第144話 ロシアの堕ちた英雄
機械、生還者、亡霊、死神、その他様々な名で敵味方から呼ばれた者がかつてロシア軍にはいた。その功績は他の追随を許さず、どんな困難な任務でさえその者であれば達成できるのではないかと思わせるほどのものだった。
その名が歴史の表舞台に出ることはない。しかしロシア軍内部においては知らぬ者のいなかった男の名はイワン・トロヤノフスキーと言う。
そんな彼についた最も新しい名は……「裏切り者」と言う不名誉なものだった。
イワンはごく普通の家庭に生まれた。寡黙な父は工場で働いており、母はパートとして働きながらも明るく家庭を切り盛りしていた。両親はイワンに愛情をもって接し、またイワンもそんな両親を愛していた。
ただ少し普通の家庭と違っていたのは、イワンが優秀すぎたと言うことだけだ。
そう、イワンは優秀すぎた。勉学は元より、運動、思考力や判断力など、どれをとっても同学年とは比較にならないほどに。その成績表に芸術分野を除けば、最高評価である5以外の数字が並ぶことが義務教育であるシュコーラの基礎普通教育までの9年間、一度もなかったことからもそれがうかがえる。
そんなイワンの事を両親は誇りに思っていたが、イワンにとって学校生活は退屈なものだった。
わかり切った内容を延々と説明する教師、そしてそれをなかなか理解できないクラスメイト。
彼らのことが嫌いという訳でもないし、見下していた訳でもない。だが無駄な時間を浪費しているという虚無感は、イワンの心の中で日々膨らんでいった。
そんな時だった。ある日の夕方、帰宅しようとしたイワンを政府の役人が訪ねてきたのは。そして「君にふさわしい学び舎に行く気はないか?」というその役人の申し出に、イワンは笑みを浮かべ躊躇することなく首を縦に振った。
両親を自ら説得して親元を離れ、役人の言うふさわしい学び舎である軍学校の特別クラスへと編入したイワンの生活は一変した。そこにいたのはイワンと同じようにロシア中から選ばれた逸材たちのみ。そして教師たちもそれにふさわしい人材だった。
イワンはその中でさえ飛びぬけた成績を修めた。しかしそれでもイワンは以前のように退屈をすることはなかった。全体の成績ではイワンに敵わないものの、ある分野ではイワンを超える突出した才能を持つクラスメイトがごろごろとしていたからだ。
そんな彼らと共に切磋琢磨しながら軍学校で過ごし、そして首席で卒業をしたイワンはそのまま軍へと所属することになった。
その後の彼の活躍はロシア軍中に彼の名が知れ渡るほどのものだった。いくつもの戦地へと向かい、そして秘密裏の任務において仲間も力尽き、援軍もなく、生存を絶望視された死地からも生還を果たした。
その貢献に授かった勲章は数しれず、年齢を重ね40を過ぎてなお、気力、体力ともに尽きることは無かった。
皆から尊敬を集めながらも、本人はその栄誉を誇ることなく黙々と任務をこなしていく。
彼こそが本当の軍人、ロシアの英雄というその評価が変わることなど無いはずだった。
ダンジョンが現れるその時までは。
他国のダンジョンの秘密裏の調査と言う任務をこなし、久しぶりに祖国へと戻って来たイワンが覚えたのは、懐かしさではなく違和感だった。ダンジョンと言う非常識な存在が現れてもなお、ロシアは変わらなかった。いや、少なくともイワンが任務で国を出るまでは変わってはいなかった。
しかし今その姿は大きく変わっていた。以前であれば訓練や勉学に励んでいた軍学校の学生たちは教師の指導のもとダンジョンへと向かうようになり、軍も同じくダンジョンを積極的に攻略するようになっていた。
彼らが求めるのはダンジョンから得ることのできるスキルだった。イワンもスキルの有効性については理解していた。そしてその強大さも。
だからこそイワンは少なくとも学生については勉学を優先させるように上層部へと掛け合った。自らの経験から軍学校で学ぶことの重要性を十分に理解していたからだ。
しかしその提案が認められることはなかった。それでもなお食い下がり主張を続けたイワンは、次第に上層部から疎まれるようになっていった。
英雄とも言えるイワンの発言力は小さくない。彼が声を上げ続ければ少なくない賛同者が現れることは明白だった。だからこそイワンは日本のダンジョンへと向かうことを命じられた。いわゆる厄介払いと言うやつだ。
その命令が彼の人生を大きく変えることになるとは、イワン自身を含めて、この時は誰も思わなかっただろう。
派遣された日本のダンジョンで、どこか浮ついたように感じられる仲間に囲まれながらイワンは1人の兵士として任務についていた。
周りの仲間たちは皆若く、そして全員がスキルを保持していた。初めて入るダンジョンであるのに緊張感の欠けた、本来ならありえないその仲間たちの様子にイワンは現在の方針の危険性を改めて認識する。
とは言え今回に関してはただの一兵卒に過ぎないイワンは何も言わずにダンジョンを進み、そしてあっさりと殺された。
仲間のロシア兵が次々と殺されていく中、イワンは最後まで戦い続けた。死にものぐるいで生き残ろうとしたが、最後の1人となり敵に囲まれたイワンは、結局なす術なく四方八方から体を貫かれて地面に倒れた。
血だまりに体を横たえながらイワンの頭へとよぎったのは痛みや死への恐怖ではなく、死んだ戦友たちの姿だった。
確かにイワンはどんな死地からも生還してきた。しかしそれを成したのはイワンだけの実力ではない。最も生還する可能性が高いであろうイワンを生かすために、死んでいった仲間たちがいたのだ。その中には共に高め合いながら学んだ軍学校のクラスメイトもいた。
その死を乗り越えられたのは、祖国への忠誠心ゆえだ。彼らの死は無駄ではなく、その先により良き未来が待っていると信じられたからだ。
だが今、自ら死の淵に瀕しているイワンには、今のロシアの行く先が明るいとは思えなかった。死んでいった友たちのようにどこか満足げな表情など浮かべることは、イワンには出来なかった。
その後、人形を造るという罰を生き返ったイワンたちは受けることになった。不満を洩らす他の者には構いもせず、イワンは黙々とその作業を続けた。
出来上がる人形はとても上手いと言えるようなものではない。芸術に関してはシュコーラの成績でもぎりぎり合格の3の評価だったし、それにしても学科の成績が良かったおかげだ。芸術的なセンスがイワンには欠落していた。
だがそれでもイワンは手を止めなかった。死んでいった友たちを想い、それを人形に重ねていく。まるで胸に抱く疑問の答えを求めるかのように。しかし当然ながらその不出来な人形が答えることなどありえなかった。
1万体の人形の奉納を終え、1日の休みの後に再びダンジョンへと入ったイワンたちの目の前には驚きの光景が広がっていた。見覚えのある小さな兵士の人形たちがダンジョンの入り口の部屋で彼らを待ち構えていたのだ。そしてその場所にはロシア語の看板が設置されていた。
『この人形たちをフィールド階層への通行許可の証とする、とのことだ。うおっ!』
先頭の男が看板の文字を読み上げたと同時に小さな兵士たちが動き出し、1人1人のロシア兵の元へと向かうとその服を器用によじ登っていった。
1人につき1体の人形たちが、ある者はポケットに、ある者は背負ったリュックへと入る姿を視界の端に捉えながら、イワンは少々混乱していた。
イワンの目の前には5体の人形が並んでいた。他の人形たちと比べても明らかに完成度が低いことからもわかるようにイワンの造った人形たちだ。彼らは服をよじ登ることなくじっとイワンを見つめている。
「ニコライ、ムラト、アルチョム、ルスラン、イゴール」
イワンが名を呼ぶ。それに反応するかのように人形たちが敬礼して返した。その端々にイワンの記憶に残る彼ら自身の癖を見せながら。
よくわからない感情が浮かぼうとするのを何とか抑え、彼らをリュックへと入れたイワンはフィールド階層の探索へと向かった。
そして死んだ友たちの面影の残る人形たちと共に過ごしたダンジョンの探索の末にイワンはある決意をし、さらに上層部から疎まれ、ロシアへと帰国することもおぼつかなくなる。
そんな時、イワンはそのダンジョンで運命的な出会いをする。それがイワンの運命をさらに大きく変えることになるのは、しばらく先の話だ。
一方、中国軍は……
『くそっ、なんだこの人形たちは!』
『馬鹿野郎、壊したらフィールド階層に入れなくなるんだぞ。我慢しろ!』
ロシア軍と同じように作成した人形を同行させたものの、奉納後、攻略のために人形を造った者と入れ替わりでやって来た中国軍の兵士たちはその人形たちにフィールド階層の探索を散々邪魔されることになっていた。
そんな様子をモニターで眺めていたセナが感心したように透へと声をかける。
「なかなか冴えているな。自分で造った人形でなければこうなると知れば一定の抑止になるかもしれん」
「お、おう。そうだな」
そんな返事をしながら透はこっそりと額から汗を流していた。満足げなセナには悪いが透自身にそんな意図は全くなく、普通に〈人形創造〉しただけだったからだ。
(人形を無理やり造らされた職人たちの恨みでも籠もってたのかもな)
そんなことを考えながら、透は差し出されたせんべいへと手を伸ばすのだった。
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