0歳
あまく、優しい歌声が聞こえる。
「はやく、はやく、出ておいで。君に出会えるのを待っているよ」
その声は、暗くて、暖かくて、安全な私の居場所までゆらゆらと届く。
それは、「世界」が新たに生まれる生命を寿ぎ招く歌だと、なぜだか知っていた。
その声に導かれていけば、「私」は新しく生まれ変わるのだということも。
「私」には、死の記憶がある。
以前の私の名前は、立川 杏。
日本のかたすみで生まれ育った、さえない女子高生だった。
死因は、帰宅途中に、信号無視して横断歩道につっこんできた自動車に轢かれたこと。
病院に搬送された記憶も、救急車に乗った記憶もないから、たぶん即死だったんだと思う。
でも、命が終わるまでの数秒は、すっっっっっごく痛くて、苦しかった。
いや、もう、二度と生まれるなんてごめんだって思うくらい。
だって、また生まれたら、また死ぬってことでしょ?
あれ、ほんと辛いっていうか、痛いっていうか。
ハンパないって。
だから、新しい人生とか、もう絶対いらないって思ってた。
そもそも、杏の人生は、わりと残念っていうか、「人生って素晴らしい」って感じじゃなかったし。
別に、なにか特別に悪いことがあったわけじゃない。
仕事がうまくいっていないらしく、いつも不機嫌で怒りっぽい父親。
反抗期の弟に手をやいているせいか、私には「それくらい手伝いなさいよ!」と当たり散らす母親。
夜遅くまで遊び歩いて、たまに家にいると思えば暴れまくる弟。
ありがちといえば、ありがちなレベルの残念な家族だっただけ。
それに私自身も、頭もよくないし、社交的でもないし、外見も並以下だしで、残念な感じだった。
ついついゴロゴロしながら動画みたり、マンガ読んだりしてて、努力もしてなかったしな。
そんなんだから、わざわざもう一度新しい人生を送りたいとも思ってなかった。
生きているって、嫌なことがいっぱいある。
楽しいことや嬉しいこともいっぱいあるのは知ってるけど、最期に「死」があると思えば、また生まれたいなんて思えない。
だから、どんなにあの歌声に誘われても、生まれ変わるなんて絶対にお断り!
……そう、思っていたんだけど。
「はやく、はやく、出ておいで。君に会えるのを待っているよ」
甘い歌声が、魂を染めるように、心に流れ込んでくる。
生まれ変わるなんて、ぜったいに嫌だと思っていたのに、ちょっとずつ心が変わっていく。
生まれ変わるのも、悪くはないかなって思えてくる。
洗脳か。そらおそろしい。
だけど、考えてみれば、私にはこの「記憶」があるのだ。
以前の人生っていう「記憶」が。
たった17年のさえない普通の女子高生としての「記憶」だけど、この「記憶」を持ったまま赤ちゃんとして生まれ直せば、赤ちゃんとしては特別にかしこい子になれるはずだ。
そのアドバンテージがあるうちに、一生懸命勉強したりすれば、とびきり優秀な子になれる……かもしれない。
たぶん、これは「チート」だ。
私が、次の人生をうまく生きるための「チート」。
だから、次は、きっとうまくやれる、はず。
努力嫌いの「杏」とは違う、別の人間になるんだから。
それに、転生して、新しい人生ではうまくやっていくっていう小説、いっぱい読んだし。
ああいうのをお手本にしていけば、次の人生は、うまくやれるんじゃないかな。
それなら。
外に、出てもいいかな。
とつぜん、ごく自然に、そう思った。
その瞬間、私はこの暖かな世界からぐっと押し出されるのを感じた。
そして、まばゆいまでの光……。
っていうか、めちゃくちゃまぶしい!
目が、目がぁあああっ!!
まぶしすぎて、思わず大きな声で叫ぶ。
「おぎゃぁおぎゃぁおぎゃぁ」
それは、まさに赤ちゃんの泣き声で。
あぁ、私はこの世界に新しく生まれ変わったんだなぁって、おかしくなった。
だけど、
「おめでとうございます……!女の子でございます!グランフィルド王国の第一王女様のご誕生でございます……!」
すぐ隣から、女の人の感極まった声が聞こえた。
は?
王女?
誰が?
って、私……!?
い、いや、そんな荷の重いチートは、望んでませんよ?