※ リアン
「生意気な女だよね」
家につくと、マリィが「お兄様と今日の復習をしたいです」という。
しぶしぶ家の図書室に入って、ふたりきりになったとたん、マリィの顔つきががらりと変わる。
地味で内気そうな少女から、ふてぶてしくも強烈な印象を持つ少女へと。
マリィのこういった変貌は3年前……、マリィが3歳ごろにはすでに表れていた。
もっと小さなころは気づかなかったけど、たぶん生まれた時からマリィはおかしかったんだろう。
「不敬だよ」
誰のことを言っているかなんて、聞かなくてもわかりきっていた。
だからたしなめる。
相手は、第二王女。
そして、おそらく将来、僕たちが女王として仰ぐことになる少女だ。
けどマリィは、にやっと笑って言う。
「タコニ王が愚かだとは、私は思いません。彼が愚かだと思う者こそ、愚かだと思います。領主が王都と領地を行き来すれば、街道は整備され、周囲の村は潤い、従者たちは都会で新たな知恵を学ぶ機会を得るはず。街道は、国の葉脈のようなもの。うまくめぐればめぐるほど、国は潤うでしょう。実際、タコニ王の時代のキスパは、盛隆を極めていたでしょう」
うつむき加減なのに、誇り高さと高慢さがありありと見えるような、独特の口調は、ガブリエラ王女そっくりだった。
マリィが揶揄するようにガブリエラ王女の真似をするのは、家ではいつものことなのに、あまりにも似ているからハッとする。
「あの時の、オリビア先生の顔を見た?生徒に愚か者扱いされて、いっしゅん本気で怒っていたよね。まぁ無理もないけど。かわいそうに」
同情するようにマリィは言うけど、顔は面白がっている。
マリィは、オリビア先生のことも気に食わないのだ。
アンナマリアのそばに、いつもいるから。
「あぁ、でも」
マリィは、僕のほうを見て嫌な笑い方をする。
背筋が冷える。
「かわいそうなのは、リアンお兄様かな。リチャードに言われちゃったねぇ、領主の伴侶の立場についてすぐに思いつくなんて”さすが”だって……!」
はははははと、マリィは大人の男の人のような声で笑う。
腹を抱えて、大笑いして、目に涙までうかべて、マリィは僕の顔を見る。
「なんであの時、そんなこと言ったの?リチャードやクラリスの馬鹿っぽい言葉につられた?あいつらのあれは、仮面だってまだわからないの?あいつらがあの場で言ってるほんとうのことは、アンナマリアが好きってことくらいだって」
「……わかっているよ」
リチャードやクラリスは、アンナマリア様の前でなければ、あんな和やかな話し方はしない。
いつもどこか冷めた目をして、周囲の人間を観察している。
当たり前だ、僕たちの立場なら。
アンナマリア様だけだ。
王女というこの国で頂点に近い場所にいながら、あんなにも隙だらけなのは。
いっしょに勉強しているとすぐ気づく。
アンナマリア様の頭は悪くない。
勉強は、できるほうだ。
王女としての役目も、ガブリエラ様に遠慮しているところはあるけど、真面目にこなそうとしている。
それなのに、僕たちの誰もが自然に身に着けた心の防具も武器も、アンナマリア様はおもちじゃないようだ。
赤ちゃんのように無邪気で、かわいくて。
そこにつけこもうとする人間もいるんだろうけど、僕も、リチャードやクラリスも、たぶんマリィやガブリエラ様さえも、彼女を守りたいと思っている。
お互いの存在を邪魔に思うほどに。
「領主の伴侶について話したのは、アンナマリア様ならそういう考えをするだろうって思ったからだよ」
アンナマリア様は、優しい。
いつもとるにたりない侍女たちにも目を配っている。
「あー……、確かにそれはそうかも。じゃぁ、リアンお兄様は、アンナマリア様に同じ意見だって喜んでほしくて、あんなこと言ったってわけか」
そんなに深く考えていたわけじゃない。
あのお勉強の場では、僕たちの演じる役割は有能だけど無害で子供らしい子どもだと思っているから、それらしい言葉を選んだだけだ。
けれどマリィは納得したようで、余計に皮肉だと笑う。
「アンナマリア様は、リアンお兄様と自分の立場は似ているってお考えみたい。自分たちは、当主ではなく、女王でもなく、彼らの伴侶になるだろうって。それって、お兄様はアンナマリア様のお相手にはなれないってことなのにね。アンナマリア様は、別に気にされてなかったよね」
きゃらきゃらと笑うマリィをにらんでしまう。
そう、それは、おそらくアンナマリア様以外の人間は、気づいている事実だ。
「集められたご学友のうち、男はふたり。ひとりは次期軍事大臣で、もうひとりは当主になれない左大臣子息。となれば、女王になれなかった王女の相手は軍事大臣の子息であるリチャードで、女王のお相手がリアンだって、だれもがうすうす感づいているのに!」
「まだガブリエラ様が女王になると決まったわけじゃない」
「そう。まだ、ね。でも、だれもがそう思っている」
僕は、マリィに言い返せなかった。
たぶん次の女王に選ばれるのは、ガブリエラ様だ。
あの生意気でかわいげのない女の子が、僕の結婚相手になる。
そして、アンナマリア様はリチャードと……。
胸が痛むのは、自分のためか、女王になれないアンナマリア様のためか。
どちらにしても、考えるたびに辛くなる。
僕たちは、また明日も、なにも気づいていないふりで「ご学友」を努めなければならないのに。
「マリィは、どう考えているの?」
ふと、聞いてみた。
このアンナマリア様を慕いすぎるほど慕っていて、他の人間なんて大嫌いな妹は、どう思っているのかと。
するとマリィはぞっとするような笑みをうかべて、言った。
「時を待っているだけ。その時がくれば、わかるよ」
じっとりとしたその笑顔は、ほんとうに薄気味悪い。
同じ両親から生まれた妹なのに、ときどきマリィが悪魔に見える。
ひどく悪いことが起こりそうな予感がして、図書室を逃げるように去った。