第146話 求められる決断
赤坂にある有名な料亭。そこから1人の男が数人の男たちに守られながら出て来て、傍に停めてあった黒塗りの車へと乗りこむ。そしてその車は静かに発進し、その料亭を後にした。
質の良いシートに背をもたれかけさせながらも、その男の眉間に寄った皺がほぐれることはない。それが常態化してしまっているのだ。男の名は岸 大輔、日本の内閣総理大臣である。
先ほどまで岸がいた料亭では経団連の名誉会長など、重鎮と呼ばれる経済界の有力者たちとの会合が行われていた。癒着など特にやましいことが行われている訳ではない。実際各新聞社やテレビなどにも広報されている言わば恒例の会合であった。
国を成り立たせるためには政治の力だけでは足りない。逆に経済界から見ても政治が適正に行われなければ不利益を被る。切っても切れない関係、それが両者の関係性を表すのに最も適した言葉だろう。
「お疲れ様でした」
「いや、必要なことだ。ダンジョンの出現で問題が山積していようともな」
ねぎらいの言葉をかける秘書から視線を外して岸はしばらく目を閉じ、その眉間の皺をもみほぐしながら目を開けた。そして隣へと座る秘書へと再び視線をやる。それが合図だったようで、秘書がカバンから取り出した資料をぺらりとめくった。
「つい先ほど入った報告によると本日は1名の負傷した外国籍の男を保護、その後銃刀法違反により逮捕となったそうです」
「またか、これで何人目だ?」
「逮捕者で言うと合計5名です。未然にこちらで防ぐことのできたものを含めると20名を超えます」
淡々と続ける秘書の言葉に、もみほぐしたはずの岸の眉間の皺が元以上に深くなる。
今、秘書が告げた人数は簡単に言ってしまえば自衛隊の協力者でダンジョンから優者の称号を得た瑞和へと接触を試みた不審者の人数だった。それは穏便な方法から今回のような物騒なものもある。
「事情の説明と協力要請についてはしたはずだな」
「はい。瑞和さんが協力的であるのが救いですが、しばらくは警戒が必要かと」
「そうだな。彼の自由を奪ってしまう形になるが、本来ならSPをつけたいところだ。意味があるかはわからんがな」
岸がそう言い、遠い目をしながら長いため息を吐く。
総理である岸には日々、様々な面倒ごとの報告がやってくるのではあるが、その中でも最近になって頻発しているのが瑞和への海外勢力からのあらゆる意味での接触だった。その契機となっているのは自衛隊と警察の混合部隊による『闘者の遊技場』の踏破だということに疑いようはなかった。実際その2、3日後から不審者たちの活動が活発になったのだから。
「情報が漏れた要因の究明は?」
「鋭意調査中とのことです」
「さすがに簡単にしっぽは掴ませてくれんか」
これまで何度も聞いた秘書の回答に渋い顔をしながら岸が額を掻く。瑞和が狙われるようになったことから言って、新しいチュートリアルに入ることが出来るのは称号を保持している国のみという情報が漏れたことは明らかだ。
未だ実装されていないためその実情はわからないが、これまでの実績から考えてもこれからのダンジョン攻略に際して有用なチュートリアルであることは疑いようがない。
だからこそ各国は動いたのだ。多くの国は金や女などを使って自国へ瑞和を引き抜こうとした。称号を持つ者が他国へと渡ってしまうことに問題が無いわけではないが、それだけであるならばここまで大きな問題にはならなかった。引き抜きと言う理由からして瑞和に危険が及ぶ可能性は低いからだ。
しかし実際は違う。現在、優者という称号を持つ瑞和がいなくなれば新たな優者が産まれる可能性があるのではないかと考えたり、または単純に日本がこれ以上力をつけることを阻止するために瑞和を暗殺しようと考える国もあったからだ。
「彼には改めて謝意を伝えておいてくれ」
「はい。SPをつけることも再度打診しておきますか?」
「そうだな……いや、やめておこう。小さな虎の尾をわざわざ踏む必要はない。現状通り刺激しない距離を保ちながら出来うる限り防いでくれ。関係者に関しても警戒を緩めないように」
「わかりました」
秘書からの提案に1度はうなずきかけた岸だったが、すぐに思い直して首を横に振った。
実際、これらの問題が報告された初期の段階でSPをつけるように打診はしており、短い期間ではあったがSPをつけていたこともあったのだ。しかしそれはすぐに取りやめになってしまった。
その原因は瑞和と共にいつもいるリアと呼ばれる人形のモンスターのせいだった。
リアがSPに直接手を出したり、脅したなどと言う訳ではない。しかしSPとして1日中瑞和の護衛につくことの出来る者がいなかったのだ。
もちろん護衛についたのはただのSPではなくダンジョンで鍛えた精鋭であったのだが、「まるで獰猛な虎の檻の中にずっと入れられているようだった」と憔悴した顔で言ったという。それ以降適度な距離を保ちながら護衛を行うという方針に切り替えたのだ。
距離があるため完全には防ぐことは出来ないが、リアの護衛を抜けるような者ならばSPがいたとしても意味がない。何より味方であるはずのリアに牙をむかれるなど愚の骨頂だという判断がなされたのだ。
そしてその判断が正しかったと示すように、リアから周囲に放たれる威圧感も徐々に薄らいできているという報告も行われていた。瑞和に襲い掛かろうとする者には相変わらず容赦なく対応をしているが、少なくともその牙が日本へと向けられることは回避出来そうだった。それを考えればSPをつけるという打診を行うべきではないという判断は至極まっとうなものだと言える。
また瑞和の関係者が人質になる可能性があるための警戒も行われているが、こちらは幸いにして瑞和の交友関係が希薄であった事もあり、大した手間にはなっていない。本人にとって、人脈がないことが良いことかどうかはわからないが。
山王下の交差点で止まっていた車が、青に変わった信号を確認してゆっくりと走り出す。そのゆったりとした加速に身を任せながら、見慣れた外の景色へと岸が視線を向けた。神社の鳥居、そしてそれに続く並木道。その向こうには地上44階もある高層ビルがそびえ建っている。それは岸が国会議員に当選した20年近く前から変わらぬ光景だ。
しかしここからほんの数分車を走らせれば、そこには世界の常識を大きく変えたダンジョンの出現と言う事態の象徴とも言えるチュートリアルダンジョンへの入り口が存在しているのだ。
岸が小さく苦笑する。それが何に対してであるかは岸自身にもよくわかっていなかったが。
車は順調に進んでいき、そして到着した先は総理大臣官邸であった。ダンジョンが発生して以降、岸は私邸へと戻らず官邸へと泊まり込むことが増えていた。それだけダンジョンの対応に追われているのだ。
そして今日もまた、岸が私邸へと戻ることはない。官邸へと入りエレベーターに乗って執務室へと向かうその背中には、日本と言う国を背負っているという気概が見て取れた。
「候補者のリストはそろそろ出揃ったか?」
「もう少々です。候補者を選ぶ推薦人の方々はご高齢の方も多く、気難しい方もいらっしゃるので時間がかかっております」
「期限まであと3日あるが、なるべく急がせてくれ」
「わかりました」
そんな会話を交わしながら、2人は総理執務室の扉の奥へとその姿を消したのだった。
お読みいただきありがとうございます。
この章より投稿時間を隔日午後8時半ごろに変更させていただきます。私事で定期的な昼の投稿が難しくなったのでどうせなら気分を変えようと思った次第です。
一日早く投稿していますので今まで通りのスケジュールで見ていただければ最新話が投稿されているはずです。よろしくお願いいたします。
そんな変化はありますが、変わらず地道にコツコツ更新していきますのでお付き合い下さい。
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