1ー6
バスケの後、途中まで一緒に帰った。家まで送っても良かったのだけれど、さすがに図々しいかと思ってやめた。やましいことがあるわけじゃない。あくまで暗くなってきているからだ。言い訳っぽいなと苦笑する。
明日明後日は土日で学校が休みだ。
「ただいま」
「あら、お帰りなさい」
誰もいないと思っていたのに、母さんがいた。
「珍しく遅いじゃない。お友達?」
「ああ」
僕の適当な返事にも気を悪くすることなく続ける。
「部活は?」
「行ってない」
「そう」
これは大体顔を合わすたびに言ってくることだから、なんとも思わない。でも、行きなさいとも辞めなさいとも言われないのはなんだか変な感じだ。
放っといて欲しいのに、放っとかれると腹がたつ。そこまで重症ではないけれど、気になる。
母さんは、僕からさっきまで手入れしていた白い小さな花に目を向けた。
「そんなにそれ大事?」
靴を脱ぎながら訊いてみた。
「大事よ。お父さんの気持ちが詰まってるからね」
恥ずかしげもなく、そう言い切る母さんは素直にすごいと思った。僕にもいつか心から好きだと思うような人が出来るだろうか。
坂宮さんの顔が浮かんだけれど慌てて打ち消す。
「そんな小さい花に何が詰まってんの?」
「いろいろよ」
母さんは父さんとの思い出を包み込むように胸の前でそっと手を重ねた。僕はそんな母さんから目をそらして、母さんの横を通りすぎる。
ちらっと母さんを見ると、火葬炉に入る前の父さんに向けた表情をその白い小さな花に向けていた。
部屋に入ってリュックを放ると、ベッドに寝転がった。仰向けになって、今日の坂宮さんとのバスケを思い返す。
きっと坂宮さんは遅かれ早かれ最後のありがとうをいうつもりなのだろう。その相手を見つけたのか決まっているのかはわからないけれど。
まあ、僕には関係ない……。
女子どころか男子ともまともに話してこなかった僕みたいなやつはちょっと優しくされたり話しかけられただけでその子のことを好きになってしまいがちで困る。
月曜日は僕のほうから坂宮さんを避けよう。迷惑もかけたくないし。
いつも通り遅めに登校して、さっさと机とにらめっこを始める。誰かが近づいてくる気配がして、そっけなくそっけなくと心の中で念じる。
「おい、桐野」
「なに」
そっけなく返したけれど、この声バスケ部のあいつじゃーん。しくったと思いながらも顔を上げた。目の前のこいつ越しに坂宮さんと目が合った。すぐにこいつに視線を戻す。
「なにってなんだよ。どうだったよ、坂宮とのバスケは?」
早速か、ていうか気にしすぎだろ。いや……もしかしてこいつ坂宮さんが好きなのかな。
「どうって、特には」
なんて返せばいいのかわからなくて、冷めた感じになってしまう。バスケ部のこいつ(長いからこいつのことはビーと呼ぼう)はやっぱりそんな僕にイラッとしたのか不機嫌さを隠すことなく舌打ちをくれる。
「んなわけねえだろ、いやもういいや」
ビーはそれだけ言うと自分のグループの輪に戻っていった。無意識に坂宮さんを見てしまう。坂宮さんも僕を見ていてやばっと慌てて机とにらめっこする。
困った顔をしているのが目に浮かんだけれど、顔を上げることはしなかった。
移動教室のたびにいつもとは逆で素早く移動することで今日はまだ坂宮さんとは話していない。
昼休み、昼食はトイレでとろうかなと席を立ったところで隣の松島が話しかけてきた。
「桐野ー、購買?」
「……いや、ちょっと」
「何もないなら飯食おうぜ」
初めての誘い文句に僕の心は踊った。
「いいけど……」
「席くっつけようぜ」
松島に言われるがまま席を動かして、松島と向かい合わせになった。いつも移動したことのない机が動けたことに感動しているように感じた。……これはさすがに机に愛着湧きすぎか。
「なんで今日坂宮と話さないんだ?」
「声大きいって」
「朝、竹原が桐野と話した後坂宮と目合ったのにそらしただろ」
あのビーは竹原っていうのか、一応覚えた。それとすごく見てるな、そこまで見られていたとは思わなかった。
「まあ、大したことじゃない」
そう返すと、松島はもう興味をなくしたのか、弁当に向き直った。僕も特に何か話したいことがあるわけじゃないから 弁当に箸を伸ばした。
午後の授業も無事終えて、みんなでさようならをした直後リュックを持って教室を出た。
下駄箱から靴を取り出した。
「桐野くんっ」
少し油断していた。それは当然のことながら坂宮さんの声だった。反応するなというほうが無理な相談だ。
「なに」
冷たい感じに返事できただけ、今日は合格だろう。
「なに、じゃないよ。私なんかしちゃったのかな……?」
「なんもしてない」
不安を隠そうともせずに揺れる目を見ながら僕は答える。
「じゃ、じゃあなんで避けるの?」
「……別に、避けてるつもりはないけど」
「けど、何?」
今度は少し怒りを含んだような口調になった。なんでお前が怒るんだと、思ってしまった。
「あのさ、僕はこの二年ちょっとクラスの奴ともまともに話してこなかったんだよ?」
「……それが、どうしたの?」
質問の意味が分からないとでもいうように眉を寄せた。
「罰ゲームなのかなって」
坂宮さんの表情を思い出しながら言い切った。本心ではないけれど、考えなかったわけじゃない。実際あり得る話だ。もしビーじゃなくて竹原が僕の感情に変化があったら、ネタ晴らしして傷つけるっていうことを考えているとしたら……誰に得があるわけでもないけれど、そもそもいじめなんてそんなもんだ。誰も得しない、無駄な行為だ。
考えだしたら止まらなくなりそうだ。
「わ、私は……そんな、つもりなない」
坂宮さんの目からぼろぼろと涙がこぼれる。罪悪感が芽生えたけれど、頭の奥に無理やり押し込んだ。
僕には関係ない……。これはチャンスだ。このまま何も言わず立ち去れば、もう関わることなく卒業式を迎えられるだろう。
僕の気持ちとは裏腹に足は動かなかった。
「私は、ただ、き、桐野くんと話してみたくて、あの日も桐野くんがバスケしてるの見て……一緒にって……」
ああ、あの視線は坂宮さんだったのか。
「ごめん……」
どう考えてもこれは、僕が悪いな。逆ギレに近いか。そう思って素直に謝った。
坂宮さんは僕の謝罪をどうとらえたのか。ひっくひっくとさらに肩を揺らしながら、背を向けると走っていってしまった。
「えっ……」
呆気にとられて固まってしまった僕を馬鹿にするように外を飛び回るカラスのガァーガァーと鳴く声が響いた。