第121話 ジュモー
セナ特製のせんべい人形シリーズによる人形たちに備わった知識の検証から数日経過し、俺は今、期待に胸を膨らませながら来たるべき時を待っていた。というのも今朝、遂にアスナがここへとやって来たので購入する人形の候補リストを渡すことが出来たからだ。
今までのアスナの行動から考えるに面倒なことは早く終わらせるはずだから今日中に人形たちを連れてくる可能性は低くねえはずだ。まあいくつかの人形については入手自体が困難なので、もし手に入ればって注釈をつけておいたからある程度集めたら戻ってくるだろ。
そんなこんなで注意力散漫になり、セナに幾度か怒られたりしながら1日を過ごし、時刻が19時を越えてもう今日はないかと諦めかけたその時、モニターに大きなリュックを背負ったアスナが映り込んだ。
「セナ、来たぞ!」
「わかったから落ち着け!」
セナが呆れた目で俺を見ているが仕方ねえだろ。自分が造った人形はもちろん好きだが、製作者によって個性が如実に出るのが人形ってもんだし。人の作品に刺激されてアイディアを思いつくことも多いしな。まあ単純に言っちまえば色んな人形が見たいってだけなんだけど。
いつも通りにセナがアスナと話している姿をモニターで眺めながら、俺の頭はどんな人形がやって来るのかということでいっぱいになっていた。なんかセナとアスナがちょっと揉めているようだ。さっさと来ねえかな?
しばらくしてセナがアスナに何かを投げて渡し、アスナはそのまま帰っていった。そしてセナが連れて行ったパペットがアスナの置いていった人形が入っていると思われる袋を抱えてコアルームへと戻って来た。
「戻ったぞ」
「お疲れ。見ていいか?」
「はぁー、好きにしろ」
深いため息をつくセナの横を通り過ぎ、パペットが持っていた袋を受け取って人形たちを袋から出していく。
MADE IN CHINAのソフビの人形、アメリカ製の着せ替え人形などここ最近の物と思われる定番のおもちゃから、東南アジア系の旅行のおみやげと思われる木彫りの魔除け人形などそのラインナップには統一感が全くない。しかし良い! 俺が造れない人形ということに違いはない。
「本当に嬉しそうだな。こっちは愚痴を聞かされて参ったんだが。スクロールも余計に1本要求されたし」
「そうか」
「……お前、私の話なんか全く耳に入ってないだろう?」
「そうだな」
「ふんっ、後で覚えていろよ」
「おう」
「……」
セナがなんか言ってた気がしたので適当に相槌を打ちながら人形たちを確認していく。そして一番底に入っていた長辺が70センチほどの木の箱を取り出して机に置く。箱の作りもしっかりしているし、これはもしや……
期待に少し震える手で箱を閉じていた紐を外し、そしてその蓋を開ける。そしてその中に入っていたものを見て俺の体は動きを止めた。嘘だろ。
「どうしたんだ?」
セナの声が回転が止まりかけの俺の頭にかすかに響く。その言葉が俺の頭の中を駆け巡り、そしてやっとのことで俺の口から言葉が出てきた。
「ジュモーだ」
「んっ?」
「マジかよ。良く手に入ったな。マジか……」
目の前にあるのはいわゆるビスク・ドールと一般的に呼ばれる人形で、灰色のフリルがふんだんに使われたドレスを着た金髪の少女だ。慎重にその人形を持ち上げ、そしてその姿を確認していく。背中側の首に押された刻印、そして開かない口から考えて作られたのは1880年代後半くらいか。エミールジュモーの時代だな。
服は俺の記憶にあるものと違うからおそらく別注したもの。とは言え人形が造られた時代とそこまでの違いはないだろうな。しかもこの手触りは……シルクが使われてる。おそらく人形の持ち主だった人がこの人形のためにオーダーメイドした一品だろう。違和感がないしな。
「おい、透。そろそろ帰って来い!」
「おっ、おお。悪い。でも大声出すなよ」
「このくらいしなければお前が気づかんだろ。それでその人形がどうかしたのか?」
耳元で聞こえた大きな声に体が反応し、思わず手に力が入りそうになったが何とか自制する。つい恨みがましい目でセナを見てしまったが、確かに言われてみればセナの言葉なんて聞こえてなかったし。でも仕方ねえだろ。ジュモーだぞ、ジュモー! しかも出来が良い時期の。
とりあえず何かあってもいけないので人形を箱へと戻し、こわばった手を軽く振りながらセナへと向き直る。
「この人形はフランス人形とかビスク・ドールって呼ばれる人形なんだが、その中でもジュモーっていうメーカーのテートだ。ちなみにこの会社の設立者のピエールジュモーがそれまで中国やドイツから輸入していた陶器製の人形のヘッドを造ったことでフランスのビスク・ドールが最盛期を迎えるきっかけに……」
「つまりフランス語が話せるはずということだな」
「そうだ。ちなみにこの人形は息子のエミールに引き継がれてからの作品で、他にもウォーキングドールや蓄音機を内蔵していてパパ、ママと話す人形を造るなど当時としては革新的な人形たちを……」
「つまりフランス語が話せるということだな」
「お、おう」
圧を感じるセナのその言葉に思わずどもってしまう。別に少しぐらい話しても良いじゃねえか。聞いてきたのはセナなんだしよ。
しげしげと人形をセナが見つめているが、いまいちその価値はわかっていないようだ。というかジュモーのテートなんてめったにお目にかかれるもんじゃねえんだぞ。基本的に所有者は人形愛好家ばっかだから市場に出ることすらまれなはずだ。あるとすれば所有者が死んじまって相続人が売りに出したとかか? それにしたって……
「これ100万越えてんじゃね?」
「ちなみに120万弱だそうだ。ご丁寧に領収書もあるぞ」
そう言ってセナが懐から一枚の紙を取り出す。そこにはアスナの名前と支払った7桁の金額が書かれていた。まあ箱の中に鑑定書もついていたし当然っちゃあ当然か。とは言えスクロール1本とほぼ同じ値段と考えればそこまで高いとも感じないな。それ以上の価値があるし。
うんうん、とうなずく俺に対してセナが小さく首を振っているのが視界に入るが気にしない方向で行こう。その方がきっと平和だ。
「じゃ、記念すべき初めてのダンジョン関係者以外の造った人形の<人形創造>はこいつで決まりだな」
「好きにしろ」
「よし」
息を吐き、精神を集中していく。うまくいくかどうか、そんな不安が胸に浮かんでくるがそんな考えは命を吹き込むのには邪魔だ。保存状態の良いその姿から考えてとても大切にされてきたことが俺には良くわかる。そいつらの思いを無駄にしないように、その魂がこの人形に宿るように願いを込めて……
「<人形創造>」
差し出した両手から命を人形に吹き込んでいく。セナの人形に吹き込んだとき以上に狭い、というか反発しているようにすら感じる。本当にこの人形に命を吹き込むことなんてできるのか疑問に思いそうなほどだ。
汗がこめかみを通り過ぎ、頬を伝っていく。ずきずきと痛む頭に顔をしかめながら命を吹き込み続ける。
「透、無理をするな。顔が真っ青だぞ」
セナの心配そうな声に少しだけ頬を緩ませる。でもやめない。だってほんの少しずつだが命が宿っていくのを感じるから。中途半端で終わらせるなんてありえない。それはこいつの命を諦めるってことだろ。
自分で意識している訳でもないのに体がゆらゆらと揺れ始める。視界が狭くなっていく。あともうちょい、あともうちょっとなんだよ。もってくれ……
「透!」
セナの手が俺の背に触れた。それとほぼ同時に命を吹き込み終わったことを本能で理解した俺の体はぐらりと床へと倒れていく。ぼんやりとした視線の中で金髪の少女の人形がゆっくりと立ち上がるのが見えた。
「悪い。疲れたから、少し、休む」
それだけを何とか言い残して俺はそのまま目を閉じ、意識を手放した。セナが俺を優しく罵る声を子守歌のように聞きながら。
ざわざわと騒がしい気配にゆっくりと瞼を開き、そして重たい体を起こしていく。掛けられていた毛布がさらりと体を滑り落ちていった。
「むっ、起きたか、馬鹿者め。体調はどうだ?」
「おう。悪かったな。まだ本調子とは言えねえけど大丈夫だ。で、どんな状況なんだ?」
目の前に広がるカオスな空間を視線を向けて示したのだが、セナの反応は淡々としたものだった。
「テートは無事にフランス語を話すことが出来たぞ」
「それは良かった。まあ聞きたいのはそっちじゃなかったんだけどな。というか名前ももう決まってんのかよ」
「透が言っていたではないか。テートだと」
「いや、人形のタイプの話だったんだけどな。まあいいや」
まあ別にこれと名前が決まっていた訳じゃねえからそれで本人が納得しているのなら良いんだけどよ。それよりもなぜこんなことになっているかの方が不思議すぎる。
俺の目の前に広がっているのはテーブルの中央に立つショウちゃん。その左腕に絡みつくようにして身を寄せるミソノちゃんとその反対の右腕を握るテートの姿だ。
「泥棒猫は犬にかまれて死ねばいいと思う」
「フランス語の話せない野蛮な者はショウちゃん様のお側にふさわしくありませんわ」
「「ぐぬぬぬぬ」」
両者の間に火花が散っているのが見える。もちろん幻想だが。
「なあ、これって……」
「残念だったな。所詮透の魅力などショウちゃんに敵うべくもなかったのだ」
「いや、別に残念じゃねえけど」
「強がるな。部下が先にハーレムを造ったショックはわかるが、みっともないぞ」
わかっている、とばかりに俺の肩をセナがポンポンと叩いてくる。一瞬イラッとしたが、反論するのも面倒だ。というか疲れがまだ取り切れてないのでこのカオスな状況に突っ込みたくねえし。
「はいはい。俺はちょっと部屋で寝てくるわ。悪いけど検証は後でな」
「ふて寝か?」
「違うわ! じゃあな、後は頼むぞ」
「ああ、お疲れさま」
気持ちのこもったセナの労りの言葉に口元を緩めながら、俺は体力を回復させるために静かな奥の部屋へと引っ込むのだった。
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