第161話 出前の評判
ピンクと紫のフリルの着いたドレスを身にまとった猫耳少女のチェシャ猫がその大きく横に開いた口をにぃーっとさせながら女の革職人へと近づいていく。その手に持ったシルバーで真四角の岡持ちをきらりと光らせながら。うん、やっぱ違和感バリバリだわ。
出前と言えば岡持ちだろ、とノリで持たせちまったんだがドレスと合う訳ねえよな。本人は結構気に入っているみたいなんだが、女の革職人もびっくりしたのか動きを止めちまってるし。
「ニシシ。生姜焼き定食かもしれないモノにゃ」
「かも、って何!?」
「かもは、かもニャ。ニシシ」
ニヤニヤとした笑いを浮かべながら、岡持ちからホカホカの湯気が立ち上る生姜焼き定食をチェシャ猫が出していく。不穏な物言いに思わず革職人の女が不安そうな表情をするが、肉の油とタレが混ざり合ったその照りは食欲を刺激してやまないし、その肉とキャベツやトマトの絶妙なバランスの盛り付け、そして湯気の立つご飯と味噌汁、付け合わせの漬物。これが生姜焼き定食じゃなかったら何なんだって感じだけどな。
と言うかさっき俺も食ったしな。マジで美味かった。
「チェシャ……」
「おおっと日向が怒るニャ。ではそろそろ消えるとするニャ。せいぜい、かも、しれないものを楽しむと良いニャ。ニシシシシシ」
「えっ!」
楽し気にその瞳をくるりと回し、そして笑い声だけを残しながらチェシャ猫がその場から消える。まあ本当に消えた訳じゃなくて、実際にはものすごいスピードで壁や天井を蹴ったりして不規則な動きをしながら去っていってるだけなんだけどな。一般人には消えたように見えるだろうけど、モニターならなんとか俺にも残像が見えるし。
一応出前で一般の探索者がいる階層にも行くことになるからって事で、お茶会の会場でウエイトレスをしている人形たちを強化したんだが、何というか見事にその強化具合がわかれたんだよな。チェシャ猫はスピードに特化して強化されたが他の人形は違うし。
特に意識したわけじゃねえんだけど、傾向としてはそいつの長所を伸ばすような強化になっているんだよな。まあ他の部分が全く強化されていないって訳じゃねえから一般の探索者に後れを取るようなことはねえと思うけど。
今日の配達途中で一般の探索者と何人かすれ違ったが、岡持ち効果のおかげか驚きはするものの攻撃してこようとする者はいなかったし、明日以降はきっと自衛隊から注意喚起がされるだろうからよほどのことが無い限りは問題ないはずだ。
「ごめんなさいね。ちゃんとした生姜焼き定食だから安心して」
「は、はぁ」
戸惑いながらも、日向の言葉に促されて革職人の女、確か凛とか言ったか、が視線を生姜焼き定食へと向ける。少し眉根を寄せた困った顔をしつつも、凛は両手を合わせると小さな声で「いただきます」と言ってからその手に箸を取った。
おっ、結構律儀な奴だな。ククの出前を頼んだ奴の半分くらいは無言で食べ始めたし、手を合わせるだけの奴もいたしな。ちょっと好感度がアップだ。
凛が恐る恐るといった感じでその箸で生姜焼きを掴む。口の前で箸がいったん動きを止め、そしてえいっ、と言わんばかりに凛は目を閉じながら生姜焼きへと食いついた。
「あっ、美味しい」
先ほどまでの不安げだった凛の表情がほころぶ。そうそう、それで良いんだよ。ククが作った飯が不味いわけねえだろ。
人形造りにも言えることだが、物を造るってのはエネルギーを滅茶苦茶使うんだ。そりゃ普通の運動なんかと比べれば動きは小さいかもしれねえけど、頭をフル回転させるせいかすぐに腹が減る。そこで重要になってくるのが飯なんだよな。
自分しかいないと作るのが面倒で適当になってしまいがちだが、集中力を維持するためにも、気分転換するためにも飯はしっかり食った方が良いんだ。まあ俺の場合、理屈としてはわかっていても、没頭するとつい食うのを忘れちまってセナに怒られたりするんだけどな。
凛も腹が減っていたのか、無言でもぐもぐと生姜焼き定食を食い始めた。なんというか気持ちの良いくらいの食べっぷりだ。こんだけ美味そうに食ってくれたら作ったククも満足だろうよ。録画して後で見せてやろうかと思うくらいだしな。
凛は結局1度も箸を置くこともなく、生姜焼き定食を食べきった。凛のちょっと潤んだ唇は口紅やリップを塗っているような色気を放っており、そのせいか数人ちらりと見ている男の職人がいるが、実際は豚の油だぞ。きっと香ばしい匂いがするはずだ。それでも良いなら俺は別にいいけどよ。
「ごちそうさまでした。あっ、普通に食べちゃった」
手を合わせてごちそうさまをしてから、ようやく自分が不審に思っていた飯を食べきったことに気付いたようで、凛がぱちくりと目を瞬かせる。
「まあ、美味しかったし。タダだし良いよね」
うん、こいつ結構いい性格してる気がするな。なんとなくだけどよ。
「ふむ、早飯に加えて切り替えも早い。こいつは良い兵士になるだろう」
「いや、兵士にはならねえからな」
お茶をすする凛を見ながら、うんうんと腕組みをしてうなずいているセナに思わず突っ込みを入れる。確かにセナを見てると早飯だし、気持ちの切り替えも早いけどよ。それだけが兵士の資質ってわけじゃねえだろ。ちょっとそこんところを詳しく聞いてみたい気もするが、俺の兵士の概念が壊れそうだしやめておこう。
兵士とかをモチーフにした人形を造るときに、どいつもこいつも早飯だなんて意識を持ちたくねえし。
「しかし中々うまく行っているようだな」
「だろ。やっぱうまい飯ってのは重要だからな」
「それはそうだ。しかし問題点もある」
「まあな。頼んでねえ奴のことだろ」
セナの言葉に頭をぽりぽりとかきながら応える。問題だってのはわかるがこればっかりは俺たちではどうしようもねえんだよな。
一応今日から始まった出前なんだが、頼んだのは全体の6割ってところだ。といってもこの数値は度胸試し的な雰囲気もありつつ、全員が頼んだ鍛冶の製鉄会社の奴らを入れた割合だ。他の生産者たちに限定しちまうと頼んだのは2割ってところなんだよな。
まあ気持ちはわからなくもねえんだ。そりゃ誰が作ったのかわからない、しかもダンジョン側から提供される食事を警戒するのも仕方ねえとは思う。ククの作った料理なんだから味も栄養も抜群って言っても、それがわかるのは俺たちだけだしな。
でも自衛隊とか警官とかがお茶会の会場で食事をとっているし、前例があるんだからもう少し頼むかとも思ったんだけどな。俺が思った以上に生産系の職人たちの警戒心は強かったみたいだ。
1度でも食べてくれればリピーターになること請け合いだし、実際今日食べた奴らは明日以降も注文してくれると確信できるほどの手ごたえはある。だけど最初の1歩を踏み出させるって難しそうだよな。食べたくない奴に無理やり食べさせても意味がねえしな。
「まあ地道に増やすしかないんじゃねえか? 食べた奴から感想を聞いて興味を惹かれる奴もいるだろうし。それにこれは待遇改善の一環で、いわば福利厚生みたいなもんだしな」
おっ、なんか適当に思いつくまま話していたんだが、福利厚生って考えがピッタリなんじゃねえか。使いたい奴は使えば良いし、別に使いたくねえ奴はそのまま放置すればいい。俺たちとしてもどうしても食べさせたいって考えるんじゃなくて、機会を与えてるだけって考えればこれ以上何かする必要もねえしな。よし、福利厚生って事に決定だ。
うんうん、と頷いている俺に向かって、セナがじとっとした目を向けている。んっ、何かあったのか?
「何を言っているんだ。それは大して問題ではないだろう」
「んっ、セナの言う問題って違うのか? 他に何か問題があるようには思えなかったが」
「大違いだ。重要も重要、アメリカ空軍史におけるウィリアム・ミッチェルほど重要だぞ」
「誰だよ、そいつ……いや、説明はとりあえずいいからな。まずはその問題の解決が先だ」
喜々とした顔で説明を始めようとしたセナの気配を感じて、先手を打っておく。いや、明らかに残念そうな顔をしているが絶対ダンジョンに関係ないやつだろ。そもそも空軍なんてダンジョン内には入ってこねえだろうし。
そんなことよりセナの言う問題の方が気になる。特に焦っているような感じはしねえから致命的な見落としとかじゃねえとは思うんだが。決して全く興味のない軍関係の話を聞きたくないって訳じゃないぞ。
セナをじっと見つめると、気を取り直したのかセナがこちらを向いて真剣な表情でうなずいた。
「私おすすめのせんべい定食が注文されなかったのだ!」
「……はい、解散」
「なぜだ! せんべいマイスターである私監修の選りすぐりの一品ばかりなのだぞ!」
いや、そんな勢いよく断言されても理由は明らかだしな。と言うかいつの間にせんべいマイスターなんてもんになったんだよ。
「せんべいは飯じゃねえし。そもそもなんで定食にしてんだよ。というか散々重要って言った問題がそれかよ」
「フッ、せんべいの原材料は米や小麦だ。ご飯の代わりにならないとは浅はかだな。それにこの問題の重要性がわからないとは、ウィリアム・ミッチェルへの理解が足らないからだ。よし、教えてやろう。ウィリアム・ミッチェルは1900年代初頭のアメリカ陸軍において当時最年少の23歳で大尉になると言うほどの逸材でな……」
「いや、教えてもらわなくて大丈夫だ」
「海軍を徹底的にこき下ろしたり、上層部の反感を買って左遷されたり、軍法会議にかけられたり……」
「やべえ、別の意味で興味が出てきちまいそうだ」
「そうだろう、そうだろう。では続けるぞ」
得意げに話すセナの顔を見ているとこの話は長くなりそうだ。まぁちょっと興味も湧いたしたまには良いかもな。問題も大したもんじゃなかったし。
苦笑いしながら聞く態勢に入ろうとして、ちらっとモニターへと視線をやるとなぜか凛が難しい顔をしているのが見えた。特に何かがあったわけでもなさそうだが……あぁ、昼の休憩もそこそこにもう職人モードに戻ったのか。真面目な奴だ。
そんなことを少し思いつつ、俺は突っ込みどころ満載の予感がするセナの話へと耳を傾け始めたのだった。
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