第108話 首相の決断
首相官邸の最上階である5階。空中庭園とも呼ばれることのある小石を敷き詰めた地面に巨大な石が配置された庭が見える通路を進んだ先の総理執務室において、日本の国旗を背後に椅子に座る1人の男が眉間にシワを寄せながら秘書官に説明を受けていた。
その部屋の主である男の名は岸 大輔、現在の内閣総理大臣である。
「そうか、わかった。詳細は明日の閣議までに用意するように伝えてくれ」
報告を聴き終え、岸がそう伝えると秘書官はきびきびとした動きで一礼し総理執務室から出て行った。
秘書官が出て行った扉を岸はしばらく見つめ、そして大きく息を吐くと肘を机について右手で頭を支える。眉間のしわはこれ以上にないほどに深くなっていた。
岸が秘書官からつい先ほど受けた報告はある意味で待ち望んでいた報告であった。
突然発生したダンジョンという不可思議なものの中でも特異と言って良い警視庁本庁前にある通称チュートリアルダンジョンでダンジョン産のアイテムの交換が可能になったと言う報告だ。そしてそこでは比較的低コストでポーションを得ることが出来るという情報も含まれていた。
このこと自体は日本にとっては非常に有意義なことだ。ポーションなどが容易に手に入るようになればダンジョン攻略における死者を減らすことに繋がる。現在研究開発しているダンジョン素材を使用した武器の製造が成功すればダンジョン攻略の安全度はより高まっていくだろう。
「日本国内だけで考えればの話だがな」
岸が苦々しい口調で呟きを漏らす。現在総理執務室には岸しかいないため、当然その呟きに答える者はいない。
実際、ダンジョンという不可思議な空間は世界中に出現している。そしてその影響も全世界へと及んでいた。
ダンジョンは消えない。最下層まで到達し、ダンジョンコアを壊せば一時的に消えるが一定期間後に復活する。つまりそれは人類はダンジョンと付き合い続けなければならなくなったと言うことを示していた。
そして放置すれば中に住むモンスターが外へと溢れ出てくる。その期間はバラバラで予想することも不可能である。コンクリートなどで封鎖することは不可能であり、実際モンスターがダンジョンから溢れ出て甚大な被害をもたらした国も既にあった。
しかしそういったデメリットばかりではない。モンスターを倒すことで得られるステータスしかり、魔法やスキルしかり、人を新たなる段階へと押し上げることがダンジョンには出来る。そしてそこから産出する魔石やポーションといった今までにないアイテムは無限の可能性を秘めているのだ。
しかし今はそのメリットであるはずのことが岸の頭を悩ませる原因だった。頭を抱えたまま岸が目を閉じ、小さく息を吐く。
日本のダンジョンに関する被害は他国に比べて非常に少ない。それはチュートリアルダンジョンの発生をいち早く知ることができ、万全の初動体制を敷くことが出来たからだ。そしてその後もチュートリアルダンジョンを活用することで経験を積み、実際のダンジョン攻略へと臨むことが出来た。
つまりチュートリアルダンジョンの恩恵を受けたからということが大きかったのだ。
ダンジョンの発生を同盟国へと警告するにあたり、日本はチュートリアルダンジョンの映像などを提供していた。そのためダンジョン発生当初は、チュートリアルダンジョンを自国の軍にも解放するようにという圧力も多かった。
しかしそれはすぐに下火になった。なぜならダンジョンにある罠もモンスターも特異なものではあるものの一般的な軍で対応不可能なものではなかったからだ。それなりの犠牲を出しつつも各国はダンジョンを攻略していき、そして多くの国が魔石などを効率よく集めるために民間開放へと舵を切るまでになった。
しばらくはそのままで良かった。しかしダンジョンを攻略すればする程、復活したダンジョンは強大になっていった。深部に出てくるモンスターたちは頑強になり、致命的な罠も現れた。
攻略難度は増し、当然犠牲者も増えていく。それでも各国の軍が攻略をやめなかったのはダンジョン攻略時に得られる特典があったからだ。
その特典とは6つのスクロールとダンジョンコアと同じ大きさの魔石が得られることだ。巨大な魔石がもたらすであろう利益については言うに及ばないが、宝箱から稀に出るようなものとは桁違いの効果を持つスクロールが問題だった。
そのスクロールで習得したある魔法は何もないところから炎の槍を飛ばし、あるスキルは外見が変わっていないのにも関わらず5メートルを越えるジャンプを可能にした。それは今までの人という概念を軽く飛び越してしまっていた。
元々ダンジョンで戦うことで身体能力が向上することがわかっている時点で、軍人がダンジョンに入らないという選択肢はなかった。そして桁違いの効果を持つスクロールが得られるというのであれば軍事バランスを保つためにもダンジョンの攻略をやめるという選択肢は無かったのだ。
しかし攻略の難度は上がっている。せっかく育てた人材も、貴重なスキルや魔法を得た逸材も死んでしまえばそれで終わりだ。そういった人材の生存率を高める方法が求められるようになり、生き返ることができ、そして他のダンジョンではほぼ出ないスクロールやポーションなどを定期的に排出するチュートリアルダンジョンを他国の軍へ開放するようにという圧力が再燃したのだ。
岸はその圧力をなんとかかわしていた。いや、少しでもその開始時期が遅くなるようにしていたという表現が正しいかもしれない。支援などは行っていたが外交上の関係を考えればいつまでも拒否することは現実的でないからだ。
実際食料の輸出をカードに開放を迫る動きも現れていたのだから時間の問題だっただろう。しかしそれでももうしばらくは猶予があったはずだった。しかし今回の報告によってその目論見はもろくも崩れ去ってしまった。
「大量のポーションを手に入れる算段がついてしまったことが逆に仇になるとはなんとも皮肉なものだ」
国内の需要を満たせていないのにも関わらず、その利を他国に与え自衛隊に損害を被らせることなど出来ないと拒否していた岸の主張はもはや通じない。情報を秘匿するという選択肢もあるが情報というのは漏れるものであるし、なにより後で判明した場合に失う信用を考えれば得策でないことは明らかだ。
岸が顔を上げ、そして少し体をひねり背後の日の丸を眺める。しばらく日の丸をじっと見続けた岸は小さくうなずき、体を元に戻すと机の上の電話へと手を伸ばした。
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