第110話 嫌われ者の集団
2階層にある1つの通路。その先はただ行き止まりで罠も何もないはっきり言ってしまえば来る価値すらないそんな場所に赤い光がポツポツと浮かんでいた。そんな場所に向けて1人の頑強な体つきをした男が歩を進めていく。
そして男はその光の中へと紛れるとズボンのポケットから取り出したくしゃくしゃの紙箱から一本のタバコを取り出し口に咥え、そしてライターで火を付けようともう一方のポケットを探る。
「げっ、忘れたか?」
口で器用にタバコを上下させながらあらゆるポケットを探り、そして無いことがわかるとその男はがっくりと肩を落とした。そして一度しまった箱を取り出しタバコを戻そうかとしたその時、目の前に飛んできた何かを反射的に男は掴んだ。
それはよくある100円ライターだった。
「おっ、悪いな」
男は受け取ったライターでタバコに火をつけると、腰を落としてそのライターを投げてきた煙出し人形に礼を言いながら返した。煙出し人形はライターを受け取るとそのブリキの手を軽く振って気にするなと伝え、クールな背中を見せながら壁際へと戻っていった。
そんな様子にその男、自衛官の牧はふっと笑みを浮かべる。
この場所はダンジョン内になんとなく出来上がった愛煙家たちの憩いの場所だ。特にダンジョン内でタバコを規制するような法律や条例はないが、昨今の愛煙家を取り巻く厳しい視線はダンジョン内でも変わることはなかった。もちろん気にせず吸う者はいるが、多くの者はこの普通の人が来ることのない行き止まりの通路で蛍となることを選んでいたのだ。
嫌われている者たちだからこそ仲間意識もあり、お互いの名前もあまり知らないのに情報の交換なども良く行われていた。
「しかし、増えたな」
牧が周囲を見回し小さく声を漏らす。元々この場所は牧がタバコを吸っていた場所だったのだ。しかし今では喫煙所のような体になってしまった。まあそれだけ需要があり、そしてこの場所が適していたということでもあるのだが。
そこにいるのはダンジョンに入っている者の中でも比較的高年齢層の者が多かった。牧自身を含めれば10人いる愛煙家の中で20代と思われる若者は2名ほどしかいない。その2名にしても紙タバコではなく電子タバコを吸っている。
時代の移り変わりを感じながら牧は自分がここへ来た初めての時の事を思い出していた。
牧がこの場所を見つけたのは偶然だった。闘者の遊技場に挑戦を続け、モンスターを殺したり殺されたりする殺伐とした日々を続ける中で、牧は訓練と気晴らしを兼ねて1人で2階層を歩いていた。
「っと、やっぱチュートリアルってところか」
そんなことを呟きながら罠をすいすいと避けて牧が通路を進んでいく。いくつものダンジョンを実際に経験してきた牧にとってこのダンジョンの2階層はあまりに簡単すぎた。
罠の配置が悪いというわけではない。ダンジョンによって違いはあるものの、罠の配置だけを見れば中の上だと牧は感じていた。しかしそれでも簡単すぎると感じるのは牧がそれ以上のダンジョンを知っていることに加え、モンスターがいないという状況のせいだった。
「初めて入ったときはなんだよ罠って、と思ったもんだが俺も染まったもんだ」
ふっ、と鼻を鳴らし牧の片方の口の端が自然と上がる。そして新たな罠を越えようと足を踏み出そうとし、そしてその先に動く者を見つけてその動きを止めた。それはゴミを手に入口へと歩いていくパイプをくわえた人形だった。
「おっ、今日もご苦労だな」
牧が声をかけるが、煙出し人形は特に反応することもなくスタスタと入口の方へと向かって歩き去っていった。牧は苦笑いしながらその後ろ姿を見送る。返事がないことはわかっていた。そもそもモンスターに返事を期待する方がどうかしている。
しかしそれでも牧は人を襲うことなくダンジョンを綺麗に保つためにゴミを集め続ける煙出し人形に奇妙な共感を抱いていた。ただ黙々と自分の役目を全うするその姿がどこか自分たちと重なったからだ。
そんなことを考えていたからだろうか、牧は何の罠もない行き止まりに行き着いた。道を間違えたらしい。地図を確認し、おおよそ自分がどの位置にいるか予測してみるとそこは入り口からそれほど遠くない場所だった。
「何やってんだか……」
牧が頭を掻き、そして元の道へと戻ろうとしたところでふと視線を感じてそちらを注視する。その壁際にいたのは先程見たのと同じような煙出し人形だった。
その煙出し人形は壁にもたれかかり牧の方を横目で見ながら旨そうにパイプから煙をくゆらせている。仕事をサボっているようなその姿がなんとなく人間臭くて牧は思わず笑みを浮かべポケットに手を入れた。
「俺も吸っても?」
タバコを取り出しながら牧がそう尋ねる。もちろん返事を期待してのことではなかった。しかしその煙出し人形は牧の言葉に反応し、好きにしろとばかりに手を振った。火をつけようと口に咥えたタバコがポロリと落ち、慌てて牧がそれを空中でキャッチする。
「お前、俺の言っていることがわかるのか?」
驚いた顔でそう尋ねる牧に、煙出し人形は特に反応せず煙を吐き出し続けていた。ただの偶然か、と牧が息を吐き、なんとなくそのまま煙出し人形の隣に中腰で座ってタバコを吸い始める。無言のまま、2筋の煙が双子のように立ち上っていた。
「なんでダンジョンなんてもんが出来たんだろうな?」
ぽつり、と牧か言葉を漏らす。ダンジョンが現れ、少なくない仲間がその命を落としていた。その中には牧の部下だった者もいる。まだ若く、そして仲間思いの男だった。牧に良く懐いており、「牧さん、合コン行きましょうよ! 俺、セッティングしますから参加費は牧さん持ちで」と言うような馬鹿だったが、その男が開いた合コンで牧は妻と出会ったのだった。
「牧さんばっかずるいっすよ。可愛い奥さん見つけて。俺が狙ってたのに」
そんな風に文句を言いながら笑って牧を祝福してくれた男はもうこの世にいない。ダンジョンのボスの攻撃を受けそうになった味方をかばって潰されて死んだ。牧はその光景を見ることしか出来なかった。
もしダンジョンなんてものが生まれなかったらまだ男は生きていて牧とともにいつか来たるべき日に備えて訓練する日を過ごしていただろう。ホロリと牧の目から涙が一筋流れ落ちる。
「チッ、煙が目に染みやがる」
誰に言うでもない言い訳を呟き、牧がタバコを携帯灰皿で押しつぶす。そんな姿を煙出し人形はただ見つめていた。そして牧は立ち上がると元の道に戻るために歩きはじめ、2、3歩いたところで振り返った。
「邪魔して悪かったな」
その牧の言葉に煙出し人形は片手を上げて被っていたシルクハットを取ると気取った礼を返した。それは明らかに牧に対してのものであり、そして牧にはそれがまた来ると良いと言っているかのように感じられた。
「やっぱり言ってることがわかるんじゃねえか」
そんなことを言いながら歩みを再開した牧の表情は先程までよりも少しだけ柔らかいものになっていた。
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