第124話 合衆国大使の悲劇(後編)
「おばさんじゃなくっておねえさんですー。あー、これは腕がいっちゃってますねー。棒も粉砕されちゃいましたし。せっかくかばったのにあれだけ吹っ飛ぶなんて。もしかして死んでたりしますー?」
「うめき声が聞こえるしまだ死んどらんじゃろ。しかし桃山の嬢ちゃんは相変わらず無茶のしすぎじゃて」
「えー、だって一応守らないと怒られるんでしょー。神谷さん、説教長いんだもん」
片手が変な方向に曲がったまま、それがさも当たり前で、何も変なことなどないかのように女性警官がのんきに初老の男性警官と会話を交わしている。そして腰のポーチから液体の入ったガラス瓶を取り出し、それをクイッとあおるとその腕がみるみるうちに元通りになっていった。
これが、ポーションの力か。聞いていたよりもはるかに恐ろしい効果だ。いや、それ以上にこの警官たちの精神は異常だ。傍目にも骨が砕けているのがわかるほどだったんだぞ。
「牧は大使を連れて撤退だ。それ以外の者は時間を稼げ。アリスを大使に近づけるな」
「「「了解!」」」
「えー、遊びに誘ったのはそっちでしょ。今更やめられないよ。トランプ兵さーん」
杉浦陸准尉の号令に反応して護衛の自衛官や警官たちが連携を取りながらアリスへと向かっていく。私もその意思を無駄にしてはならないと固まってしまった体に喝を入れて逃げようとしたが、アリスの声に応じて後ろに控えていたトランプの兵隊たちが弾かれたように宙を飛び、そして退路を塞いでしまった。
「ちっ、どけ!」
『敵を排除しろ。スキルの使用を許可する!』
立ちふさがるトランプ兵たちに牧と呼ばれた自衛官とSPたちが攻撃を加えていく。炎や風が吹き荒れるまるで映画のような攻撃にいくらかのトランプ兵たちが倒れていくが、その全てを倒しきることは出来ずに接近されてしまった。
同士打ちの可能性があるためか先ほどのような攻撃は出来ない。それでも人間業とは思えないような威力の拳でトランプ兵を吹き飛ばしたりして善戦している者もいたが多勢に無勢だ。これだけの数の差があって未だに死傷者が出ていないことが奇跡の……
いや、違う。奇跡なんかじゃない。離れて見ている私にはわかる。死傷者が出ていないのはトランプ兵がほとんど攻撃をしていないからだ。つまりそれは……
ドスン
ひときわ大きな音に恐る恐る後ろを振り返る。そして目に入って来たのは壁に先ほどの女性警官が磔にされている姿だった。その腹にはアリスの小さな腕が突き刺さり、そこからとめどなく血が流れ落ちていっている。女性が持っている棒がアリスの頭へと当たっているがそれでダメージを受けているようなそぶりはない。
「こぷっ。強い……ですねー」
「ばいばい、また遊ぼうね」
血を吐いた女性の警官の腹からアリスが腕を引き抜くと、女性はまるで糸の切れた操り人形のように力なく地面へと倒れていった。もうアリス以外立っている者はいない。
『ひっ、化け物!!』
私と同じように背後の異変に気付いたであろうSPの1人がアリスに向かって手をかざし、そして次の瞬間その場所には潰れた肉塊だけが残っていた。
「なんて言ったのかはわからないけど、悪口っぽいよね。悪口はダメなんだよ」
そんなことを言いながら白いエプロンを真っ赤に染めたアリスがSPたちを蹂躙していく。戦いと呼ぶことさえ出来ない一方的な虐殺。私はただそれを身じろぎ1つせず眺めるだけしかできなかった。
「せーの、ぷちっ!」
可愛らしい掛け声と裏腹に、最初に壁にぶつかりかろうじて生きていたらしいフィリップを踏み潰したアリスが私に無邪気な笑顔を向ける。その全身は血に染まり、既に赤ではなく黒く変色し始めている部分もある。そんなことに気付けるほど私はなぜか冷静になってしまっていた。
あまりにも異常な光景に脳のどこかの部分がおかしくなってしまったのだろう。近づいてくるアリスを見ても恐怖心さえ浮かばない。ただあと数歩で自分が死ぬのだろうという考えが他人事のように浮かぶだけだった。
アリスが50センチほど離れた場所で歩みを止めて私を見上げる。そしてその小さな口が開いた。
「おじさんは帰るの? 資格がないから先へは進めないよ?」
こてっと首を傾げながらアリスの言ったその言葉を、私は理解が出来なかった。しばらくしてゆっくりと頭が回転し始め、その言葉の意味を理解する。
「帰れるのカ?」
「うん。おじさんは私と遊ぼうとしなかったしね。無理に先に進もうとしないなら何もしないよ」
「そうカ。邪魔をしたナ。大統領には上階の条件をクリアして資格を得ルことが必須だと必ず伝えヨウ。君に面倒がないようニ」
片言の日本語で何とかそれだけを言い残し、アリスへと背を向けて扉に向かってふらふらと歩き始める。助かったという安堵もあったがそれよりもこのことを早く正確に伝えなければという使命感の方が勝っていた。この惨劇を再び起こさないためにも。
「あっ、おじさん」
扉まであと数歩といった所で呼びかけられ、無視することも出来ず振り返る。最初にこの部屋に入って来た時のようにトランプ兵を後ろに引き連れてアリスは立っていた。血にまみれ、その様相はかなり変わっているが。
「なんダ?」
「勘違いしているみたいだけど、この先に進む資格を得るだけなら別に上の階のチュートリアルで資格を入手する必要はないよ」
「どういうことダ? 先ほど自分で言っていただろウ。資格を得るには上階のチュートリアルで条件を達成する必要があルト」
「私は資格が必要としか言ってないよ」
こてっと不思議そうに首を傾げるアリスの姿に、記憶を探ってみると確かにアリスは「資格が必要」とは言っているが必ず上階のチュートリアルで条件を満たさなければならないとは言っていない。非常に紛らわしい言い方をしているが、私の日本語の理解が正しければアリスの言う通りなのだろう。
「と言うことは他にも入手方法があるということカ?」
「うん。もう1つの方法はね、ダンジョンに人形を捧げるんだよ。1階層が1体、2階層が2体、3階層が3体だから合計6体の人形を捧げればこの先に進めるよ。捧げる場所はあそこ」
アリスが指さした方向を見ると、その先に確かに1メートルほどの高さの質素な祭壇のようなものがあった。しかし人形を捧げるだと?
「そんな簡単なことで本当に資格を得ることが出来るのか?」
「うん。あっ、でもその人形はちゃんと心を込めて作らないとダメなんだよ。その人形たちがあなたの国の案内人になってくれるんだからね」
「つまり国で随一の人形師に造らせれば良いんだナ」
「アリス、そこまでわかんなーい。いろいろ試してみればいいんじゃない?」
「そうしよウ。情報感謝すル」
「じゃあね。バイバイ、おじさん」
小さく手を振るアリスに見送られながら目の前の扉をくぐる。そして扉を閉じた瞬間にめまいがし、壁に背を押し付けながらずるずると地面に座り込む。動こうという気力はあれど体はそれに応じてくれなかった。今更ながら言いようのない寒気に全身が震える。自分自身を抱きしめるようにそれに耐えていると、近づいてくる足音が聞こえてビクッと体がすくんだ。
『大丈夫ですか、大使?』
そこにいたのは杉浦陸准尉他、死んだはずの自衛官や警官たちだった。服などは破れてしまっているが、体に不調はなさそうだ。死んでも生き返るというのは本当だったようだな。
半ば抱き上げられるような格好でなんとか立たせてもらい、彼らに肩を借りながら地上への道を自分で歩いていく。
守れなかったと謝られたが、私は気にしていない。アレは天災のようなものだ。それをとがめることなど出来るはずがない。それよりも勇敢に私を守ろうとしてくれた彼らに伝えなければ。
『先へ進むことが出来る資格を得る方法を教えてもらった。これから来る各国に伝えてほしい。こんな惨劇を二度と起こさないためにも』
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