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1ー4

 

 次の日、教室に入ると、うつむき加減のまま自分の席に座った。

 もはや、日課になっている机とのにらめっこに変顔をしてやろうかと悩みだしたところで、すぐ目の前に誰かが立った。


「おはよっ! 桐野くん」


 名前を呼ばれて反射的に顔を上げた。教室内は水を打ったようにしんとなった。


「桐野くん? おーはーよ」

「……おはよ」


 メデューサと目があった気分だ。正直挨拶を返すどころではなかったけれど、何も言わないのはかわいそうな気がする。

 周りは、少しずつざわめきを取り戻してきた。内容はこの奇妙な図についてだろう。

 何もかもが天敵だと思い込んでいる小動物のように、周りが気になってしょうがなかった。このまま何事もなく高校生活を終えてもよかったのに……。


「桐野くんっていつも来るの遅いよね、朝苦手?」

「……いやそういうわけじゃ、ないけど」


 僕たちをちらちらと見るクラスメイトには目もくれず、彼女は話しかける。


(あいつって桐野っていうんだ)

(初めて聞いた)


 そんな会話が聞こえてきた。そりゃそうだ僕だって今こそこそ話してた奴らの名前を知らないんだから。


「趣味とかあるの? あんまするイメージないよね」

「趣味は特には、一応バスケ部だけど」


 坂宮さんはそのままでも十分大きい目を見張った。へぇ―意外という顔をした後、肩を叩かれた。


「へたくそなんでしょ」


 なんて失礼なんだって思いながらも話しかけてくれたことを純粋に嬉しく思ってる僕がいた。さっきまでは周りが気になってしょうがなかったけど、さっきよりはマシだ。

 それよりも彼女の言葉が、対して勝負する相手もいなかった僕の無駄に負けず嫌いにろうそく並みの火をつけた。


「じゃあ1on1してみる?」


 二回目のへぇー意外という顔をした後、拍子抜けするほどあっさりと頷いた。

 ろうそくの火は早くも消えた。自分で提案しといて、あまりのあっさり具合に聞き間違えられたんじゃないのかと思った。


「いいの?」

「うん、いいよ。私だって帰宅部なんだから意地見せてあげる」

「いや、僕はバスケ部だって」


 苦笑混じりに言った。


「あーごめん」


 彼女が手を合わせたと同時に予鈴が鳴った。律儀に席に戻る彼女を目で追いながら、いつやるか言ってなかったことに気付いた。

 まあいいかと考え直した。席について隣の子と談笑している彼女は楽しそうだった。内容は言わずもがなだ。隣の子が流し目で僕をちらっと見たからだ。

 ふと気づいた。前に彼女は人見知りや恥ずかしがり屋だったり、俗にいう社会不適合者には見えないと思っていたけれど、働く人にとってありがとうがどれだけ重要な言葉か想像はつく。ありがとうの言えない彼女は極端な話、立派な社会不適合者なのかもしれない。

 朝のホームルームで先生が入ってきたのか、「起立」という言葉を耳の端にとらえて立ち上がる。周りの「おはようございます」を聞き流す。「着席」の言葉に腰を下ろきた。

 考えことをしていてもいつもの行動を感覚でとれる。ありがとうも似たようなものだと今までは思っていた。まあ、僕にはありがとうを言う相手は片手の指ほどもいたか怪しいけれど。

 いつか、母さんにありがとうを言いたい。……まだ照れくさくて言えそうにない。

 坂宮さんは親には言えたのだろうか? 最後の一回になる前に伝えたのだろうか、それとも最後は親にと決めてるのだろうか。


「いつまで座ってるの?」


 突然聞こえてきた鈴の音みたいな声に反応して組んでいた腕をほどくと顔を上げた。

 目の前の坂宮さんに、さっき考えてたことを訊けるほど馬鹿でも図太くもなかった。


「どうしたの?」

「はあ、最初移動教室だよ」


 わざとらしくため息をついて、坂宮さんは腕の中にある日本史の教科書を見せてきた。本当に集中したら、何も見えなくなると自分の中の辞書を訂正した。


「ごめん、準備する」


 彼女と最初の授業の場所に向かっていると、「ねえ」と隣から聞こえた。顔を向けると、意味ありげに笑った。彼女の真意がわからなくて眉根を寄せて訝しげな目を向ける。彼女が口を開いた。


「今日、バスケ部体育館らしいから外のコート使えるんだって。そこでやろう」


 何が嬉しかったって、坂宮さんが僕の案のために動いてくれていたことだ。正直なかったことになっても文句は言えないと思っていたのに。


「まじでやるのか」

「当たり前だよ! 言い出しっぺは桐野くんでしょー」


 当たり前らしい。確かに僕が言い出しっぺだけれど、いくら初対面は昨日の段階で果たしたとはいえ今日急に話し出した男子とバスケで1on1なんてやるだろうか。

 ゆるむ頬を意識できるほど、女子と話すことに慣れていなかった。


「なんか気持ち悪いよ」

「なっ!?」


「あははは」と声を出して笑う彼女に、非難の視線を向けるだけで精一杯だった。その目を見て、彼女はさらに笑った。 

 呆れながらも、僕も笑みをこぼした。


 2年ちょっとぶりに、一人だったお昼を満喫した。

 やたら休み時間に話しかけてくる坂宮さんのおかげか、ちょくちょく話しかけてくれる男子ができた。安直に坂宮効果と名付けた。

 今日最後の授業の始まる前の休み時間、隣の松島(さっき覚えた)に肩を小突かれた。

 横を向くと松島が顔を寄せてきた。


「えっと、ドウノだっけか?」

「キリノね」

「ごめんごめん」


 松島は申し訳なさの微塵も感じられない謝罪を口にすると、続けた。


「お前バスケ部だったんだな」


 やっぱり聞こえてたか。別に知られて困るもんでもないから黙って首肯する。


「昨日までこの学校自体が敵だってくらい自分の世界に入ってたのに、今日坂宮と話してからちょっと柔らかくなったよな」


 自分でもよくわからないけれど、まあ昨日までは授業で当てられるとかしないと話さなかったからじゃないだろうか。


「ほとんど話してこなかったからね」

「それそれ、よろしくな」

「よろしく」


 結局何が言いたかったのかわからなかったけれど、松島は満足顔で席に戻った。



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