第151話 衣装人形の祖
前話の捧げられた人形の名称を直しました。内容に変更はありません。間違いとは言えないのですが平田郷陽様に敬意を込めて。
市松人形→衣装人形
どこか夢見心地のまま、衣装人形を傷つけないようにだけ最大限の注意を払ってコアルームへと戻ると、既にモニターには杉浦たちの姿はなかった。セナが暇そうにしながらこちらを向いて座っていたことを考えると、きっと俺のことを待っていてくれたんだろう。そんなに長い時間離れていた訳じゃねえと思うんだが、あんま時間の感覚がねえんだよな。
少し申し訳なさを感じつつも慎重にゆっくりと手に持った衣装人形を運び、そして机の上にそっと置く。
「杉浦たちはとっくに帰ったぞ」
「そっか。ありがとな」
「うむ。存分に感謝すると良い。ついでに私が食べたことのないせんべいを献上するが良い」
「いや、それ難易度高すぎだろ」
ちょっと茶化しながら返してくるセナの言葉に少しだけ心が軽くなる。こういうところがセナの良いところだよな。さりげない気遣いって言うのか?
ダンジョンから出ることが出来ないんだから、セナが手に入れられないせんべいを俺が手に入れることなんて不可能だ。セナだってそんなこと十分にわかりきっているのにそんなことを言うのは、俺に気を……あれっ、よく見るとセナの目が真剣なんだが。えっ、もしかしてマジなのか?
ぐるぐると考えが頭を巡ってしまい動きを止めてセナを見つめていると、セナがふっと息を吐き、そしてニヤリと笑みを浮かべた。
「冗談だ、半分な」
「ふぅ。そういうのはやめてくれ……って半分って何だよ!」
「献上品が無ければ透が半分になるということだな」
「怖えよ!」
「ちゃんと右半身か左半身か選ばせてやるぞ」
「半分って縦かよ!」
とんでもない言葉に思わず突っ込みを入れていると、セナがくすくすと笑い始めた。はぁ、本当に心臓に悪い。まっ、こういうやりとりも嫌いじゃねえけど。
しばらく笑い続けていたセナがふぅ、と大きく息を吐き俺をじっと見つめた。空気が変わったことを感じ、俺も少し身を正す。
「用意した素材については杉浦たちが全て回収していった。他の場所の調査は行っていなかったから明日以降かもしれん」
「あれっ、廃坑にも行かなかったのか?」
「そうだな。素材を持ち帰って報告することを優先したのだろう。あの驚き様からして想定より素材の量が多かったのかもな。廃坑に関しては別に逃げるようなものでもないし、他の部屋に関しても使用者が決定してから本格的に使用することになるから明日以降の調査でも問題ないと判断したのだろう」
「あー、言われてみればそうだな」
セナの予想をふんふんと相槌を打ちながら聞く。セナの予想が全部その通りってことは流石にないだろうが、全く見当違いって事もねえだろ。無事、チュートリアルで使用する素材を渡せたってだけでも今日は十分だしな。
今回、生産系のためのチュートリアルを導入するにあたって道具と共に問題になったのは、その素材をどうするのかってことだ。
現状で公開しているフィールド階層は墓地、砂漠、湿地、森林の4か所だ。そこで手に入る素材で何とかなりそうなのは、木工、石工そして裁縫ぐらいか。
石工は何というか引っこ抜いた墓石を加工することになるから倫理的にちょっとアレだけどな。まあ見せかけだけの墓石だから問題ないっちゃあ問題ないし、その辺が割り切れるかどうかって話にはなるんだがな。
一応ここ以外のダンジョンもあるんだし、今まで加工が難しくて放置されていた素材系のドロップアイテムなんかの在庫もあるだろうから多分何とかなるとは思うんだが、下準備がすべてそろってこそチュートリアルって言えるからな。
だから最低限の素材の入手方法は必要だ。その手段としてセナが俺に提案したのが人形を奉納することだった。
日本はしなかったが、海外の軍隊がチュートリアルのクリア条件を満たすために人形を奉納したことは知っている。その前例があるから、人形を奉納すれば素材を得ることが出来るということもすんなりと受け入れられるだろうって考えた訳だ。
毎日、日本の人形を手に入れる手段が得られ、その代わりはフィールド階層で採取したものや、購入した安い素材を提供するだけで済む。自衛隊とかの奴らにとってもメリットはあるし誰も損しないすげえ思いつきだと感動したもんだ。
とは言え、しょっぱなで二代目、平田郷陽の人形を捧げられるのは俺の予想を超えていたけどな。
「まあこちらに関しては明日以降の調査の様子を観察して、修正点が無いか判断するしかないな。それでその人形は何なのだ? 透の様子からして普通の人形ではないのだろう?」
「おう。この人形はな……かの有名な二代目、平田郷陽の作なんだ」
「誰だ? ひらたごーよーとは?」
「平田郷陽だ。OH、NO! の発音で名前を呼ぶんじゃねえよ。すげえ人なんだぞ。大正から昭和にかけて活躍した人形師で、しかも人形師として初の人間国宝に選ばれたんだからな。衣装人形って言う文化を確立させただけじゃなく、その流れが現代の創作人形に与えた影響は計り知れないっていうくらいの……」
「OH、NO。どうやら地雷を踏んだようだ」
セナがなんか言ったような気もしたが、構わず平田郷陽について熱弁をふるっていく。
平田郷陽は本当にすごい人だ。大正時代、人形は芸術とは考えられていなかった。伝統工芸、もしくはおもちゃという分類だった訳だ。
確かにそれはある意味で正しい。それも人形だからな。でもその中に秘められた想いは、卓越した技術は芸術と呼ぶに不足なかった。平田郷陽とその仲間たちは血のにじむような努力と弛まぬ研鑽、そして幾多の苦難を乗り越える不屈の闘志によって巨大な壁であった世間の認識を変え、人形は芸術品の1つであると示してみせたのだ。
あー、やばい。このまま一晩で語り尽くせるか?
例えば郷陽の代表作の1つである「粧ひ」は鏡の前でかんざしを髪に刺す女性の姿の人形なんだが、まるで本当の人間の時を止めてしまったかのようなぞっとする美しさがあるんだ。差す手のしぐさや鏡を見るその表情、少し傾げた首から感じる色気など、その姿はまさに化粧をしている最中の女性そのもの。いやそれ以上と言っても差し支えないだろう。
横浜の人形の家で展示されている実物を見れば、そのすごさは誰にも伝わるはずだ。だが俺の語彙力でその魅力を伝えられるか? 全身が雷に打たれたかのような痺れを表せるのか? いや、無理だ。だが、その片鱗なら……
「とりあえず、その郷陽とやらが偉大な人物であることは認識したから落ち着け」
「んっ、そうか?」
「ああ。十分すぎる程な」
若干ぐったりとした雰囲気を醸しているセナの様子に言葉を止める。確かに今日は一日中リニューアルしたダンジョンを監視していたし、セナも少し疲れているのかもしれん。
一応ある程度のすごさは伝わったようだし、また明日以降にでも続きは話せば良いか。まだまだ話し足らないくらいのテンションではあるんだが、体調を崩したら意味がねえしな。
「つまりこの人形はかなり希少という訳だな」
「まあな。特にこの人形は生き人形にかなり近いから初期、おそらく昭和の初めごろに造られた人形だ。コレクターにとっては垂涎の品だ。ただ……」
「ただ?」
思わず言葉を止めた俺に、セナがこちらを覗き込みながら問いかけてくる。その宝石のような紫の瞳に映った変わり映えのない自分の姿に苦笑しながら、人形へと視線をやる。
「俺にとっては希少か、希少じゃねえかは関係ないんだ。その人形に込められた想いが伝わってくるかどうか。それが一番大切だな」
「透らしいな。非常に感情的な意見だ」
「うっせ。まあ希少な品にそう言うものが多いってのは確かなんだけどな。想いが伝わるからこそ長年愛されるし、手放されない。だから希少になる。おっ、これって結構論理的じゃね?」
「どこがだ」
呆れたような返すセナに向かって「へへっ」と笑う。俺の笑いに誘われたのか、セナがやわらかい笑顔を見せる。まあ何はともあれ、こんな良い人形を奉納してくれたんだ。明日以降もちゃんと素材を用意してやらねえとな。
それにしてもこれからどんな人形との出会いが待っているんだろうな。本当に楽しみだ。
「時に、透」
「んっ、何だ?」
「献上せんべいはまだか? 残念ながらそろそろ透が半分になってしまうのだが……」
チラリと銀色のきらめきを見せながら笑うセナの姿に、人形を倒さないように慎重に、かつ出来る限り素早く立ち上がる。
「ククに頼んでくるわ」
「うむ」
満足そうにセナがうなずいたのを横目に見ながらククの調理場へと向かって歩きはじめる。冗談だとはわかっているが、セナのおかげでこんな素晴らしい出会いがあったんだし、ちょっとしたお使いくらい気にならねえからな。身の危険は少ししか感じなかったし。
ドアを開け、コアルームから出ていく。閉める直前、セナが少女の人形を眺めているのがちらりと俺の視界に映った。背中しか見えなかったが、俺にはなぜかセナが人形を見つめながら笑っているような、そんな気がした。
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