第141話 ダンジョン対策部長の苦労
「という訳で報告は以上ですー」
「わかった。自衛隊にも既に伝えているとは思うができるだけ早く報告書を作成してくれ。加藤や磯崎に手伝ってもらうと良い」
「わかりましたー」
自分の仕事は終わったとばかりに気楽そうな顔をしながら出て行った桃山を見送り、1人部屋に残った神谷が椅子の背もたれに体重を預けながら大きく息を吐く。
ダンジョン出現前よりも白髪が少し増え、眉間に刻まれたしわも少々深くなったその姿は、神谷のこれまでの苦労をうかがわせた。
神谷が現在いるのは警視庁に新たに創設されたダンジョン対策部の部長室だ。ダンジョンの対策に最初期から関わり、その陣頭指揮を執ってきた神谷は40代という異例の若さでダンジョン対策部の長に抜擢されていた。階級も1つ上がり、現在は警視長となっている。
ダンジョン対策班から正式に部として発足した訳ではあるが、その過程での苦労は言うまでもない。なにせ何もかもが初めてのことであり、前例に従って判断をするということが出来ないのだ。しかしダンジョンの性質上、その判断が遅れればそれだけ手遅れになる可能性も高いため即断即決を迫られ、そしてその責任は非常に重い。
神谷がダンジョン対策部の長として選ばれたのは、そういったことがわかりきっていたために他の候補者が尻込みしたという側面もあった。
「今回は様子見で終わると思っていたのだがな」
眉間のしわを揉みほぐしながら神谷が誰ともなしに呟く。
今回の自衛隊との『闘者の遊技場』の合同攻略は今後の攻略の試金石と言う意味合いが多分に含まれたものだった。
海外から提供された装備を身にまとうことで、今まで発動すら満足にできなかった各人のスキルの効果を第一目標を相手に確認すること。またそれがうまくいった場合は、どの範囲までの連戦が認められるのか、対象の回復は行われるのか等の情報を得る。それが大きな目的だったのだ。
もちろん負けるつもりで戦うというわけではない。しかし今回の作戦の必須事項に装備品の回収という項目が含まれていることが、今回のみで攻略が終わらないということを如実に表していた。神谷を含めた上層部だけでなく、それは桃山を含めた攻略する者たちにとっても共通の理解だった。
本気で今回で攻略できると考えていた者は誰ひとりとしていないといっても過言ではなかったのだ。しかし攻略した。出来てしまった。それが神谷には腑に落ちなかった。
「第一目標については倒せる可能性は0ではないと思っていたのだが、その後がいないとはな」
普段から桃山の『闘者の遊技場』での戦いの報告を聞いていた神谷には、今まで壁となっていたクレーンの腕を持った人形については少なからず対抗できるのではないかと予想をしていた。「もっと武器が良ければいい勝負が出来そうなんですけどねー」と言う桃山の愚痴を何度も聞かされていたからだ。
こと、戦いにおいて神谷は桃山のことを全面的に信頼している。だからこそ新しい武器で、しかも連戦の後であれば可能性はあると考えていたのだ。
別に『闘者の遊技場』を攻略したことは悪いことではない。そんなことを考えつつ神谷は自分のテーブルの上に置かれた6つのスクロールと1本の棒、そして桃山が撮影してきた映像の一部を複製したDVDを眺める。
DVDの中にはダンジョンの案内人である、あの小さな少女の人形からのメッセージが入っていた。実際の映像はまだ見ていないが、桃山からの報告でその内容について神谷は把握している。見る必要はあまりない。
しかし神谷はそのDVDを机の上のノートパソコンへと入れた。ノートパソコンが唸りを上げ、ウインドウが立ち上がり、そして映像が再生される。
画面の中央に案内人のデフォルメされた軍服少女の人形が不敵な笑顔を浮かべながら立ち、その透き通った紫色の瞳がこちらを見つめていた。
「闘者の称号獲得おめでとう。まさかここまで早く『闘者の遊技場』を攻略するとは考えていなかった。まさに闘者にふさわしい戦いだった」
人形が笑みを浮かべ、そしてパチパチとその小さな手で拍手をする。はぁ、と聞き覚えのあるため息が聞こえてきたことに、若干こめかみに青筋を立てながら神谷は映像を見続ける。
「闘者の称号を得た者に話はしたが、前回に習って映像で内容を伝えることにした。『闘者の遊技場』の今後についても伝えなければならないしな」
少女の人形が一本指を立てる。
「まず1つ。『闘者の遊技場』はなくならない。今後も挑戦をすることは可能だし、攻略した者には闘者の称号を与える。ただし攻略するごとに難易度は上がっていくので覚悟しておくことだ」
「楽しみだねー」
「そうだな。新たな闘者の誕生を期待する。そして2つ目だ」
呑気な声をバッサリと切り捨て、人形が2本目の指を立てる。それに合わせるように神谷の眉間のしわが2本増え、重苦しい空気が辺りに漂いだす。その原因は人形の言葉のせいではない。
「闘者の称号を得た者の選択により、1階層の階段そばの小部屋から新たな階層への通路が開放される予定だ。ただしそこを下りられるのは称号を持つ者のいる国のみ。つまり現在では日本のみということになる」
「あれっ、そんな選択しましたっけー?」
「自らを強くするスキルは必要か聞いたときに、必要ないと答えただろう」
「あー、あれですか。だって自分で鍛えれば良いんですから必要ないですよねー。魔法はちょっと憧れますけど、戦いに使うのは面倒ですしー」
何も考えていなさそうな声がする、案内人とのやり取りに、神谷が片手を頭にやり、こめかみを強く押さえて顔をしかめる。思わず目を閉じそうになったことに気づいた神谷が首を振り、視線を画面へと戻した。
画面の中で少女の人形が自分と同じような顔をしていることに、神谷が苦笑いを浮かべる。少なくともこの人形の方が桃山よりも常識的だなと考え、人形が話していること自体が非常識であるという自分の考えの矛盾に気づき、神谷は小さく笑った。
そしてそれが合図だったかのように少女の人形が3本目の指を立てていく。
「3つ目は闘者の称号の報酬についてだな。闘者の選択により、与えられるスキルスクロールは6つ。それぞれ鍛冶、裁縫、木工、革工、石工、鑑定となっている。それぞれのスキルについては後述するが、これらのスキル、そして新たなチュートリアルを有効に使い、闘者にふさわしい装備を用意することだ。それでは各スキルの……」
コンコンコン
ノックされたドアの音に、神谷が慌てることもなく映像の再生を止めてノートパソコンを閉じる。
「どうぞ」
「失礼します。コーヒーをお持ちしました。たぶん疲れていらっしゃると思ったので」
「すまんな、磯崎。お前も疲れているだろうに」
「いえ。実はコーヒーを持っていくと言って、桃山さんの相手を加藤さんに任せて来ただけですのでお気になさらず」
カップを持っていない方の手で緩く敬礼をする磯崎の態度に神谷が笑みを浮かべ、そしてコーヒーを受け取る。白く湯気の立つコーヒーの香りを嗅ぎ、少しだけ口をつけた神谷がその疲れを吐き出すかのように大きく溜息を吐いた。そんな姿に磯崎が苦笑を浮かべる。
「やっぱり神谷部長も見たんですね、それ」
「ああ。桃山から報告は受けたが念の為にな。情報的には非常に重要だったな。余分なものはあったが」
「ダンジョン産の素材の加工がうまくいかなかった理由がわかりましたからね。余分なものはありましたけど」
2人が顔を見合わせて疲れたように笑う。余計なものが何かは明らかだった。溜息をつきたくなるようなものだが2人の顔は決して暗くはない。得られた情報が非常に有用なものだったからだ。
フィールド階層が現れ、そこでの素材が採取できることが判明したことで、それを利用した装備やポーションなどの研究開発は行われていた。しかしそのことごとくがうまくいっていなかったのだ。
ダンジョンに入ってレベルを上げたことのない者には加工することさえ満足に出来ず、レベルを上げた者であればある程度の加工は出来るものの実戦で使えるような品質の物には程遠かった。まだ丸太のまま戦ったほうがマシというレベルだったのだ。
なぜそのようなことになるのか。その原因は全くわからなかった。しかし今回のことでそれが判明した。ダンジョン産の素材を利用するにはそれ専用のスキルが必要なのだと。
もし今回それが判明しなければ今後も無駄な研究に貴重な時間と費用を割くことになっていたはずだ。それが省けた分だけ、よりダンジョン対策へと有効な使い方が出来るだろう。そんな思いが2人の気分を明るくしていた。
「でも桃山さんの選択って日本にとっては良かったですよね。理由はアレですけど」
「そうだな。個の強さを求めても限界があるからな。そういう意味では褒められるべきなのだろうが、素直に褒める気にはならんな」
肩をすくめて答えた神谷の反応に磯崎が苦笑いをする。
「ですよね。じゃあ俺もそろそろ戻ります。報告書終わらせて早く帰らないと奥さんにどやされる」
「新婚のくせにもう尻に敷かれてるのか?」
「敷かれるぐらいが丁度良いんですって」
そう言ってにやけた笑顔で出て行った篠崎を神谷が見送る。そしてぽつりと言葉をもらした。
「しまったな。桃山の言葉を消す編集ができるか聞くのを忘れたな。……まあ明日で良いか」
少しぬるくなったコーヒーに口を付けて笑うと、神谷は再び頭の痛くなるだろう映像を再生すべくノートパソコンへと手を伸ばした。
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