの声にそれ以上の問いかけをやめて気持ちを切り替え、視線を先へとやる。壁の隠し扉がゆっくりと開いていき、そしてそこから見覚えのある姿が現れた。
150センチもない低い身長と人形のように整った童顔のせいで中学生に見えなくもない女。ショートカットの黒髪を揺らしながら、興味深げにこちらを見ているのはもちろんアスナだ。モニターでも見ていたが、実際に見てみると前会った時からほとんど成長してねえような気がするな。
リュックから顔を出した黒猫のラックが慌てたようにピョンと地面へと飛び降りる。まあ普段はセナしかいねえからな。慌てもするか。
「へぇ、今日はダンマスがいるんだ。ってことは何かあるってこと?」
「ご名答だ。少々ミスがあってな。それを調整するための話し合いをしたいという訳だ」
セナの言葉にラックが小首を傾げる。
「ミス?」
「ああ。俺たちのミスでお前に迷惑をかけそうでな。最初に謝っておく。すまなかった」
アスナとラックへと頭を下げる。話し合いをするにしてもミスった謝罪は最初にしねえとな。それがけじめだし。
顔を上げると2人が怪訝な顔で俺を見ており、続いてセナも小さくぺこっと頭を下げる。やっぱ、かなりアスナを警戒してるな。特に今のところすぐに暴れ出しそうとかそんな感じはしねえけど。
「とりあえず事情を説明するぞ」
頭を上げたセナがアスナとラックへと説明をしていく。事前に何度も話し合ったおかげか、とても簡略でわかりやすい説明だ。ラックがたまに質問をする中、アスナはじっとこちらを見たまま黙って話を聞いていた。その瞳は鋭く、そして冷たい。
「つまり下手をするとアスナが疑われかねないという訳だね」
「そうだな。即座にダンジョンマスターだとわかってしまうということはないだろうがこのダンジョンのなにかしらの秘密を知っているのではないかと疑われはするだろうな。監視ぐらいはつくかもしれん」
「それは遠慮したいなぁ。ただでさえ今でも大変なのに」
はぁー、とラックがため息を吐く。なんというかこいつも苦労してそうだよな。どことなくセナも同情しているような雰囲気だし。と言うかダンジョンマスター不在で話が進んでいるんだが良いのか? いや、セナに説明を任せっきりの俺が言うことじゃねえかもしれねえが。
アスナは相変わらずこちらを見たままだ。なんとなく目を逸らしたらダメな気がするから俺の視線もアスナとラックを見つめたままだ。まあせんべい丸ごしなので視線なんてわからないかもしれねえけど。
「その回避案としていくつか案は考えておいた。細部は違うが、大まかには人形にあった衣装を奉納することで特殊なスキルスクロールなどを得ることが出来る隠し要素がこの初心者ダンジョンにはあり、それをアスナが行ったという感じだな。そうすれば先ほどの時期の矛盾もクリアできる」
「あっ、それならちょうど……」
具体的な回避案へと進もうとしたところで、ちょっと表情を緩めたラックが何かを言いかけたんだがそれは最後まで続かなかった。アスナがそれを遮ったからだ。
「ねぇ、その前に迷惑をかけたんだからお詫びの品とかそういった事の方が先じゃないの?」
「ちょ、ちょっとアスナ。何言ってるの!?」
「ラックは良い子過ぎるんだよね。まあそれが良いとこなんだけど。でもミスったのはあっちで迷惑がかかるのは私たち、それ相応の対価が必要だよね」
「もちろんそのつもりだ。お前の武器を造ることも出来るし、DPが良ければそれでもいい。無茶な要望じゃなければ出来うる限りのことはするつもりだ」
くしくしとラックの頭を撫でながら対価を要求するアスナに、俺は迷うことなく、はっきりと告げる。これは事前にセナと何度も話し合って決めておいたことだ。こっちが勝手に用意したとしてもアスナが気に入らなくちゃ意味がねえしな。もちろん俺が保有しているDP全部とか、滅茶苦茶DPが必要な装備が欲しいなんて要望には応えられねえけど。
俺の答えにアスナの口角が上がり、目がらんらんと輝きだす。その表情は愉悦に満ちていた。その顔を見ていたラックが途端に慌てだす。
「まさか、アスナ……」
「このダンジョンで最も強いモンスターと全力で戦わせて」
「ちょ、待ってよアスナ。DPの方がいいって。ほら、他のダンジョンにも強いモンスターならいるかもしれないじゃん」
ラックの提案に、アスナは即座に首を横に振った。その身からは今まで感じられなかった圧が発せられていた。ピリピリと肌がひりつき、固まってしまったかのように身動きがとれなくなる。そして……
「大丈夫か、せんべい丸?」
俺の体は震えていない。それなのに体全体が細かく振動を感じている。つまりこの震えはせんべい丸のものだ。適当で自堕落でふざけた性格だが、せんべい丸は決して臆病なんかじゃない。やるべき時はやる頼もしい仲間だ。
そんなこいつが震えるなんてアスナはどれだけ強くなってやがるんだ?
「ここ以上のダンジョンなんてなかなか無いってラックも知ってるでしょ。ねえ、生きてるって感じさせてよ」
踏み出したアスナの足がジリっと音を立てる。それはそれ以外の選択肢など無いと俺たちに告げているように聞こえた。
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