第128話 ロシアへの対応
ロシア連邦保安庁、通称FSB。以前はKGBとして知られた組織の後継とも言えるその庁の最も新しい部局である特異地下空間対策局が設置されているのはモスクワのルビャンカ広場にあるFSBの本部庁舎の一画だ。ダンジョンと言う未知の危険物に対応するため対策局の灯りが消えることはない。
まだ夜も明けぬ深夜3時半。勤勉に働く局員たちの姿をガラス越しに眺めながら特異地下空間対策局の初代局長であるアレクセイ・スレプツォフは年齢によって刻まれた皺をさらに深くしながら考えにふけっていた。
彼は報告を待っていた。そしてそれは訪れる。
『ガスパジーン アレクセイ。緊急の報告があります』
『日本の特殊ダンジョンについてだな』
『はい』
アレクセイが入って来た局員の中年の男へと鋭い視線を向ける。初対面であればひるんでしまうようなその視線を男が自然に受け流すことが出来るのは、その男がアレクセイの懐刀として重用されてきた者だったからだ。アレクセイにとって彼は公私共に付き合いのある友人でもあり、志を同じくするまさしく同志でもあった。
アレクセイは普段であればどんな報告も顔色一つ変えずにする男の表情の中に焦りを見出し、少しだけ表情を歪める。人形に発信機を仕掛けたことなど思い当たることはいくつかあるが、それが発覚したとしてもこの男が焦るようなことではないと確信を持っていた。つまり想定外のことが起こったということだ。
日本へ派遣したのはロシア軍の中でも精鋭として名高い者たちばかりだった。さすがにロシアの英雄たちと呼ばれるチームに比べれば見劣りはするが、それでも政府や同志の協力、ダンジョンの攻略などによって鍛えられた彼らの力はもはや人の域を超えている。だからこそアレクセイは問題など起こりえないと考えていたし、起こったとしてもそれは取り返しのつくものだと想定していた。
無言で続きを促すアレクセイに、心を落ち着けるかのように小さく息を吐いた男が報告を行う。
『実は、先ほど日本から連絡がありまして……』
その報告内容に鉄仮面と呼ばれたアレクセイの表情が驚愕に歪んでいく。そしてその報告を聞き終えたアレクセイは呆然自失とした様子でポツリと呟いた。
『どういうことだ? なぜそんなことになる?』
◇◇◇◇◇
人形たちが奉納されて2日後、ついに外国の軍隊がフィールドダンジョンへと入ることになった。アリスのいる部屋の入り口が狭いので渋滞することを考慮したのか、はたまた各国の外交関係を考慮したのか時間をずらして順に入るってことが事前にわかっている。
午前8時にアメリカ軍、8時半にEUの連合軍、9時にロシア軍、9時半に中国軍といった感じだ。
それぞれの国の案内役をどうするかはかなり悩んだ。ある意味その国の代表みたいなもんだからな。奉納された人形は素晴らしいものばかりだったし、甲乙つけがたいというか、そもそもその人形の分野のトップが造った人形なんだからそれぞれ違った良さがあるんだよな。そりゃあ俺の好みってのはあるんだが、それだけで決めるってのもな。
とか俺がうだうだしていたらセナが横からあっさりとそれぞれの国の案内役の人形を決めやがった。曰く
「その国だとわかりやすい人形にするぞ。透のことだから結局全員に命を吹き込む気だろ。なら役目が違うだけだ」
だそうだ。まあ言われてみればそうなんだけどな。ちょっと釈然としないものはあったが、そんなことを言ってる場合でもねえってのも確かだしな。
現在俺たちがいるのは諜報部の部屋なんだが、アメリカ軍とEUの連合軍については今回俺たちはスルーだ。諜報部員たちが監視はしてくれているので後で報告を聞けば大丈夫だろう。今日のメインはロシアと中国だしな。
俺たちが見ていた中でアメリカやEUの特筆すべき点と言えば、ものすごくアリスを警戒していたことと、アリスの階層を通過するまで武器を携帯していなかったことくらいか。もちろん武器を持ってきていないって訳じゃなくてフィールド階層に着いたら、随行していた自衛隊の奴らが持っていた箱から取り出していた。どうやら武器の管理は自衛隊がするみたいだ。
武器を持った外国の軍隊が地上を歩いたら混乱が起きるかもしれねえしな。銃刀法違反とかになるのか? いや軍だしならねえのか? よくわかんねえけど。
アメリカやEUのフィールド階層の戦いが気にならないって訳じゃねえけど、もう既にロシア軍がダンジョンへと入ってきている。アメリカ軍とEUの連合軍がそれぞれ100人だったのでたぶん上限が決まっていてロシアも同じはずだ。
無駄口を叩くこともなく鋭い目に鍛えられた体を持つ軍人たちがダンジョンを進んでいく。自衛隊も強いのはわかってんだが、平均身長が違うせいか外国の軍隊の方が見た目強そうなんだよな。この前アリスにせん滅されたアメリカのSPの様子からしてそれは妄想だってわかってんだけどよ。
「なかなか良い面構えをしているな」
「そうだな。入ってくるDPも結構なもんだし、精鋭って感じか?」
「うむ。まあ他国がいる手前、中途半端な戦力を見せれば侮られるからな」
「そういうもんか」
したり顔で講釈するセナの話を右から左へと聞き流す。軍事バランスとかそういう関係には全く興味がねえんだよな。とは言え全く興味がないそぶりを見せるとセナの説教コースなので表面上はふんふんと相槌は打つんだけどよ。
ちなみに若干セナの冷ややかな視線を感じたとしても気づかないふりをするってのが肝だな。
そんな馬鹿なことを考えている間にロシア軍は階段を下り、そしてついにアリスの部屋へと到着する。
大きなその体を折り曲げて小さな扉をくぐったその先には、当然のように部屋の主であるアリスが待ち受けており、そしてその隣にはスカーフをつけた可愛らしい女性の姿をした30センチ弱のマトリョーシカ人形が同じ姿で色違いの5センチほどの小さなマトリョーシカ人形を頭にのせながら佇んでいた。
ロシアの兵士たちがそれに相対するように10人10列に並んでいく。そして先頭の1人が号令をかけると、カッと靴の音を立てながら休めの姿勢になった。
『君が我々の案内人と言うことで良いか?』
先ほど号令をかけた男がマトリョーシカ人形のマト子さんへと問いかける。ロシア担当の諜報部の人形が同時通訳してくれているから理解できるが、俺、聞き取れもしなかったぞ。やっぱロシア語って難しいな。
男の声に反応してマト子さんがピョンとひと跳ねし、顔の向きを変える。
『そうですよ、坊や。私はあなたたちのママであり案内人でもあるの』
『ではさっそく案内してもらいたい』
『そうしたいのだけれど、ママとしていたずらっ子の躾をしないとダメなのよ』
『なにを……』
男が言葉を続けようとするのを遮るようにマト子さんがパカッとその体を開き、そしてその中から一回り小さなマト子さんが現れる。そして続いてそのマト子さんが体を開き、さらに小さなマト子さんが。それが5回続き、先ほど出てきたばかりの10センチほどの大きさのマト子さんが体をパカッと開く。
その中にはさらに小さなマト子さんはいなかった。その代わりに銀色に輝く円形の金属の板が2つその体から飛び出し、男の前にポトリと落ちる。
『ねえ、お人形にいたずらした子は誰かしら?』
『悪い子にはお仕置きが必要よね』
『そうね。そうよ』
『そんなことをしてはダメだって私でもわかるわ』
大小様々なマト子さんがせわしなく話し続ける。そしてその纏う空気は重さを増していき、それに反応してロシア軍の兵士たちの雰囲気も剣呑としたものになっていく。そしてそれはマト子さんの一言で決壊する。
『まずは死んでお詫びすべきだわ』
『総員戦闘態勢へ移行……』
男は最後まで指示を出すことは出来なかった。その顔の中心に拳の大きさほどの穴を開けたその男が、血を流しながら地面へと崩れ落ちていく。その穴の先では5センチほどの一番小さなマト子さんがその体を血に染めながらコロコロと愉快そうに転がっていた。
ロシア軍の反応は早かった。おそらくあの男が指揮官だったと思うんだが、それでも大きな混乱をすることもなく戦闘へと移行していた。素手で戦いを挑む者、自衛隊の持っていた箱から武器を取り出す者。まるで初めから想定していたようなスムーズさだ。
「なんか慣れてやがるな」
「まあアメリカから先日の情報提供があったはずだからな。想定はしてきているはずだ。これもダンジョンの実力を測る一環と考えている節すらあるな。なにせ生き返る保証があるしな」
「こっちもあっちも想定内ってことか。しかし中々の強さだな。マト子さんはかなり強いはずなんだが」
しょっぱなの不意打ちはあっさり効いたが、それ以降がなかなかどうして善戦している。あっさりとアリスに殺されたアメリカのSPたちとは雲泥の差だ。
「装備が違うしな。それに人数も違うが、なによりスキル保有者が多いようだしな」
「確かに」
動き自体にそこまで違いはないように見える。マト子さんの動きにまともについていけている奴はいないしな。しかしその不利を跳ね返しているのが装備やスキルだ。
集団で構えた揃いの盾はマト子さんの突進を受け止めるし、かすったその剣はマト子さんの体に傷をつけていた。盾の後方からは魔法が散弾のように撃たれてマト子さんの動く範囲を限定し、急激に動きの速くなった男が振るった剣がマト子さんに直撃しそうになったりしている。
でも……
「負けはしねえな」
「うむ。強いとは言っても限定的なものだからな。長期戦になれば地力が違う」
俺たちの予想を証明するかのように、また1人、また1人と櫛から歯が抜けるように兵士たちがマト子さんにやられていく。そして攻撃を防ぐ要だった盾の一画が崩れてからは一気にそれが進み、そして辺り一面血の海となったその部屋に生きているロシア兵は誰もいなくなった。随伴の自衛隊の奴らが青い顔をしているのでちょっと申し訳なくなるな。完全にとばっちりだし。
タブレットのリストにはちゃんとロシア兵100人分の名前が並んでいる。全員がスキルを保有しているのか、1人1人がかなりのDPだ。生き返らせるから手には入らねえけどな。
「さて、ここまでは想定通りだな」
「うむ、あちらにとってもそうだろう」
セナと顔を見合わせてニヤリと笑う。
死んだら罪を償ったことになる? そんな訳ねえだろ。このダンジョンは死んでも生き返るんだ。そりゃあ痛みも苦しみもある。でもな、生き返ることを前提にこっちの実力を測ろうとする意図が見え見えなんだよ。それは作戦であって謝罪じゃねえ。
人形を傷つけやがった代償なんかになるわけがねえ!
「じゃ、本当に反省してもらうとするか」
「そうだな。皆も配置についたようだ」
「じゃ、始めるか。反省コース、ロシア軍御一行、ご案内ってか?」
少し冗談めかして笑いながら俺はタブレットに並ぶロシア軍兵士のリストをタップしていった。
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