第123話 合衆国大使の悲劇(前編)
*注意 『』内は英語での会話となります。
『こちらです。ヘンリー大使』
『ああ』
護衛として派遣された自衛隊の杉浦陸准尉の案内に従い、地下へと続く薄気味の悪い洞窟を進んでいく。いや、薄気味の悪いと言うのは言い過ぎか。土がむき出しであるものの適度な明るさが保たれ、歩きづらいとまで言えない程度に整備されている通路はここがダンジョンであると知らなければ不気味とは思わなかったかもしれない。
『ご安心ください。ここは一般人にも開放されている区画です。我々がついていれば問題は起こりえません』
『そうか。ありがとう』
本国から派遣され私の護衛についてくれたSPのフィリップが力強い言葉と共に少しだけ表情を変化させる。彼の表情の変化にうっすらとではあるが嘲りの色が含まれていることに内心でため息を吐きながら、気づかないふりをして感謝の言葉を返す。
今、私の護衛についてくれているSPの彼らは本国のダンジョン1つを踏破したメンバーだ。ダンジョンに初めて入る私にとってはとても心強い存在であることは確かなのだが、いささか愛国心が強すぎる。
私もステイツの一員として愛国心はあるが、彼らのそれは他者を見下しているように感じるのだ。
彼に言わせれば今、我々を先導している日本の警官たちも一般人扱いなのだ。確かに事前に提供された資料では彼らがダンジョンを踏破したことはないらしい。とは言えダンジョンが出来た最初期からこのダンジョンへと入っていた彼らは案内役として最も適格だと私は思うのだがフィリップは違うらしい。あからさまに態度に出すほど愚かではないのが不幸中の幸いか。
色々な意味でのじわじわとしたストレスを感じながらも私の初めてのダンジョン視察は順調に進んでいった。しかしストレスを感じると言っても想像よりもはるかに少ないものだ。
事前に見せられた本国での実際のダンジョン攻略の記録映像の方がよほどストレスだった。記録映像だからもちろんモザイクなど入っていないそれは、下手をすればトラウマになりかねない物だったからだ。
実際本国ではダンジョンの攻略を希望する兵士たちにこの映像を見せており、その後およそ半数が希望を取り下げるというのだからその生々しさがわかるだろう。
しばらくして高ぶっていた精神が落ち着いてきたこともあり、私自身しっかりとダンジョンを観察することも出来るようになってきた。事前説明でチュートリアルダンジョンだと教えられ、いまいちピンと来なかったのだが実感してみるとなるほどその通りだと納得できる。
1階層ではまずダンジョンへと入る資格ともいえるレベルの取得、2階層ではダンジョンに設置される罠について学ぶことが出来る。そして3階層ではモンスターと罠の複合されたダンジョン探索の基礎を学ぶことが出来るのだ。しかも死んでも生き返るという保証付きで。
実際に死んでも生き返るということを見た訳ではないが少なくとも提供された資料ではそうだったので間違いはないだろう。
ダンジョンが発生し、それによる国民の犠牲者数が突出して日本が少なかった理由の一端がこのダンジョンにあるのは明白だ。ステイツも事前に日本から連絡があったため、ある程度の被害は抑えられたと言えるが、このダンジョンが本国に出現していればその被害はさらに少ないものになっただろう。
そういえばあの当時は大変だった。ダンジョンが発生する可能性があるという、頭がおかしくなったとしか思えない内容を極秘裏に通知してきた日本に、本国から何度も正気なのか確かめるように連絡が来たのだから。
しみじみとそんなことを思い出しているうちに、いよいよ本命のポーションを得ることが出来るという階層へと向かうことになった。SPたちの視線がさらに鋭くなるのを感じながら私自身も気を引き締める。
まあ所詮私はお飾りで、実際にはSPの彼らが観察するのが主なのだが素人ならではの発見が出来る可能性もないとは言えない。
各国合同で日本へと圧力をかけたのはこのポーションという摩訶不思議なダンジョン産の回復薬のせいでもある。上部のチュートリアルもダンジョン出現当初であれば有用であったかもしれないが今はそこまでではないだろう。
攻略において重要な要因の1つである怪我の治療がこのポーションを使えば即座に出来る。しかもある程度であれば後遺症もないらしい。このことがダンジョン攻略の上でかなりのメリットであることは明らかだ。
もちろんポーションは本国のダンジョンでも手に入れることが出来る。しかしそれはダンジョンの宝箱の中だったり、特殊なモンスターが落とすくらいで希少らしい。
ダンジョンを攻略していく上でその需要がなくなることはなく、むしろ徐々に難易度が上がっている現状から考えてさらに需要が増えていくことは予想に難くない。ダンジョンと言う世界共通の脅威が現れた今、ポーションを任意に入手できるというこのダンジョンの価値は油田などよりもはるかに高いのだ。その実情を知りたいと言うのは世界各国共通だろう。
今回は国際協調というキレイなお題目を掲げて各国がかなりの圧力をかけた結果日本が折れたというのが真相だ。まあ折れるにあたって日本にとってもそれなりの利がある取引をしたようだし、さしあたって問題にはならないだろう。得てして日本人は協調性のある国民性だしな。
このポーションの理由の奥に、この世界で最初に発見された特異なダンジョンには秘密があるのではないかと各国が考えており、それを探るための機会を狙っていた、なんてこともあるかもしれない。もちろん本国から私にはそういった指示は出ていないし、妄想の類ではあるのだが。
『ふっ』
『どうかされましたか?』
『いや、なんでもない』
『そうですか。この扉の奥が件の部屋だそうです。入り口が小さいのでお気を付けください』
思わず出てしまった私の自嘲の声に気づいたフィリップへと首を横に振りながら言葉を返し、腰を曲げなければ通れないような小さなドアをくぐっていく。そして顔を上げ、その先に見えたまるでおとぎ話の中に迷い込んでしまったかのような光景に思わず息を飲む。
そこには青いドレスに白いエプロンをつけた金髪の少女の人形が多くのトランプの兵隊を後ろに引き連れて笑みを浮かべながらこちらを見ていた。懐中時計を持ったウサギがその背中からひょこっと顔を出し、そして驚いたかのように慌ててその身を隠す。そのコミカルな動きに思わずここがダンジョンであることを忘れて笑みが浮かんでしまう。
不思議の国のアリス、か。小さなころ妹にせがまれてよく読んだものだ。
懐かしさを覚えながら歩を進めようとするとその行く先を手でフィリップに制された。何故か、と聞こうとして気づく。SPたちだけでなく今まで緊張感を保ちながらも余裕が見えていた日本の警官たちや自衛官たちの空気が剣呑としたものになっていることに。
彼らの鋭い視線の先にいるのは愉快そうに笑うアリスだった。
「何のつもりでしょうか?」
杉浦陸准尉が日本語でアリスに向けて問いかける。日本語を理解できないフィリップが小さく顔をしかめ、部下を呼ぶのを横目に見ながら事の推移を見守る。
「あなたたちだけなら行ってもいいよ。でもそこの人たちはだめ。だってまだ資格がないもん」
小鳥がさえずるように楽しげな声でアリスが答える。
「資格、資格とは何かな?」
「この先のチュートリアルに進む資格だよ。だってまだ上の階のチュートリアルで資格入手条件を達成して資格を手に入れたりしてないでしょ。今のところ満たしているのは日本だけだよ」
「資格入手条件? ただチュートリアルを行うだけでなく、国ごとに何かしらの条件を満たさないといけないと言う事か。その条件を教えてくれるかな?」
「さぁ、わかんなーい。だってそれは私の役目じゃないもん」
キャハハと笑うアリスに対して杉浦陸准尉が質問を重ねていくがその反応は思わしくない。どうやら現状では我々は目的の階層へと入ることが出来ないようだ。
これは大問題になるだろうが、日本に責任を求めることも難しい。拒否しているのは日本ではなくダンジョンなのだから。まあそれでも責任は追求されるだろうがな。
本国では来週に備えて部隊の編成や準備はしているだろうが実際に来ていない分だけ損失は抑えられたはずだ。それだけでも今回の視察の意味があったと……
『ふざけるなよ』
そんな言葉がすぐそばで聞こえたかと思うと、まるで周囲の空気が水に変わってしまったかのように体が重くなり、動くことが出来なくなってしまった。唯一動かせる目を声のした方へと向けるとフィリップが射殺さんばかりの目でアリスを睨んでいた。
『やめろ!』
杉浦陸准尉の鋭い声が響く中、ペロリと嬉しそうに舌なめずりをしたアリスが艶めかしく笑う。
「おじさんが遊んでくれるの?」
『はっ?』
次の瞬間、何が起こったのか私にはわからなかった。アリスの姿がぶれたと思ったらその場から消え去り、何かがぶつかる鈍い音とそれに続いて壁に大きなものがぶつかって潰れたようなグチャっという生々しい音が聞こえたのだ。
「えー、こんなに弱いなんて遊び相手にもならないよ。おじさんで遊ぶのももう無理そうだし。おばさんはどう思う。おばさんならちょっとは遊べそうだと思うんだけど」
アリスが首を傾げながら目の前に立つ女性の警官に向かって笑みを浮かべる。ぽたぽたと赤い液体の床へと落としながらその女性は真っすぐにアリスを見返していた。
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