第143話 リアのおもい
地下へと続く空洞の周りを囲む分厚いコンクリートの壁、そのすぐ外に建てられた簡易なプレハブの建物から数人の男女が出てくる。皆一様に緊張から解き放たれた緩んだ表情をしており、気の早いものは軽く挨拶を済ませて近くに停めてあった自分の車へと歩み始めていた。
ここは茨城県の山中にある自衛隊が現在攻略最中のダンジョンで、彼らは先程までそのダンジョンの探索を行っていた者たちだ。そしてその中には瑞和の姿もあった。
「お疲れ様でした」
「は、はい。お疲れ様でした。それでは失礼します」
「あっ、ちょっと待ってください」
ぺこりと頭を下げて帰ろうとする瑞和へ、1人のボーイッシュな女性自衛官が声をかける。
「瑞和さんはすぐに帰られますか? 時間があるなら皆でご飯でも食べに行こうかと話していたんですけど……一緒に行きませんか?」
「ええっと」
可愛らしく笑みを浮かべた女性の誘いに、少し視線を逸らしながら瑞和が言葉を詰まらせる。ダンジョンに入っている時には気を張っているので平気なのだが、その緊張感が解けてしまうと痴漢の冤罪と言う過去の体験のせいもあり、瑞和はどうしても女性に対して身構えてしまうのだ。
とは言えそれはだいぶ薄れてきており、本当の主な原因は単に瑞和の女性経験が不足しているに過ぎないのだが。
女性慣れしていないことが丸わかりの反応にこっそり笑みを浮かべながら、後ろで髪をまとめた別の女性自衛官が瑞和の手を取る。途端、瑞和の顔が赤く染まった。そのことに笑みを強めながら覗き込むようにしてその女性が話しかける。
「たまにはいいじゃないですか。親睦を深めるのも必要ですよ」
「えっと、それじゃあ……」
「ダメ。瑞和は疲れてる。それに私の服を買いに行く約束してる」
同意の返事をしかけた瑞和の言葉を遮り、瑞和のパーカーのフードから顔を出したリアがきっぱりと誘いを拒否する。
「あっ、そうだったね。ごめんリア、忘れてたよ。すみません。そういうことなのでまたの機会に。ではお疲れ様でした」
「お疲れ」
どことなくホッとした表情でそう言ってやんわりと手を解き、ぺこりと頭を下げて去っていく瑞和の姿を女性自衛官たちが眺める。
「うーん。失敗かぁ」
「女慣れしてないっぽいしね。まっ、そこが良いところでもあるんだけど」
「私たちを女扱いしてくれるしね。でも道は長そうだなぁ」
そんなことを言い合いながら2人が苦笑する。もちろん女扱いされない理由は、彼女たちの容姿が優れていないからというわけではない。
ダンジョンの探索後ということもあり、そこまで時間をかけてはいないがうっすらとメイクをしたその顔は異性を惹きつけるのに十分なほど整っているし、自衛官として鍛えられたとは言えその体つきは女性特有の柔らかさを保っている。
外見上は全く問題ない。しかし彼女たちがしている仕事が問題だった。
自衛官でしかもダンジョン探索をしていると聞いた男性のリアクションは、彼女たちが今まで経験したものを大別すると2種類。引くか面白がるかだった。恋人候補から外れるという点だけ見ればどちらも同じようなものである。
だからこそダンジョンで共に戦い、それでもなお自分たちを女性扱いしてくれる瑞和に対して2人は淡い気持ちを持っていたのだ。ちなみにダンジョンの探索には男性の自衛官もいるわけであるが、2人の共通認識としては論外の一言であった。
「もうちょっと簡単なことから始める?」
「簡単って?」
「プレハブでちょっとお茶を飲みながら話すとか」
「ダンジョンの中で食事をするのと変わらなくない?」
「うーん、でも他に方法が……」
ある意味ではライバルと言える関係であるが、まずは瑞和の異性への壁を取り除く、という目的のために共同戦線を張った2人の今後の計画についての話し合いは続いていた。
一方、2人がそんな話をしているとは思いもしていない瑞和は、自分の自動車へと乗り込みエンジンをかける。その音に2人が気づき、視線を改めて瑞和へと向けようとしたその時だった。
「「っ!!」」
そんな声にならない声を2人はあげながら戦闘態勢を取る。ダンジョンで鍛え上げられた直感が安全なはずの地上で警鐘をガンガンと鳴らしていたのだ。
2人は注意深く周囲を見回していく。しかしそこには当然ながらモンスターなどおらず、危険な要素などどこにも見当たらなかった。
「何、今の?」
「気のせいじゃ……ないよね」
顔を見合わせた2人が不思議そうに首をかしげる。そして小さくなっていく車の音に同時に気づきそちらへと向き直った。既に車は駐車場の出口付近であり、運転する瑞和の姿を見ることは出来ない。
瑞和が見ているかわからないながらも2人は手を振った。こういう小さなアピールを続ける効果を知っているからだ。そして後部のガラスごしに2人を見ていたリアが手を振り返すのを見送り、車が見えなくなったところで彼女たちは小さく苦笑するのだった。
2時間ほどかけて東京へと戻ってきた瑞和が向かった先は、かろうじて東京都内の実家ではなく秋葉原だった。秋葉原駅から徒歩7分ほどの立体駐車場に生まれて初めて買った中古の軽自動車を停めた瑞和が、駅方面に向かって歩き始める。
時刻は午後1時過ぎ。平日のこんな時間だというのに相変わらず人通りが途切れることはない。実家の辺りとは大違いだ、そんなことを考えながら瑞和は歩いていた。
「リア、大人しくしていてね」
「うん。わかってる。でも楽しみ」
「そうだね。僕も秋葉原は久しぶりだし楽しみだな。でも人形の服ってどの辺りにあるんだろう?」
「ラヂヲ会館にあるって聞いた。他にもあるらしいけど」
「へー。じゃあとりあえず行こっか」
こそこそと小さな声でフードの中のリアと会話を交わしながら瑞和が進んでいく。その表情はダンジョンを探索していた時とは全く違い、自然な笑みが浮かんでいた。ダンジョン探索を終えたばかりという疲れも全く感じさせないそんな笑みだった。
誰の目から見ても平和な光景だ。人形に話かけているのは普通かはわからないが秋葉原なら問題ない。
そんな2人が通り過ぎたしばらく後、同じ道をメッセンジャーバッグを背負い、髪を茶に染めた男とその恋人らしき金髪の女がぴったりと体を寄せ合いながら歩いていた。
仲睦まじそうにお互いを見つめる2人の視線の端に必ず瑞和の姿が入っていることを知るのは当人たち以外誰もいない。
ラヂヲ会館に入っていた人形店を巡ったが、リアにぴったりと合う服がなかったので、瑞和は店の人に教えてもらった別の人形店へと向かっていた。そこは人形用の小物などを主に扱う店であり、人形用の服のオーダーメイドもしているとのことだった。
リアの服を買うことは出来なかったが、自分の趣味の本やゲームなどの戦利品の入った袋をいくつか提げつつ上機嫌で瑞和が歩いていく。
以前、引きこもりであった時は収入もなく貯金を食いつぶす状態だったため節約せざるを得なかった瑞和であるが、現在は国との契約により普通のサラリーマンの3倍に近い年俸と、それに加えてダンジョン探索の成果報酬も支払われている。
迷惑をかけた両親に恩返しとして毎月お金を渡しているし、税金や所得申告のための税理士費用など色々とお金を使うことも増えた。しかしそれでも無収入だった時と比べれば財布も心も余裕が違う。
ただそれでも大々的に使うことを考えないのが瑞和らしさと言えた。
「えっと、ここを曲がって……こっちだよな」
書いてもらった地図を見ながら路地を瑞和が進んでいく。いつの間にか細い路地へと入ってしまい、人通りもなくなっていった。しかし地図通りに進むことに集中している瑞和がそれに気づくことはない。
そして2人の男女がだんだんと距離を詰めていることにも気づくことはなかった。
「周囲に障害のないことを確認」
「決行する」
瑞和と2人の男女の距離が10メートルほどになり、そう呟いた2人から先程までの仲睦まじい雰囲気が消える。瑞和を見つめる4つの瞳は暗く、そして冷たい。
不自然でない程度に歩む速度を2人が速め、瑞和との距離が5メートルにまで近づいた。男が軽く手を振るとその袖から銀色のきらめきが姿を現す。そしてそれは女の手にも握られていた。
未だに地図を眺める瑞和が気づく様子はない。2人が作戦の成功を確信したその時だった。
「ぐっ!」
男と女のナイフを持っていた手が折れ、その痛みを感じた瞬間にあご下に衝撃を受け、2人は意識をもうろうとさせる。薄れゆく意識の中、2人の視界にはおぼろげに小さな人影が写っていた。
「邪魔しないで。あなたたちみたいなのもあの女狐たちもみんないなくなればいいのに。でも私が人を殺したら瑞和がきっと悲しむから殺さないであげる。優しい瑞和。大好きな瑞和。瑞和には私だけがいればいいの。私たちはずっと一緒。ずっとラブラブ。ふふっ、ふふふふっ」
ささやくような声なのになぜか2人にはそれがはっきりと聞こえた。それは訓練によって感情を制御することに慣れた2人の心に抗しきれないほどの恐怖心を抱かせた。
そしてその恐怖心に抱かれながら2人は意識を完全に失った。
結局向かった先の店でも店内で売っている服にはリアに合うものはなく、女性店員とのやりとりにわたわたしながら瑞和はオーダーメイドの服を注文し終えた。受け取り出来るのが1か月後ということに若干瑞和が驚いたりということはあったが、それ以外は特に問題なかった。
夕日に暮れる秋葉原の街を、紙袋を両手に瑞和が駐車場へと歩いていく。
「ごめんね。すぐに出来るとばかり思ってた」
「大丈夫だよ。待ってる間も楽しみ」
「あれっ、でも服を買っても着れないんじゃなかったっけ?」
「うん。でも着られるようになるから大丈夫。瑞和が選んでくれた服を着たいから」
「そっか。喜んでもらえたようで良かったよ」
夕日に染まった瑞和の顔がにっこりと笑みをつくる。その様子を眺めながら幸せそうな笑顔をリアは浮かべていた。
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