第163話 初心者ダンジョンの毒
「こいつはこのダンジョンにとって致命的な毒になるかもしれん」
冷たい声でそう言い切ったセナの目はいつもと違い、どこかほのかに薄暗いものを含んでいるように見えた。その姿になぜかぎゅっと心臓を掴まれたような息苦しさを感じる。まるで別人になってしまったかのようなセナの変わりように内心で動揺しつつも、なぜかそれを表に出すのは嫌だった。
いつも通りを取り繕い、外見はいつもと変わらぬ姿のままのセナを見返す。
「どういうことだよ?」
「簡単なことだ。透が気づくのであれば、身内であるこいつがアリスシリーズの服が老婆の手によるものだと気付いている可能性が高い。なぜこのダンジョンのモンスターがそんな服を着ているのか疑問に思わないはずがないだろうが」
「そうだな。でも今は人形の奉納もされているからそれでごまかせるだろ」
「まあな」
セナはあっさりと俺の言葉に同意した。なんというか肩透かしをくらった気分なんだが、まだセナの表情は硬いままだ。別にごまかせるなら問題ないんじゃねえかと俺は思うんだが。
そもそも考えてみれば今までだって自衛隊や警官たちはアリスシリーズを見てきたんだし、その中に人形に詳しい奴がいれば気づいていたかもしれねえ。でも特にそれ関係で疑われる様子もなかったしな。
それに今は人形を奉納するってのが毎日行われているし、たまたま奉納された人形の中に凛の身内が造った衣装があったとしても不思議には思われねえと思うんだがな。
「やっぱ、俺には別に問題ねえ気がしてきたんだが」
「他の奴ならそうだろうな。しかしこいつは身内でしかも同じような生産者だ。本人に会ったり、話したりする機会は多いだろう。そうなれば当然ダンジョンのモンスターが着ていた人形の服についても話すはずだ」
「まあそうだな」
そりゃあダンジョン内なんていう一般人にはまだまだほど遠い場所で、その人が造った服を着たモンスターがいるなんて言う話題は面白いだろうしな。話さないはずがねえだろ。でもそれも奉納されたで終わりじゃねえのか?
俺の表情を見て、まだ理解できていないことを察したのかセナがふぅ、とため息を吐きそして言葉を続ける。
「問題となるのは時期だ」
「時期?」
「私たちがアリスシリーズの服を注文したのは奉納が始まる前だ。造った本人ならそれを間違えることなど無いだろう。不思議の国のアリスと言う統一された世界の人形の衣装を大量に注文したのだから記憶にも残っているだろうしな。そのずれが見過ごされなかった時、そこから繋がってくるのは……」
「アスナか!?」
「そうだ」
外に出られない俺たちの代わりに人形の服なんかを注文したのはアスナだ。かなり面倒くさそうにしていたが、交渉してなんとかやってもらったんだ。
そうか。セナが言いたいことがだんだんとわかって来た。そうだよな。考えてみれば警官や自衛隊の奴らの中で気づいた奴がいたとしても、その衣装を造ったおばあさんとの繋がりがある確率なんてほぼ無いに等しい。
服には銘やロゴなんてものは入っていないし、おばあさんが造ったっていう確信までは持てないはずだ。そんな人に「あなたの服をモンスターが着ているのですがなにか関わりがあるのですか?」なんて聞けるはずがねえしな。
でも凛は違う。同じ生産者で身内なのだから俺よりも確信を持っているだろうし、もし間違っていたとしても身内の気軽さで問題になるはずはねえ。造った物だとわかってもあっさりと凛が流してくれればそこで終わりだが、そこで疑問を持って色々と調べられたらそこからアスナへとたどり着くのは簡単だ。
そしてアスナから繋がるのは俺たちだ。俺たちが原因で捕まったら、アスナが俺たちをかばう必要なんて全くない。むしろ積極的にバラすはずだ。これは確かにまずいかもしれねえな。
「やっとわかったようだな」
「まあな。でも現に今は問題になってねえし、これからもならない可能性もあるだろ」
「透。問題の芽は早いうちに摘むのが戦争の鉄則だ。これを怠れば思わぬ損害を被ることになる」
「摘むって……まさか!?」
摘むと聞いて浮かんだ考えに、思わず目を見開いて聞き返す。冗談だよな、という俺の思いとは裏腹にセナはゆっくりと首を縦に振って肯定してきた。
「殺すということだ。口をきけないようにするという方法もあるが、今はポーションがあるからな。確実を取る必要がある」
「ダンジョン内で殺すのは無理だろう。そんなことをしたら本末転倒になるぞ」
「アスナを使う。対価はかなり要求されるだろうが仕方ない。必要経費と割り切るしかないな。アスナ自身の危機でもあるから拒否は出来ないだろうが今回は我々のミスだからな」
淡々と決定事項のように話していくセナを見つめる。俺の胸の中にもやもやが広がり、その気分を一言で表すなら最悪だ。
ダンジョンマスターになって死というものには慣れたつもりだった。自衛隊や警官たち、外国の軍、一般の探索者。このダンジョンに入ってきた者たちが人形や罠によって殺されていくのを俺は見てきたんだから当たり前だ。
でもこれは違う。ダンジョン内で死んだ奴は生き返らせることが出来た。でもセナがやろうとしているのは本当の殺人。生き返ることのない死だ。
セナの決断が理解できない訳じゃねえ。ダンジョンをこのまま維持していくために不安要素を消したいってことだろう。いうなればダンジョンのための決断って訳だ。ダンジョンマスターである俺からすれば感謝すべきなのに、こんなに気分が悪いのは……
少し皮肉気に片方の唇を上げながら自嘲するセナを眺める。その姿に沸き上がって来たのは怒りだ。
もちろん殺人に忌避感があるってのは確かだ。ダンジョン内では生き返らせるって言う前提があったからそこまで気にはならなかったんだ。全く忌避感を抱かなかったらそいつはきっと狂っているか壊れているかだ。
セナはさも当然のように凛を殺すと決めた。その表情にはアスナに渡す対価や俺たちがミスしたことに対する感情は浮かんでいるが、殺すことへの躊躇などは一切ない。
両手をぎゅっと震えるほど握りしめて息を吐き、手を開いて皺の寄った自分の手を見つめる。そしてその手をセナへと向ける。セナと視線が交錯した。
「何をっ!?」
セナの首へと手を滑らせる。その小さな体からわずかな抵抗と温かさを感じる。
「この馬鹿野郎が!」
そう言いながら俺はセナをぎゅっと抱きしめた。
「何をする。離せ、この馬鹿透が!」
「馬鹿に馬鹿って言われる筋合いはねえよ!」
じたばたと抵抗するセナと言い合いながらも、俺が力を緩めることはない。単純な力では俺の方が強いし、体格差も圧倒的だ。しばらく抜け出そうと抵抗を試みていたセナが少しずつ大人しくなっていく。
セナと額がくっつきそうなほどの距離で見つめ合う。その宝石のように透き通った瞳に映る自分の姿は本当に……
「本当に馬鹿なのは俺だ」
そうだ。ミスをしたのはセナじゃねえ。俺だ。人形の服を外注しようと提案したのも、その人形を不用意に生産者の元へ出前の配達として送ったのも、全て俺だ。あれだけの衣装を造れる人なんだ。ちょっと考えればその関係者がスキルの候補者として選ばれている可能性があることにも行きついたはずだ。それは同じ作品を造る者として、俺が考え付かなきゃいけないところだったんだ。
セナは何も悪くない。俺のフォローをしているだけ。人を殺すという汚れ役を自ら引き受けて自らが悪者であるかのように振る舞って。
それはきっと俺を守るためだ。セナは俺が殺人に忌避感を持っていることを知っている。だからこそ俺に決断をさせなかったのだ。いつもなら俺に最終的な判断を任せるのにな。セナにフォローされ守られてばかりの自分自身に対する怒りが収まらねえ。でも……
「でもセナも馬鹿だろ」
「何のことだ?」
「平気な顔すんじゃねえよ。お前だって人を殺すのは嫌なんだろうが!」
「何を言っている。傭兵にとって人を殺すなんてのは……」
「違えよ。俺が言っているのは傭兵じゃねえ。セナ、お前だ。俺の見る目を侮るんじゃねえよ。どれだけ一緒にいると思ってやがる!」
俺の言葉にセナの瞳が揺れる。それは俺の言葉が間違っていないってことを確信させた。
さんざん兵士だ、傭兵だって言っているセナだが、こいつは人を殺すのが好きって訳じゃねえ。そりゃあダンジョンのトラップや人形たちの配置なんかを考えたりするときは楽しそうにしてるし、思惑通りにそれがはまった時なんかは笑い声をあげることもある。あれっ、ちょっと確信が無くなってきたような気がするな。
いや、でも今回に限っては違う。殺すと告げたセナは表面上平然としていた。でもその目は自信満々ないつもと違い、悲しみがにじんでいた。そして諦めや不安の色も。最初はそれが何かはわからなかったが、話を聞いていてはっきりしたんだ。こいつは、セナは、そんな自分自身の心を殺してまで俺を守ろうとしてくれたんだ。セナは殺人に忌避感を持っていない訳じゃねえ。俺と同じなんだ。俺と同じ人なんだ。
わずか10センチも離れずに顔を突き合わせながら、じっとセナを見つめ続ける。腕の中にある暖かさを逃がさないように抱きしめ続けながら。離してしまえば、セナの心まで離れてしまいそうなそんな気がした。
しばらくしてセナが目を閉じ、そして諦めたかのように大きく息を吐いた。
「やはり透は人形馬鹿だな。人形を見る目だけは確かだ」
「だけ、は余計だ。それにセナは人だろ」
俺の言葉にセナはきょとんとした表情を浮かべ、そしてくっくっくとおかしそうに笑い出した。なんだよ。別におかしいことなんて言ってねえだろうが。
しばらくして笑うのをやめたセナが再び俺を見る。その瞳は先ほどまでと違い、いつもと同じ澄んだ色をしていた。
「まあ良い。でもどうするのだ。実際確実なのは凛を殺すことなのに変わりはないぞ」
「頭を絞って2人で考えればいいだろ。今までだってそうして乗り越えてきたんだし」
「本当に透は行き当たりばったりだな。フォローするこちらの身になって見ろ」
そう言ってセナが背を俺へと預ける。その重みを感じて俺は安堵し、そしてもっともなセナの意見に苦笑いを浮かべるのだった。
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